愛する花
彼女は言った
…何も持たない自由をときどき夢見たりするの
…何かをつかんで放さないというのは私の性分ではないから
「本当はね」と彼女は言った
…所有しているものを手放さなすときの寂しさを想像するだけで恐ろしい
…ボロボロのウサギのぬいぐるみみたいになって目を真っ赤に泣き腫らして
…死んでしまうのではないかと
「だから、あの人も所有しないの」
…別れて違う方向に歩いていくときには少し悲しくなる
…けれどもリズミカルな自分の靴音で段々と元気になるの
青白い街灯が連なる暗い道の突き当たりには
明るい光を放射している地下鉄の入口がある
彼女はそこから現実の世界へと帰ってゆく
自分の呼吸音を意識しながら
蛍光灯で煌々と白い地下通路を抜け
改札を通って電車に乗る
規則的な電車の揺れが心地よく感じられるころ
彼女はいつしか眠りに落ちる
私はあの人を愛しているのだろうか
浅い眠りの中でいつも呪文のよう繰り返す
いつか眺めた空を思い出す
遮るもののない大空を
変幻自在に形を変えながら
雲がゆっくりと流れていた
あんなふうに人を愛することができるのだろうか
残照に染まってゆく空
薔薇色の雲につつまれて
彼女は空に溶けてゆく
電車の音はもう聞こえない