あなたとミードを
「乾杯っ!」
ガツンと木製のコップがぶつかり合って、なみなみと注がれたエールがテーブルの上のナッツを濡らす。
「プハ~ッ、やっぱり討伐帰りの酒は最高だぜ!」
「俺はこのために生きてると言っても過言じゃないね」
「お前はそんなんだからいつまでたっても安宿暮らしなんだろうが!」
エヴァはむくつけき男たちの騒ぐ声を聞きながら、自分のコップを傾けた。
今日は複数パーティ合同での大規模討伐任務であった。エヴァ自身は基本的にソロで行動することが多い魔法弓士だが、後衛としての遠距離攻撃力を期待されて声が掛かったのだ。依頼の報酬が比較的高かったこともあるし、何より大規模任務であればもしかするとあの人も参加するのではないか──そう、期待しなかったとは言えない。
しかし結果はご覧の通り。ちょうど数日前に遠方への護衛任務を受けたらしい彼がここに来るはずがないと知ったのは、依頼を受けたメンバーが集められた早朝のギルド前でのことだった。
幸い任務自体は至極順調に進み、こうして無事に戻って来ることが出来たというわけだ。
「おいおいエヴァよ、そんな端っこに隠れてないでこっちで一緒に飲もうぜ!」
「そうだそうだ。エヴァの弓は相変わらず凄かったもんな~」
「前衛があんだけごちゃごちゃやってる中でも百発百中で魔核を狙ってくるんだから、流石の腕だぜ」
今度は私を酒のつまみにしようとでもいうのだろうか、同僚の冒険者たちがこちらに絡みだす。やはり打ち上げには参加せずまっすぐ帰るべきだったかと思いつつ、コップを置いて口を開いた。
「……脳まで筋肉が詰まっているような方たちは、基本的に動きが読みやすいのでありがたいです」
途端、ギルドの酒場がしーん……と静まった。
「ンン"っ……! まあ、エヴァの腕には助けられたよ、ありがとうな! よし、マスター! 強い酒くれっ、すぐ酔えるやつだ!」
「──店の中壊すンじゃねぇぞ」
いつも私はこうなのだ。分かりやすい動きでこちらとしてもやりやすかったと伝えたかっただけなのだが、どうやら言葉を間違えてしまったらしい。今でこそそれなりのランクになったし、絡まれることもなくなったけれど。冒険者になりたての頃はなかなか酷かった。孤児院出身で碌な言葉遣いも知らなかったし、基本的に学がなかったのだろう。珍しい魔法弓士に興味を持った冒険者たちがパーティメンバーに入らないかと、周囲からは沢山の誘いの声が掛けられた。それに対して思ったことをそのまま返していたら、だいたい相手が激昂してしまい暴力沙汰に発展してしまうのだ。こちらから手を出したことはないから、ペナルティを受けるのはいつも相手の側だったけれど。そのせいで、新人冒険者に必須の教育係を誰も受け入れてくれなくなってしまったのだった。
「そういやあのエルフの兄さんは今回参加してなかったな」
「ああ、オリヴィエさんは今王都までの商隊の護衛に行ってるらしいぜ」
「なるほどな、あそこの商隊長の娘は美しいエルフに首ったけって噂だもんなぁ」
「王都でしっぽり楽しんで帰って来るってか? カーッ、羨ましいぜ……!」
たった今頭に思い浮かべていた人の名前が聞こえてきて、びくりと肩が揺れる。
オリヴィエ──それはエヴァが会えるのを期待していた相手でもあり、このギルドでもトップクラスの高ランカーであるエルフの冒険者の名前だ。
エルフは「エルフの里」と呼ばれる山奥の集落からほとんど出てくることがなく、豊富な魔力と確かな弓術、尖った耳に美しい容姿が特徴的な種族である。オリヴィエがなぜ里を出て冒険者をしているのかは知らないけれど、エヴァが新人としてこのギルドにやって来た時には既に高ランカーとして名を馳せていた。そしてそれから数年経ち、少女だったエヴァが立派な成人女性となってもなお、彼の容姿は全く変わっていないのだった。
『──全くなっていないな。まず基礎体力から付け直せ』
『頭を使え。次の動作を予測して動かないと使い物にならん』
『遊びに来ているつもりなら今のうちにさっさと帰れ。冒険者はそれほど甘い仕事ではないぞ』
周囲と上手く関係を作れなかったエヴァの新人教育を受けてくれたのが、オリヴィエだった。同じ弓を主な武器として使うこともあったし、口下手なエヴァに輪をかけて不愛想なのがオリヴィエという人であった。
確かに物言いはキツかったけれど、それでも言っていることは全てその通りだと納得できることばかりで。美しい顔で無表情に告げられる叱責に幾度も唇を噛んだけれども、この程度で諦めるのかとがっかりされたくなくて必死で食らいついていた。そのうちに無表情の中にも僅かながら感情が読み取れるようになり、彼が別段怒っているわけではなく真剣に指導し心を配ってくれているのだと分かったのだ。
街ですれ違ったとき、ちらりと寄越される視線がエヴァの背負った弓を確認していたり。時には実際呼び止められて、弦の張りを調整してくれることもある。任務で一緒になればオリヴィエの技には学べる点が多々あり、尊敬と共に憧れの念が芽生えるのは当然のことだと思えた。
いつだって飄々としており、風のように人と人の間をすり抜けていくオリヴィエを捕まえることなど出来ないだろうけれど……。
「あのオリヴィエに、しっぽりなんて概念あんのかねぇ?」
「ああ~、エルフってなんか性欲とかなさそうだもんな」
「花畑を眺めるだけで満足ってか?」
顔も見たことがない、商隊長の娘さんがオリヴィエと花畑に行く様を想像するだけで胸の奥がチリチリと痛む。
「いやいやそれがよぉ、こないだ薬師のおばぁに聞いたんだけどな。エルフの里には特別な酒があるんだってよ! それを飲めば、あのお綺麗なエルフたちもバッキバキになる媚薬になるんだと」
「おお! そりゃすげぇや! 俺も試してみてぇな~!」
「いやいや、俺ならンなもん使わなくてもバッキバキだぜ? 見てみるか? ほれ、ほれ、ふはははは!」
なんだと、うるせえ、と男たちが騒ぐ中。
エヴァは頭の中にひとつの考えが浮かぶのを止められずにいた。
そんなお酒がもし、手に入ったら──。
首を緩く振り、コップに残ったエールを飲み干した。今夜の酒は依頼主の驕りだと聞いているから、支払いの必要はない。空いた器をカウンターに下げると、エヴァは静かに酒場を後にした。
◇
「特殊薬草の買い付け……」
今日もギルドで依頼票を確認していると、とある一枚が目に飛び込んできた。それが、まさにエルフの里へ行く必要のあるものであったのだ。難易度的にも無理はなく、エヴァひとりでも充分こなせるように思えた。むしろ大人数パーティだと距離や時間の割に実入りが少なくなってしまうため、受ける者は少ないだろう。
もちろんここにオリヴィエがいれば彼に話がいったのかもしれないけれど、生憎彼はまだ長期の護衛依頼から戻ってきていない。順調にいけばあと数日で戻って来るだろうとのことだが、依頼主はなるべく早く薬草を手に入れたいと希望を出していた。
「──これ、受けます」
「ああ、エヴァさんなら安心してお任せできますね! よろしくお願いいたします!」
そうしてエヴァはエルフの里へと向かうことになったのだった。
「あの、こちらの薬草を買いたいのですが」
「ああ、薬師のおばぁの……はい、これで全て揃っていますよ。おばぁにもよろしくお伝え下さいね」
里から滅多に出ないというエルフだから排他的というか人嫌いだったりするのかと思っていたけれど、いい意味でその予想は裏切られることになった。薬草店の店主は美しい容姿でありつつ朗らかな笑みを浮かべ、注文した物もあれこれ説明しながら手早く用意をしてくれた。その他の里ですれ違ったエルフたちも皆、遠くからよく来たねと快くエヴァを迎え入れてくれたのだ。
オリヴィエの不愛想はエルフの特性ではなく彼の個性だったのだなと、彼のことをまたひとつ知れたような気がしてほんの少し嬉しくなる。もしかすると彼が里を出たのはあの不愛想が何か関係しているのかもしれないなと想像し、口内でフフと笑いが漏れた。
朗らかな店主に絆され、エヴァはためらいつつも口を開く。どうしても気になって──忘れることが出来なかったのだ。
「あの……ひとつお伺いしても?」
「はいはい、なんでしょうか?」
「エルフの里には、その……特別な、お酒があるのだと」
「ああ! 蜂蜜酒ですね? ございますよ! まあまあっ、もしかしてお嬢さんにはエルフの想い人がいらっしゃったり……?」
「えっ、い、いえっ、その──お土産! そう、お土産に、いいのではないかと……!」
「あらあらあら……! うふふ、そうね、お土産にミードは大変おすすめですよぉ! どうかそのお相手のエルフに直接お渡し下さいね、これは里の秘伝の酒ですから──」
数日掛けて再び森を抜けてギルドへ戻り、依頼の薬草を収める。さて私も帰ろうか、と踵を返したその瞬間。建付けの悪いギルドの扉がギギィと開き、外の陽光を背負った細身の男性のシルエットが現れた。
「……お前も依頼帰りか」
「オリヴィエさん……お帰りなさい」
「ああ」
長期の仕事終わりにも拘らず、サラサラの銀髪に白い肌。背負った弓はしっかりと手入れを施され、足取りにも迷いはなく受付で依頼完了の手続きを済ませる彼の背中に目を奪われてしまう。
『あそこの商隊長の娘は美しいエルフに首ったけって噂だもんなぁ』
『王都でしっぽり楽しんで帰って来るってか?』
そんなの……嫌だ。
「なんだ、まだいたのか」
「あの、オリヴィエさん……。少しだけお時間いただけませんか? えっと……お土産が、あるので」
訝し気な表情を浮かべるオリヴィエと共に、ギルド酒場に入る。この酒場では酒の持ち込みも許可されているから、一杯くらい一緒に飲むのも良いのではないだろうかと思ったのだ。
あわよくば、エルフの里での出来事を酒の肴に話が出来たらなんて。
「えっと、たまたまエルフの里に依頼があって。買って来たので、これ良かったら一緒に──」
私がミードの瓶を取り出したその瞬間。ハッと目を見開いたオリヴィエは、私の腕を掴みぐっと引き寄せるとその胸に抱き寄せた。
細身なのに、こうして触れると案外筋肉質であることが分かる。力も強くて到底抜け出せそうになく、紛れもなく男性なのだと思い知らされた。
それよりなにより、今なぜこんな状況になっているのかが全く分からないのだけれど……。
僅かに緩んだ腕の力に、そっと顔を上げてみる。頭ひとつ分高いところにある美しい顔は相変わらずの無表情で、新緑のような瞳は獲物を狙う時のように鋭く細められていた。射すくめられたようでいたたまれず、視線を周囲にうろつかせてみる。するとそこは既にギルドでも酒場でもなく、見覚えのないこじんまりとした室内であった。
「ここは……」
「俺の常宿だ」
「……え?」
どうやらあの瞬間に転移していたらしい。転移魔法は膨大な魔力がいるうえに、他者を共に連れて飛ぶのはたいそう難しいらしい。それを無詠唱かつ、相手に気付かせないまま行うとはエルフ様様といったところだろうか。
取り出した際手に持ったままだったミードの瓶がそっと抜き取られる。
「──どうして、これを」
「え、と……オリヴィエさんが帰ってきたら、一緒に飲めたら、って……」
「お前、この酒を異性に渡す意味を分かっているのか?」
抱きしめられたままの腕に、力が籠められる。ドキドキと強く鳴る心臓の鼓動は私のものだろうか。
冗談だと思っていたけれど、これが本当に媚薬なのだとしたら──?
「まあ、いい。例え知らなかったと言っても、今更もう逃がすつもりはないからな」
「──え……?」
エスコートするように小さなベッドへ私を座らせ、オリヴィエはカップボードから小さなコップをひとつ取り出した。腰から抜いた小さなナイフで器用に栓を抜き、コップに酒をトクトクと注ぐ。花のような蜜のような甘い香りが部屋中に広がった。
瓶を置き、注いだ酒を半分ほど飲み下したオリヴィエは、そのコップをそのまま私に向けてぐいと差し向ける。
「──飲め」
「これを、このまま……?」
一緒に飲めたらとは、確かに思ったけれど。
「いいから早く飲め」
困惑しつつもその勢いに負けてコップを受け取ると、私も同じ酒をこくりと飲み込んだ。
とろりとして甘く、酒精が強いのかなんだか頭がふわふわするようだ。
手に持った空のコップはするりと抜き取られ、いつの間にか防具を脱ぎ捨てたオリヴィエにふわりと抱きしめられる。見上げると、その新緑の瞳までもがとろりと解けそうなほどに甘く私を見つめていた。
「──んっ」
ちゅ、ちゅっと唇が合わさって、口内で甘さがどんどん増していく。
どうやらエルフであっても、しっぽりの概念はあったようだ。
◇
窓の外から薄明るい日差しが差し込み、私はぼんやりと目を覚ます。ぎしぎしと痛む身体に昨夜のことを思い出し、途端に頬が熱くなった。
「……起きたか」
「……はい……」
背後から私を抱きしめるようにして寝ていたらしいオリヴィエと共にゆっくりと体を起こす。
「結局、何がどうなって……」
好きだ、離さないとは昨夜散々言われた気がするけれど。なんのきっかけで彼に火をつけてしまったのかが未だに分からないのだ。
「──知っての通り、エルフはお前たちより長命だ。そしてあの酒を分け合い飲んだ二人は、その後の寿命を分け合うことになる」
「えっ! そ、そんな……!」
それではオリヴィエの寿命を私が奪ってしまったことになるではないか。そんなつもりでは決してなかったのに。ただ他の女性ではなく、一時だけでも私を見て共に時間を過ごして貰えたらと願っただけなのに。
「後悔してももう離してはやらないからな。この先のお前の人生は全て、俺のものだ」
「そんなの、私に得ばかりで……! でも、オリヴィエさんの寿命が……」
「好きな相手と共に生きられて、それ以上に幸せなことがあるか。お前が望み、そして俺もそれを望んだ。嫌とは言わせない」
ぎゅっと抱きしめられた腕が痛いほどだ。
強い言葉だけれど、オリヴィエはどこか不安そうにも見えて。
「……嬉しい、です。ずっと、オリヴィエさんと一緒に、生きていきたい」
はぁ、と吐かれた息が私の前髪を揺らす。そのまま額、瞼、頬、そして唇にと口付けが落とされていき、オリヴィエの長く尖った耳の先がほんのりと赤く染まってみえた。
「オリヴィエさん……かわいい」
ぽつりとつぶやけば、その新緑の瞳はいつもに増して鋭く細められて。
「──知っているか? 最初の儀式を済ませた後のミードは、たいそう気持ちの良くなる媚薬としても使えるらしいぞ……?」
クックと喉を鳴らしてご機嫌に笑うオリヴィエからミードの瓶を取り上げられたかどうかは、私たちだけの秘密、だ。