表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

実験場

六月、恐怖の大王来たる。

掲載日:2026/06/13




「ついに、来るのね……。」

「……ああ、始まる」



 東京都庁第一本庁舎のツインタワーの屋上。

 それぞれに青年と女子高生が立っていた。


 風は異様に静かだった。

 この高さ特有の強風も、鳥の鳴き声もない。

 まるで世界が息を潜めているような、嫌な静寂だけがあった。



 ピシッ……。



 梅雨の合間の青空に、『ひび』が入ったのは、正午ちょうどだった。

 新宿という大都会でありながら、最初に気づいたのは新宿南口のカラスだった。


 それは偶然でも、比喩でもない。

 カラスは一度だけ鳴き、一瞬だけ空を避けるように羽ばたいた。



 ピシピシッ……。



 次に気づいたのは、寝転んでいたホームレスだった。


 新宿駅西口の高架下。

 段ボールを敷いたその男は、空を見ていなかった。


 正確には、朝から酒を飲んで、まどろんでいた。

 だから彼は、わずらわしい音と認識した。



 ピシッ、ピシピシッ!



 だが、周囲の空気が変わった。


 通行人の足が止まる。

 スマホを掲げたまま固まる者がいる。

 誰も声を出さないのに、ざわつきだけが増えていく。


 男はようやく、重い体を起こした。

 そして見た。


 空に『ひび』が入っていた。


 最初は一本。

 次に三本。

 気づけば無数。


 それは『ひび』というより、空そのものが『割れ始めた状態』だった。



「……は?」



 声が漏れたのは、自分でも驚くほど自然だった。




 ******




 午後一時十三分。


 気象庁は緊急会見を開いた。

 『梅雨前線によるプラズマ視覚化現象』と発表したが、誰も信じなかった。


 記者会見場には、異様な静けさがあった。

 フラッシュは焚かれているのに、誰も質問を発しない。



「……では、これは安全な現象なのでしょうか?」



 ようやく飛んだその質問に、担当官は一瞬だけ言葉を失った。


 安全かどうか。

 その定義すら、分からなかった。



「現時点では、危険性は確認されておりません」



 原稿通りの回答。

 だが、その言葉を発した直後、会見場のスクリーンに映るライブ映像の空に『亀裂』が走った。



 ビシッ!



 そこから、『亀裂』が全方位に広がってゆく。



 ビシビシビシビシビシッ!



 記者席の一人が小さく呟いた。



「これ、プラズマじゃないだろ……」



 誰も否定しなかった。

 否定する余裕がなかった。




 ******




 午後一時二十一分。


 SNSでは既に関連投稿が数千万件を突破。



『空が割れた!』

『世界終了のお知らせ』

『人類は滅亡する!』

『な、なんだってぇっ!?』



 そんな言葉が飛び交う。



『加工だろ』

『全米が大興奮! 君も終末を見届けろ!』

『終末系ユーチューバー、今が稼ぎ時』

『会社に行かなくていい?』

『終末……。つまり、明日は土日!』

『今日、火曜日だぞ』

『空気読め』

『えっ!? 空気嫁っ!?』

『はい、>>812は無視してください』

『解散』



 人類は案外しぶとかった。




 ******




 午後一時三十四分。


 『亀裂』は東京だけではなく、大阪、札幌、福岡、那覇。

 そして海外でも観測され始める。


 ニューヨーク。

 ロンドン。

 パリ。

 シドニー。


 地球全体の空に、『亀裂』が広がっていた。


 もはや逃げ場はない。

 それは地域災害ではなく、世界規模の現象だった。




 ******




 午後一時三十七分。


 空の裂け目の奥で、何かが蠢き、地球を見下ろした。


 誰かが息を呑む。

 誰かが祈る。

 誰かが泣き出す。

 誰かが会社に電話した。



「すみません。今日、休んでいいですか?」

「……代役の用意は?」



 上司は三秒黙った後、そう答えた。




 ******




 午後二時三十分。


 空の三割が割れていた。

 各国首脳は時刻を合わせて緊急会見を開く。



「何も心配はいらない。落ち着いて行動せよ」



 誰もがそう口にした。

 その裏で、軍が忙しなく動き始める。


 迎撃システムが起動される。

 戦略兵器の封印が解かれる。

 しかし、何に対して備えればいいのかは誰にも分からなかった。


 あらゆる宗教が必死に祈りを捧げる。


 教会では神に。

 寺では仏に。

 神社では八百万の神々に。

 それぞれが異なる言葉で祈りながら、願いは同じだった。


 どうか世界をお救いください。




 ******




 午後三時五十一分。


 世界は、もう止められないところまで来ていた。


 海面がわずかに逆流し始めた。

 ビルの窓ガラスが一斉に鳴り、風が止まる。


 鳥が一羽も飛ばなくなる。

 犬は吠えるのをやめた。

 猫はどこかへ姿を消した。


 動物たちは、人間よりも早く異常を察知していた。


 空を覆う『亀裂』は、もはや青空を青空として認識できないほど広がっている。

 誰もが見上げていた。


 老人も。

 子供も。

 兵士も。

 政治家も。



「……コンビニって、シャッターあるんだな」



 そして、都内のあるコンビニでは、アルバイトが退勤準備をしていた。



「ゴミ出し、頼む」

「へーい」



 閉店まで、あと九分。




 ******



 午後四時四十九分。



 パリーンッ!



 空は、完全に割れた。

 空だった向こう側に、無限の闇が広がる。


 人類は初めて、『終わり』を見た。

 その瞬間だった。


 新宿のある町中華の入口が開き、親父が出てきた。


 手には一枚の貼り紙。

 親父は慣れた手つきで、それを入口のガラス戸に貼る。



『冷やし中華 始めました』



 墨で書かれた、やけに達筆な文字。



「へへっ……。夜には間に合ったぜ」



 親父は、満足げに鼻の下をこする。



「にょほほ! 勇者よ、来てやったぞ! 

 お前が自慢していたヒーヤシチュカーはどこじゃ!」



 世界にロリ声が響いた。




 ******




 午後五時三十分。



「にょほほ! こりゃ、美味いの!」



 新宿のある町中華で、ゴスロリ少女が冷やし中華を一心不乱にすすっていた。




「ほら、魔王ちゃん。こぼしてるわ」

「ぬぬっ!? すまぬ!」



 都庁の屋上にいた女子高生が、ゴスロリ少女の口元を拭く。



「親父さん、ギョーザ一枚追加ね」

「あいよ!」



 そして、都庁の屋上にいたもう一人の青年は、ビールジョッキを傾けていた。



『終末現象と思われるものは、現在停止しています。原因は不明です』



 店の隅のテレビでは、何やら偉い人が汗を拭いながら会見を開いている。

 だが、この店では関係なかった。



「にょほほ! 追加じゃ!」

「もう三杯目よ。まだ食べるの?」

「当然じゃ!」

「あっ、ザーサイもお願い」

「お前は、酒が飲めるようになっても、ザーサイだけは子どもの頃から変わんねーな」



 親父は満足げに頷き、新しい冷やし中華を作り始める。

 店の外では、夕暮れの風が暖簾を揺らしていた。


 夏が、始まる……。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ