ひそやかな娯楽
最近、急に寒くなったなぁ
外の冷たい空気の中を歩いていたから、すっかり体が冷えていた。
アパートのドアの鍵を開けて、靴のまま中に入り、そのまま、まっすぐキッチンに向かう
食料を冷蔵庫や棚の中にしまう前にコーヒーメーカーをセットして
ちょうど詰め込み終わったことろにできあがったコーヒーをマグカップに注いだ
マグカップで手を覆って暖をとる
熱いコーヒーを体の中に流し込んで、はあっとひと息をつくと温まった口から白い息がでた
今日は休みの日なのだけれど、彼は仕事に出ていた
英語で仕事をしてるからってこともあるのだけれど、どちらかというと、転勤して最初の一年は、どこで『手を抜いてもいい』のかわからなくて、なんでも一通りの事はしなければならない、だから今は忙しいのだと言っていた
それで週末の一日は1人でいることが多い
彼が仕事に出かける日は、家で一緒にゆっくり朝食をとって後、玄関から送り出すときもあれば、一緒に外に出た後、途中で別れて、美術館とかデパートとか観光場所を見に行ったりすることもあった
NYは初めて来たから観光したいところはいっぱいある
もちろん彼といろんなところを回って感想を言い合ったりするのも楽しいが、ひとりでじっくり見たい場所や店もあるから1人だけの時間を過ごすというのもまた楽しかった
もう夕方近い時間だ
圧力鍋でごはんを炊きながら、お味噌汁を作る
買ってきたサーモンを醤油とみりんと唐辛子の漬け汁にひたしてる間に
デリで買ってきたマッシュポテトやハーブやチーズがかかったオニオンリングをお皿に移した
そうこうしているうちに玄関の鍵が開いて彼が帰ってきた
「おかえりー」
手が離せないので彼に聞こえるくらいの声を出す
「ただいま」
そういいながら彼はキッチンまで来ると、かばんの中から何かを取り出してカウンターの上に置いた
チョコレートの箱だ
いつでも食べられるようにと包装紙をやぶりトレイに一つずつ仕切られて入っているチョコを手づかみするといつも常備してあるガラスで出来たオーバル型のガラスのポットに無造作にざらざらと入れる
朝、ガラスポットの中に残っていたチョコが少なくなっていたのを見たのだろう
どうしてなんだろう、いつも思う
彼はたまにしかチョコを食べない、だからこれはほとんど私が消費するのだ
なのに彼はチョコを切らすようなことをあまりしないで必ず補充する
彼がマメではないという性格を知っている私は、チョコだけは、いつも切らさないように買ってくるのが不思議でならなかった
彼がシャワーを浴びている間に、早速蓋をあけて、買ってきたばかりのチョコをつまむ
今回のはチョコひとつひとつに細かい細工がされてあって、中にいろんなものがそれぞれに入っている
私はオレンジピールらしきものが乗ってあるチョコを選んで口に入れる
ビターな味にオレンジの香りが混ざり合っておいしい
もっと食べたいと思ったけど、もうすぐ夕飯だからととどめておいた
シャワーから出てきた彼とキスする
舌を絡めてきた彼が「オレンジだな」って、ニヤッと笑いながら言った
夕飯が終わってキッチンを片付けた後
リビングに移動したかれはソファに座り、テレビをつけてニュース番組を見る
コーヒーとナッツとチョコが入ったお皿をコーヒーテーブルにおいて隣に座る
彼が腕を回して私の肩を抱くと頬をキスをしてまたテレビを見始めた
まだまだ気合を入れてみないとニュース番組は内容を全部把握できない
私は彼の肩に頭を預けながら有名なニュースキャスターの長い語りを見ていた
「ねえ・・・」
「ん?」
「チョコさ、あんまり食べないよね、私ばっかり食べて」
「おまえ好きだろ?それでいいじゃん」
いきなり話を終わらせようとしてない?
時間をおいて、彼がテレビに再び集中しはじめたころにまたいう
「・・・チョコ買ってくれるのすごく嬉しいけど、なんでかなって、なにか理由あるの?」
話を早く終わらせようとして、ぽろっと本音をいうだろう、と思ったらその通りだった
「・・・ん・・・ひそやかな娯楽のため・・・」
「ひそやかな娯楽?」
彼が自分の言ったことに気がついて、ちょっと体を引いたのがわかる
しまったって顔してない?
「なにそれ?」
彼の目を見ると、いつもの中性的な目が少しあわててるみたいだ
「もしかして・・・何かの罪滅ぼしのためとか・・・週末仕事とかいっておいてまさか・・・」
「ない、そういうんじゃないし」
「じゃあなによ」
う~んって難しい顔をして
「でも、言ったらまた嫌われるかもなぁ」って困った顔をしてつぶやいてる
いつ嫌ったんだ、嫌ったことないけど・・・
「言ってよ、気になるでしょ?怒ったりしないから」
ちょっとやさしいトーンで話す、お姉さんモードの声、こういう風に言うと姉のいる彼はわりと正直に話す
この方法はこっちで一緒に暮らしてから手に入れた知恵だ
「高校のときさ、おれ無理やりキスして嫌われたことあっただろ」
「えっと」
顔が赤くなる、親友だと思っていた彼を好きになってしまって
逆に意識して何もできなくなってしまった時のことだ
嫌うとは間逆なんだけど、未だに彼はそのことを誤解している
「聞きたくなくなったらストップって言えよ、お前を好きになった途端に、キスするのを拒絶されてさ、なんとかしなきゃって、おまえが寝てる間に慣らすんだって練習をしただろ」
「あ・・・うん」
恥ずかしくて下を向いてしまう
その結果、更に私達は遠のいたんだけどね
「最初はさ・・・その唇を重ねるだけだったんだけど」
ふうって、彼がこっちを見る
「そのうち、こうもっとないかなって思って口を開けさせようとしたんだよ」
「・・・」
「でも寝てるから全然歯が開かなくてさ・・・なんかお前も苦しそうな顔してるしどうしようかと思ってたら・・・ちょうど誰かが持ってきたチョコがあってさ」
・・・だんだん聞きたくなくなってきたかも・・・
「チョコだったら口開けんじゃないかと思って鼻にチョコくっつけたら、おまえにっこり笑って口が開いたから、ああ好きなんだなって思って」
「・・・うわっ」
「だからまずおれがチョコ食って、おまえにキスしたときにおれがおまえの舌をなめたんだよ、そしたらおまえが嬉しそうな顔になっておれの舌をなめはじ・・・」
「やっやめよう、その話」
「まあ、最初は舌噛まれそうになったりいろいろしたけど、そのうち慣れたな、おまえも」
ものすごい話の結末を聞かされて言葉がひとつしかでない・・・エロじじい・・・
「今なんて、更にその先まで進めるから、あの頃に比べて、おれ幸せになったんだあって、いっつも、実感してるんだよな」
あれ?
「・・・今も?」
「うん、そのままベッドにつれてってって・・・ほら途中で起きてるだろ?」
寝てるときに服をまさぐられて、目が覚めたら足が絡んでてってことは何度かあったけど、あれって・・・そんな始まり方だったんだ・・・
「・・・変態・・・」
「言うと思った」
「・・・最悪・・・」
「だから言いたくなかったんだって、ほらおれのひそやかな娯楽だから」
懺悔をすませて逆に居直ってしまった彼をみる
「・・・最低・・・ほんと信じられないよね」
私が本気で怒り始めたのに気づいて彼があたふたとし始める
「おまえが言えっていうから」
「・・・」
「聞くの嫌になったらストップしろって言っただろ?」
「・・・」
「怒らないって、言ったじゃないか・・・機嫌直せよ・・・なぁ・・・もう・・・」
急に私の腰に両手を回して逃げられないようにする
私のお腹の上に頬をくっつける
なんか幼児がお母さんにへばりついてるみたいだ
心細げな声まで聞こえていた
「逃げるとかダメだから・・・どっこもいくなよ」
あまりにさびそうな声、つい母性が動いてしまう
私はどうしても彼に甘い・・・
「・・・行かないって」
彼の頭をなでる、やわらかで気持ちがいい
「ここ、NYだし、今別れたら私、イギリスの時みたいにホームシックになって日本に帰りたくなるかもしれないし」
「それが理由か・・・なんだよそれ」
起き上がって苦笑しながら彼がいうから、ふふんって顔をしておいた
思えばあの時すでに両思いだったのかぁ、すごい遠回りしてここまで来たんだなぁ
今思えば歯がゆい感じもするけど
あの時からもし付き合っていたら
私は今よりももっと彼に依存してて
あんまり成長できてなかったかもしれないな
そういうのも、もちろんひとつの幸せの形だろうけど
一度彼から離れて自分で何かやろうとした今の自分が私は好きだ
・・・だから、まあいいか・・・
彼は私の気がおさまったのがわかったのか、また肩を抱くとテレビを見始める
私も、彼にもたれてニュースの続きを見始めた・・・