第六話
時は巡る。ルミエラは10歳を迎えた頃、今の母が死んだ。昨年祖父母が死んだことに続く、突然の死だった。驚きはしたが、悲しくはなかった。何しろルミエラは母に愛された記憶を持たない。元兄である父同様、ルミエラの名前を呼んだことさえ数えられるほどにしかない。
1年が経ち母の喪が明けると、即座に父は愛人とその娘を連れてきた。屋敷は騒がしくなったが、基本的にルミエラは用がなければ部屋から出ないので数日は会わずに済んだ。とはいっても数日である。魔法院に再び行く用事があって昼時に部屋を出ると、昼餐室の前で3人と鉢合わせた。
「……いたのか」
「はい。閣下におかれましてはご機嫌麗しく」
「挨拶せよ。今日からお前の母になるリラだ」
「は、初めまして、わたし、リラといいます!」
「初めまして。ベルローズと申します」
リラという女は、年にも地位にも似つかわしくない無邪気そうな女だった。盗人に、どこか似ている。その娘は、父譲りの青い髪と女譲りの紫の目をしており、顔立ちは女に似ていた。母譲りの水色の髪、父譲りの金の瞳を持つルミエラとは、まるで似ていない。ルミエラと1歳しか違わないから社交界では好奇の眼差しを浴びることになるであろうが、この場合ルミエラは哀れな被害者という扱いになるので構わない。
「ベルローズさん、よろしくね。わたしをほんとうのお母さんだと思ってくれたら嬉しいわ。こっちは娘のヴィオレット。仲良くしてあげてください」
「初めまして、ベルローズ様。ヴィオレットと申します」
挨拶を受けて、ベルローズは目を細めた。てっきり父や愛人のようなお花畑の住人かと思っていたが、カーテシーは見苦しいところがなく、ベルローズを姉とも呼ばなかった。
「先に申し上げておきますと、わたくし、一度も公爵閣下を父と思ったことはございません。ですので屋敷ではこれまで通りお過ごしください。わたくしはいないものとして扱っていただければ結構でございます」
微笑みながら言うと、呆気に取られたように愛人は口を開け、父は不愉快そうに眉を寄せ、ヴィオレットは俯いた。
「それでは失礼いたします」
宣言通り、ルミエラはこの3人家族に近づこうとはしなかった。お花畑の住人とは、会話するだけで疲れるものである。唯一、ヴィオレットはルミエラに気づくと略式ながらも礼をし、必ず敬語で敬称をつけて話すため、彼女との時間は苦ではなかった。とはいえ父が嫌がるため、ヴィオレットとルミエラが話をすることはあまりなく、同じ屋敷に住む他人以上にはなりえなかった。
そうして1年が経ち、ルミエラは貴族学園に入学した。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、ザイツェフェルト様! お聞きになりまして? 最近アシュクロフト商会が新しい型のドレスを考案したとか」
「ええ。既に当家では仕立てさせておりますわ」
「流石ですわ! ザイツェフェルト様は何を着てもお似合いになるのでしょうね」
「うふふ、そんな風に褒められたら舞い上がってしまいますわ」
王妃の姪にあたるルミエラは同学年の中で最も高い地位であるため、すり寄ってくる者が後を絶たなかった。目に見えて御機嫌取りをしようとしてくる者たちは、家の付き合いで必要な者だけを傍に残し、後は遠ざけた。取り入りに失敗した者たちが裏でルミエラを悪罵していることもあったが、鈍磨した心では痛くも痒くもなかった。打算なく付き合える友人など存在しなかった。
「ザイツェフェルト様、中庭の紫陽花が見頃だそうですよ。今日はそちらで昼食を食べませんか?」
「......いい考えですわね。そうしましょう」
中庭の中央には大木が生え、中庭の外縁には四季折々の花々が植えられている。春にはバラや桃の花が咲き誇っていたそこは、今はすっかり装いを変えていた。
「美しいですわね」
「ええ、ほんとうに。秋にはコスモスが咲くと聞きましたわ。またその時期に来てもよいかもしれません」
中庭のベンチに腰を下ろし、たわいない話に花を咲かせる。笑顔を絶やさなかったが、ルミエラの心は沈んでいくようだった。
盗人はこの中庭を好んでいた。毎日のようにこーりゃくたいしょーたちとお茶をしていたものである。はしたなく声を上げて笑い、手ずから花を摘む情景を否が応でも思い出した。
至るところに盗人が見た情景があることが、ルミエラを常に苦しめた。
勿論、そんな素振りを見せはしない。学年一位の座も、譲らない。何しろ学ぶのは2回目なのだ。15も年下の子らに負けてはたまらない。
「ザイツェフェルト様は今日の放課後はどうなさいますか?」
「今日は何の予定もございませんわ。皆さん、お時間がおありでしたら、カフェにでも行きましょうか」
「まあ、嬉しいですわ! 是非御一緒させてくださいまし」
放課後は時と場合によって使い道を分けた。魔法院や王宮からの呼び出しは仕方のないことであるから、それ以外の時間を如何に有意義に使うかに心血を注いだ。取り巻きとの交友関係の維持のために定期的にお茶をし、買い物をし、家庭不和を囁かれないために、理由をつけて早帰りをした。そうでない時は閉館時間まで図書館に籠り、これまで学ばなかった分野にも目を向けた。数学やら物理やら、学術的に難しい内容に頭を悩ませる日も多かった。
そうして1年が経ち、異母妹ヴィオレットが学園に入学した。
その生い立ちから、ヴィオレットには好奇の眼差しが注がれた。ルミエラはザイツェフェルト家に不穏な噂を立てないため、定期的にヴィオレットを食事に誘った。おかげでヴィオレットに対する態度は軟化し、ザイツェフェルト家の醜聞も幾らかマシになった。学園内ではお姉様、レティ、と呼ぶことが暗黙の了解となったが、家では相変わらずベルローズ様と呼ばれた。それに対して、ルミエラは何も思うところはなかった。
「――あの、お姉様」
「何かしら、レティ」
「.......どうか、ご無理をなさらないでください」
「あら? 何のことかしら。わたくしは無理なんてしていなくてよ」
ルミエラは意味が分からず首を傾げた。ヴィオレットは表情を取り繕うことも忘れて、必死の様子で言い募る。
「ですが、いつ見てもお休みされていません。確かにザイツェフェルト家の嫡女としてお忙しいのだろうと推察しますが、それでもいつか休まねば、疲れ果ててしまいます」
「まあ......わたくしを心配してくれるのね。ありがとう。けれどほんとうに大丈夫よ、わたくしはやりたいことをやっているだけなのだから」
「......ほんとうにそうですか?」
小さな声だった。向かい合って座っていても尚、耳を澄ませていなければ聞こえなかっただろう。
「私は――お姉様の心からの笑みを、見たことがありません」
「――…………」
ルミエラは微笑みを保ったまま黙り込んだ。
笑い方など、もはや覚えていなかった。
時は流れる。ルミエラが14になってようやく、婚約者が選ばれた。相手は、ふたつ西の隣国の皇太子だった。
側室制度を設けている我が国と違い、あちらの皇帝と皇太子はそれぞれ後宮を持つという。ルミエラの13歳年上の皇太子もまた、正妃こそ選んでいないものの既に20人を越える妃を娶り、7人の子がいる。
その国は魔石の産出が多く、婚約に伴って拡張された貿易には利益が多い。とはいえ、既に妻子を抱える男の妻に王太子妃の姪を、天才魔法使いを差し出すことには、幾らか王宮で議論されたらしい。反対派が多かったそうだが、父が強引に決めた。ルミエラを視界の外に出すためだろうと、容易く想像がついた。
あちらからの要望で、婚姻は2年後となった。貴族学園を卒業出来ないと聞いても、ルミエラは何も思わなかった。
デビュタントも済ませ、穏やかに日々を過ごしていたある日、盗人こと王太子妃から参内命令が下った。
季節は春めき、嫁入りまで残すところあと1年であった。




