戸惑い
「どうぞ」私はエレベーターのボタンを押して、影山社長を促す。
「ありがとうございます」社交辞令的な笑顔を浮かべ答える彼。
社長さんだったんだ・・。何だか初対面みたい。私のこと覚えてないのかな。
一度会っただけだし当然だよね。
エレベーターが5階に到着し、応接室までご案内する。
応接室の前には、坂本さんがいた。
「影山社長、本日はありがとうございます。どうぞ中へ。」
坂本さんは頭を下げ、少し緊張した様子で話す。
「いいえ。こちらこそ急に伺ってしまい申し訳ありません。」
坂本さんは、部屋の扉を閉めながら、こちらを向き小声で私にありがとうと言った。「いいえ。では失礼します。」私は笑顔で頭を軽く下げ、エレベーターに向かった。
あれ?
ふと疑問に思う。
おかしいよね。彼に会えたことにばかり気をとられていたけど、他社の社長がじきじきにうちの会社の営業企画部に来られるなんて。
私は受付に戻り、引き継ぎ書類の続きを作成する。
よし、終了。帰ろうとすると、突然声をかけられた。
「遅くまでお疲れ様。俺も今仕事終わって帰るとこなんだ。」
えっと、確か商品開発の・・
「田中です。」
名前を思い出せずにいると、彼が答えてくれた。
「これから時間ある?良かったらご飯行かない?」田中さんは、満面の笑顔でそう言った。
お腹はすいてるけど、よく知らない人だしあんまり行きたくないな。
「ごめんなさい。今日はちょっと。」
「そっか。」
田中さんは、残念そうに言う。「すみません。では失礼します。」
帰ろうとすると、急に手を引っぱられる。
えっ!突然のことに頭がついていかない。
「田中さん、どこ行くんですか?」
すごい力。田中さんは、私の質問に答えずオフィスの入り口とは反対方向に向かって無表情で歩く。「離して下さい!手、痛いです。」
怖い。
「誰かっ」
就業時間を過ぎたオフィスにはもう人影はない。
どうしよう。
「あの、何してるんですか?」
聞きなれた声。
振り返ると影山社長がいた。
田中さんは無表情で答える。「いえ、ちょっと彼女に用事が。何でもありません。」そう言って、再び歩きだす。
「何でもないことないでしょう。彼女、奮えてますよ。」影山社長は、田中さんの手から私の手を引き離す。
「嫌がる女を連れていくなんて、あんた悪趣味だね。」
嘲るような強い口調。気付けば私は影山社長の片腕に収まっていた。田中さんは何か言おうとした様子だったが、背中を向けささっと逃げるようにオフィスを出て行った。