07
「か、体が……動かな」
法子は立ち上がってから体を硬直させて今さっきまで寝ていた布団へと倒れ込んだ。
布団が浮き沈み、跳ね上げられて、それから仰向けになって大の字になる。
「だから今日はもう起き上がらない」
そう厳かに宣言した法子に対して、タマが呆れて呟いた。
「昨日もそんな事を言って、一日中寝ていたよね」
「うん、でも今日も無理」
「はあ、若いのが何て様」
「タマちゃん、おばさん臭いー」
法子は体を丸めて掛布団に絡みつくと、二度目の睡眠に入ろうとする。
そこへ外から声が掛かった。
「法子ー、起きてー。昨日も一日寝っぱなしだったんだから、今日はもう起きなさい!」
「う」
「法子―、ちょっと頼みたい事があるんだけど」
母親の声が聞こえてくる。それは亡者を駆り出す狩人の声。聞けば抗う事は出来ない。
そうして面倒なお使いを頼まれる。
「おや、母君からだよ?」
「もう!」
法子は不満を込めて起き上がった。
「おや、今日は起き上がらないんじゃないのかい?」
「行くしかないでしょ」
法子が痛みに耐えるぎこちない動きで用意をしている姿に、タマは笑った。
「大変そうだね」
「本当に動きたくないのに。お母さんの馬鹿」
「私としては中に籠られるよりは外に出てもらった方が嬉しいけど」
苛立つ法子と笑うタマ。そこにまた母親の声が届いた。
「ねえ! 法子ー! 起きてるー?」
「今行く!」
法子は大きな声で答えてから、部屋の扉を開けて、体を引きずりながら下へと降りていった。
「全く、何で私があいつのお弁当を届けなきゃなんないの?」
「まあまあ。可愛い弟君の為だろう」
「全然可愛くない!」
「そうかねぇ。良い弟君だと思うけれど」
休日の河川敷、法子は土手の上を歩きながら愚痴りつつ、下で行われているサッカーに目を向けた。
今日は河川敷でサッカー大会をやっている。幾つかあるコートに小学生、中学生、高校生、社会人と分かれて、大声を張り上げながらボールを追っている。法子の弟も小学生の部に参加しているはずだ。法子はサッカーにまるで興味が無かったので、どうでも良さそうにわらわらと動く選手や、わやわやと野次っている観客を眺めてから、視線を逸らし、そして凄い勢いで視線を戻した。
見れば土手の下、座って観戦している人々の中に見知った顔があった。同じクラスの生徒だった。何人かで固まって時折はしゃぎながら、中学生のコートを眺めている。名前も分からないが確かにその顔を毎日の様に見ている。
見つかりたくなかった。元より学校の人と喋るのは怖い。もし取り囲まれたらどうしていいか分からない。一対一で話す事も無理なのに、複数人に話し掛けられたら、それこそ地獄を見る事になる。例え、相手にいじめの意志が無く、端から見てもただ単に話しかけているだけでも、それは法子にとってこの上ない苦痛になる。
まして昨日の事がある。法子は出来るだけ見つかる事の無いようにこそこそとした滑稽な足取りで、コートに熱い視線を送るクラスの他人達の後ろを通り過ぎた。
小学生達のトーナメントが行われている場所では法子よりも幼い子供達が掛け声を上げ、ボールを追っている。ボールが高く飛んだ。選手も観客もその行方を追うが、法子だけはコートを見回して弟の姿を探す。辺りから喚声が上がる。俄かに色めきたった観客達の間に視線を這わせていると、ようやく弟の姿を見つけた。
ようやく面倒なお使いから解放されると安堵して、法子は重たい体に鞭打って弟の所に向かおうとして、足が止まった。
コートの真ん中に獣が居た。獅子の頭に、人よりも二回り大きい筋肉質な肉体、両手両足には鋭く長い爪が生え、如何にも危険な様子を漂わせている。唸り声を張り上げながら、敵意を漲らせて、辺りを睨みまわしている。
魔物だ。
魔物の周りには囲む様にして沢山の人が集っている。遠巻きにして眺めている。何処か不安そうに、されど楽しそうに、猛る魔物を囲み、ある者は語らい、ある者は感嘆し、ある者は写真を撮り、ある者はある者は笑っている。余裕に満ちた顔で不安げに楽しそうに魔物を眺めている。
彼等が魔物の危険を知らない訳ではない。実際に彼等は思考の片隅で、人を殺す魔物の恐怖を思い、胸を弾ませている。ただ彼等は出来ないだけなのだ。被害者が自分になる可能性をひたすら想像出来ないだけなのだ。
更に土手の上にも沢山の観客が居る。こちらの観客達は、魔物から離れているし、暴れ出してもまず殺されるのは土手の下で魔物を遠巻いている人々だろうと信じて、あからさまに余裕の表情を浮かべている。
法子はそれらの顔が鼻についた。
「馬鹿じゃないの、こいつ等」
「まあ気にするな。こういうもんだ」
「むー」
「それよりも魔物が現れたんだよ。君にはやるべき事があるだろう?」
「それじゃあ、早速変身しよう」
「それは良いけど。良いのかい?」
タマが尋ね返してきた。法子にはその意味が分からない。
「何が?」
「辺りに結構な数の人が居るけど、魔法少女だってばれて良いのかい? 流石に変身するところを見られたら正体がばれるよ」
「あ」
法子が辺りを見回すと、確かに多くの群衆が居る。そのほとんどが魔物を見つめて、目を逸らす様子は無いが、中には別の場所を向いている者も居るし、いつなんどき注目されるか分からない。
「どうしよう」
「自分で考えなって」
「でも」
法子はまた辺りを見たが、人目を阻めそうな、変身に適した場所は無い。
「どうしよう。人に見られない場所なんて無いよ」
「いやいや、あそこに丁度良い建物があるだろう」
タマの意志に促されてそちらを見ると、確かに小さな建物がある。だが法子はその建物をあえて無視していた。
「やだよ、あれトイレだもん」
「ああ、そうなのか。でも別に良いじゃないか」
「いーやー。汚い!」
「そんなに汚く見えないよ。うん、大丈夫」
「トイレで変身する魔法少女なんて嫌!」
「そんな事を言ったって他に無いだろう。減るものでもないし大丈夫」
「プライドが減る!」
「文句があるなら代案を出してくれ」
「うう。で、でもさ、例えば私がトイレに入って、その後に変身した私が出てきたら、それを見ていた人にばれちゃうかもよ?」
「その点は安心してくれよ。前にも言ったけれど、変身さえすればばれる事は無い。もっと言えば、変身する所さえ見られなければ、例えどんなに怪しい状況だろうと変身前と変身後が結び付けられる事は無い」
「むう」
遂に退路は極まって、法子は渋々と言った様子でトイレへと歩み始めた。
「魔法少女がトイレ……か」
「嫌なら魔法少女を止めるかい?」
「やだ。続ける」
法子がトイレに入って十数秒、トイレの中から魔法少女が現れた。突然の魔法少女の出現に人々は好奇と期待の視線をその魔法少女へと注ぐ。沢山の視線に晒された魔法少女の表情は晴れやかな笑顔だったが、少しだけ悲しげだった。
法子が恰好を付けて跳び上がり、人々の頭を越えて再び魔物の居るコートへ戻ると、事態は全く変化していなかった。
相変わらず魔物は唸り声を上げるだけ。観客達は楽しそうにそれを取り巻き、写真を撮っている。凄惨な様子はまるで無い。
「何だかほのぼのしているんだけど」
「そうだね」
「襲ったりとかしないの? あの魔物」
「まあ、魔物の考えは一つじゃないからね。あいつは別に人を襲おうと考えている訳じゃないんじゃないかな?」
法子の表情に微かに困惑が浮かぶ。
「じゃあ、良い奴なの?」
「良いも悪いも無いけれど。何にせよ、魔物は追い返さなくちゃいけない。前にも言っただろ? 魔物って言うのは居るだけで場を汚染する。それが魔導師を呼び出して、魔導師が場を聖別して、最後に魔王が出現する。とにかく居るだけで悪い影響を及ぼすんだ」
「そういえば言ってたね」
「これ位、魔術に携わる者なら知ってて当然だと思うんだがね」
「だって学校で習ってないもん」
溜息を吐いたタマを無視して、法子は剣を抜いた。周囲からおおという歓声が上がる。
ちょっと気分を良くした法子をタマがたしなめる。
「気を付けろよ法子。あれは魔導師だ。どうやらこの辺りは大分汚染が進んでいたらしい」
「魔導師って強いの?」
「少なくとも普通の魔物よりは。周囲の汚染された魔力を吸い上げるから、魔力の量は桁違い。それにほとんどが固有の力を持っている」
「成程ね。一筋縄じゃいかないんだ」
「ああ、けど今は出現したばかりでまだまともに動けないはずだ。だから倒すなら今」
「そうなんだ。じゃあ」
法子は剣を腰に据えて魔物へと向かう。
「あ、おい、ちょっと待て」
諌めようとするタマの言葉も聞かずに法子は走る。
魔物は腕をだらりと下げて、尚も雄叫びを上げている。法子を見る様子すら無い。
行ける。と確信した法子は剣を力強く握り、魔物の目前で力強く大地を踏み締め、その刃に魔力を通し、
「防げ!」
タマの思念に反応して法子は咄嗟に刀を止めた。刹那、巨大な衝撃を受けて法子は跳ね飛ばされた。
着地した法子は理解する。法子が魔物の目前に迫った瞬間に、魔物が垂れ下げていた腕を振り上げて法子を跳ね飛ばしたのだ。刀が先に当たったお蔭で飛ばされるだけで済んだが、そうで無ければ爪によって切り裂かれていた。
「大丈夫か?」
タマの言葉に法子は頷いた。
周囲から喝采が湧いた。どうやら法子と魔物の戦いを面白がっているらしい。法子は自分に注目が集まる事を嬉しく思う反面、危険な戦いなのに楽しむ観客を忌々しく思った。
法子が苛々としていると、頭の中にタマの小言が響いた。
「あのな、幾ら相手の力量が下だからって、攻撃してこない訳でも攻撃をくらわない訳でも無いんだ」
「分かってるよ、そんな事」
法子はタマの換言に不機嫌な調子で答える。
「分かっているなら良いんだけどね。それでどうするんだい?」
「どうすれば良いの?」
法子が更に不機嫌な調子になって尋ね返した。
「は?」
流石にタマも唖然とする。
「私は戦いの事なんて分からないもん。タマちゃんの方が詳しいでしょ? どうすれば良いの?」
「いや、もっと自分で考えてくれよ」
「分かんないよ。良いから教えてよ。どうすれば良いの?」
タマは一度溜息を吐いて、
「甘やかしすぎたかな」「うるさい」
沈んだ調子で答えた。
「良いかい? 今度だけだよ」
「はいはい」
「まあ、見た所、相手は接近戦が得意みたいだ」
タマがそう言った途端、魔物が腕を振り上げた。嫌な予感がして、タマの思考が止まる。
続いて、魔物は腕を振り下ろした。タマの中の嫌な予感が加速する。
「とにかくこの場から離れろ!」
タマの叫び声が法子の頭に届いた後、一拍遅れて法子はその場から飛びのいた。法子が一瞬前に居た場所がひずんだ。何も無い空間に爪痕状のひびが入り、まるでガラスでも割れるみたいにはじけ割れた。
「何? 今の」
「おそらくあの魔物の能力、というか技だろうね。離れた空間に自分の爪を届かせるんだ」
魔物がまた腕を振り上げた。法子は狙いを定めさせない様に動き回りながら反撃の機会を窺う。
「それで? 向こうは接近戦だけじゃなかったみたいだけど」
「ああ、そうみたいだね」
「どうすれば良いの」
「はあ、ホントちょっとは自分で考えてくれないかな」
「良いから」
「君さ、昨日覚えた事も忘れたの?」
「昨日? あ」
昨日教わった遠距離まで届く剣撃。確かにあれを使えば近寄る事無く相手を切り裂ける。
「でも相手も同じ様な事やって来るけど勝てるかな」
「実力は君の方が上なんだ。同じ事をすれば勝てる」
「そっか」
法子は笑って刀身に魔力を込め始めた。昨日覚えたての新しい技。新技のお披露目だ。出来れば派手に、カッコ良く決めたい。そう、漫画で良くある様に見開きの大ゴマを使う位のど派手さで。
「良いかい? 狙いは正確に。辺りには人が居る。絶対に当てちゃいけない」
「分かってる。昨日たくさん練習したもん。はずさないよ」
法子は尚も笑って魔力を込め続ける。だがほんの僅かに緊張がよぎった。当てる自信はある。はずすとは思えない。けれど失敗してはいけないと思うと、何だか薄ら寒い気持ちになった。
法子は走り回り、跳び回りながら機を窺う。しばらくして狙いをつけ損ねた魔物の腕が止まった。好機とばかりに法子が込めた魔力を斬撃に換えて、魔物へと打ち放った。
「馬鹿!」
斬撃は過たず魔物を切り裂いて、法子はほっと安堵する。魔物は完全に切り裂かれ、胸と腹が分かたれ、体の右端が辛うじて繋がっているだけとなった。
安堵した法子の視線の先で、魔物の体はずれ落ちながらゆっくりと倒れていく。
「やった!」
「良い訳あるか!」
「な、何で?」
困惑する法子の視線の先で、魔物はゆっくりと倒れ伏す。倒れた瞬間に土埃が舞い。すぐに風に運ばれていく。土埃が消えた向こう、血を噴き出して倒れる魔物の向こうに、観客が居る。
「強く打ち過ぎだ、馬鹿者」
観客の中に子供が居る。血を流して倒れている子供が居る。
「あ」
倒れた子供の血だまりはどんどんと広がっていく。泣き声が聞こえる。母親らしき人物が泣きながら子供の傍らに座って何かを叫んでいる。周りの人々が子供の元へ集まっていく。
やがて子供は担架に乗せられた。緊張した空気の中、群衆が割れて、子供は輪の外へと運ばれていく。まだ救急車は来ていない。どこかで応急処置をするのだろう。生死の境は時間に依って区切られている。
運ばれていく子供の傍を母親が泣きながらついていく。そのまま子供と共に群衆の向こうに消えるのかと思いきや、ふと母親が顔を上げて法子の事を見た。燃える様な目付きだった。怒りと悲しみと悔しさと恨みの籠った母親の痛々しい視線に晒されて法子は思わず目を逸らした。
逸らした先の観客達もじっと法子の事を見つめていた。
視線を逸らす、その先にもまた目が。目が。目が。目が。沢山の目が法子の事をじっと見つめていた。
人通りの無い道に法子は着地した。そこで力尽き変身を解く。闇夜に溶ける様な衣装は、私服となる。法子は汚れる事も構わずに道の上で跪き無念そうに項垂れた。
結局あの後、子供を切った法子は再び戦う気力を湧かせる事が出来ず、魔物の方もまた深手に動く事が出来ず、膠着したまま、ただ周囲だけがざわついていた。そこにあの法子を負かした魔法少女がやって来て、魔物を送還して喝采を浴びながら帰っていった。
法子は、魔物と魔法少女が消えてからしばらくの間動けずに呆然と何処でもない何処かを見つめ続けていたが、タマの言葉に促されて立ち上がり、取り囲む群衆の頭を越えてその場を離れた。
離れる際に、悪罵の声が響いたが、心あらずの法子にはその言葉は聞こえず、されど悪罵は法子の耳に届いて確かに心を抉った。
そうして帰る途中、精神と魔力をすり減らし切った法子は遂に力尽きて変身を解いた。誰も居ない闇夜の中で、街灯の頼りない硬質な光に照らされて、法子は呆けた調子から立ち直れずにぼんやりと呟いた。
「何でこうなっちゃうんだろう」
誰にともなく吐き出した呟きは風に紛れて消えていったが、タマだけは聞いていた。けれどタマは答えない。今は傍観に徹し、法子に成長してもらおうと考えていたからだ。自分で答えを見つけて自分で先に進む。法子はまずその当たり前の事が出来る様にならなければいけない。タマはそう考えていた。
今迄タマが変身させてきた者達は皆耐え難い情動を変身の核に据えていた。ある者は復讐の為に、ある者は友を助ける為に、ある者は一族を再興する為に。だからこそその目的の為に皆必死になって変身し目的に邁進した。一方法子の情動はと言えば、きつい言い方をすれば子供の気まぐれの延長である。その理由が悪い訳ではないが、必死になれないのであれば、やはり問題がある。
このままいけば、法子はタマが支えていなければ歩けない人形になってしまう。
「結構さ、頑張ったんだよ。私にしてはかもしれないけどさ。魔法少女になれて嬉しかった。だから一所懸命頑張ってさ、でも全然上手くいかないんだもん。なんでだろうね」
法子が引きつった笑いを浮かべる。タマはそれに何も答えない。
「今日なんてあの子を」
一瞬言葉が途切れた。法子の目から涙が零れ落ちる。
「どうしよう、人切っちゃったよ」
法子が必死に目を擦る。泣きじゃくる。
「死んじゃったらどうしよう」
法子は自分の手を見つめた。直接切った訳ではない。それでも何故だかその手には切った時の感触が残っていた。生温い柔らかい物を切る感触。それは単に料理の際に包丁で鶏肉を切った感触を思い出したものでしかなかったが、今だけは確かに子供を切った感触で、それを感じ続けている内に、自分の頭が狂っていく様な気がした。法子は思わず頭を振って、手の感触を払いのけようとする。
タマは何も言わない。法子が人を殺したとしてもどうこう思わない。今迄の契約者の中にも人殺しは幾人か居た。法子がどんな事をして、どんな法律を破り、どんな倫理観を蹴り飛ばしても、タマはそれを悪い事だとは思わない。
「ねえ、タマちゃん、私どうすれば良い?」
ただこれだけはやめてくれと思う。法子はどうしてこんなにも頼ろうとするのだろう。今迄一人ぼっちだったから、それを埋めた相手に殊更依存しているのだろうか。それなら下手に励まそうとしてきた事は失敗だったのか。
悶々としつつ、タマは答えた。
「さあね。それは君の問題だろ?」
「冷たい」
法子の沈んだ言葉に苛々してタマは怒鳴った。
「勝手にしろよ!」
法子の呼吸が止まる。
「何でそうなんでもかんでも私を頼ろうとするんだ!」
言い切ってからタマは言っちゃったなぁと思った。多分法子は傷ついただろう。それでも自分の欠点に気が付いてくれれば。そう期待してタマが法子の言葉を待っていると、やがて法子が言った。
「……ごめん」
そう謝った。まだ何か言いたそうにしている。タマはもうしばらく待つ。これから頼りっきりにならない。もっと自分の頭で考える。そう言ってくれるだけで良い。そんな言葉を待っている。
けれど法子の言葉はタマが期待したものとまるっきり違うものだった。
「……私、魔法少女辞める」
「は?」
「だって、私、何やっても上手くいかないし、これ以上続けても良くなるなんて思えないし、自分で考えてなんて出来ないし、それに……それに人……切っちゃって、何だかやになっちゃった」
タマは絶句した。本気か? 一瞬、何か意志伝達の魔術に不具合でもあるんじゃないかと疑う位に、信じられなかった。
「だから魔法少女辞めたい。……あ、勿論、ずっとって訳じゃないと思うけど、多分またやりたくなるだろうし。でも……しばらくの間は魔法少女……辞めたい」
法子が遠慮がちに伝えてくる。その思念を受けて、タマは駄目だと思った。
こいつは駄目だ。
「ね? だからしばらくの間だけ」
「分かった」
「ホントに?」
「ああ。君との契約は打ち切ろう」
「うん! ありがとう」
嬉しそうに言った法子へ、タマは溜息を伝える。
「やっぱり甘やかしすぎた」
申し訳なさに身を縮こまらせる法子へ、タマは尚も伝える。
「あんまり甘やかすのは良くないみたいだね。次の参考にさせてもらうよ」
「う、うん。きっとまたすぐに元気になると思うから、その時に、ね」
タマが不思議そうに尋ねた。
「その時?」
「え?」
「どうして君は次があると思っているんだい?」
「だって……タマちゃんが次の参考にって」
「私の次って言うのは次の契約者って意味だと思わないのかい?」
法子の思考が止まる。
「何か勘違いしてないかな?」
「勘違いって……」
「私は人を変身させる使命を持っているんだ。変身しない人間の傍に居続けるなんてあると思う?」
法子が手に握るタマを驚愕の目で見つめた。
「で、でもタマちゃん」
「君が私の事を友達だろうと何だろうと思うのは勝手さ。私だってそういった関係になる事にやぶさかではないよ。けれどね、いの一番はまず契約なんだ。一緒に居る者は契約者じゃなきゃ意味が無いんだよ」
「タマちゃん待って」
「それで君が私との契約を止めると言うのなら」
「違うよ。ほんの少しの間だけで」
「同じ事だよ。君は契約者じゃなくなるんだから」
「タマちゃん、分かった。私が間違ってた。魔法少女辞めないから、だから」
必死に縋る法子をタマは冷徹に振り払う。
「君はヒーローになる事を望んでいたね。けれど今の君の姿はヒーローから掛け離れすぎている」
「ごめん、タマちゃん、ごめん」
「君の言葉にも一理あるよ」
皮肉気な笑いを伝えながら、止めの言葉を放つ。
「これ以上続けても良くなるなんて思えない。全くその通りだ」
タマと法子の繋がりが途切れた。意志伝達の魔術が途絶え、今迄伝わって来ていた相手の精神が伝わらなくなって、法子は狂わんばかりに剣の形をしたアクセサリーに縋る。
「ごめん。ごめんタマちゃん。待ってよ。嫌だよ」
許して欲しい。また話して欲しい。けれど幾ら謝っても答えてくれない。タマちゃんは完全に怒ってしまった。ならどうすれば良い? タマとの最後のやり取りを思い出す。タマちゃんが望んでいたのは、私がヒーローになる事だ。私がヒーローになればきっとタマちゃんは許してくれる。
一瞬湧きかけた希望は、すぐさま、けれど、と沈められた。けれど私はヒーローになれなかった。強くなろうと頑張った。人を助けようと頑張った。けれどそれをした結果が、今なんだ。ヒーローになろうとしてもなれなかったんだ。ならどうすれば良い? どうすればヒーローになれる?
「分かんないよー」
法子が情けない言葉を吐きだした。
出来れば誰かに教えて欲しい。けれどいつも教えてくれたタマちゃんはもう居ない。相談出来そうな友達だっていない。
一人ぼっちなのはずっとだった。だからいつもの日常に戻っただけなのだ。今迄だって一人ぼっちを寂しいとは思いながらも、嫌だと思いながらも、それでも何処か慣れた自分が居て、一人ぼっちでも平気だと思う自分が居た。
だからおかしかったんだ。私に話し相手がいるなんて。タマちゃんと出会ったこの数日間だけが異常だったんだ。また元に戻るだけなんだ。昔と同じになるだけなんだ。けれど、それでも、その異常な数日間が──この上の無い幸福感を感じた数日間が、確かに法子を変えていて、一人ぼっちな自分を思うと死にたくなるくらいに、嫌になった。