義母には従うべきかしら?
「我がカルシュ伯爵家では、主催するお茶会に必ずクルミ菓子をお出しすると決まっているの。侯爵家でお育ちのくせに、そんなこともご存知ないなんて」
刺々しい言葉が、年若いフィーネに向けられる。
そんな伯爵家だけの狭い取り決めは知らない、と反論出来ないのが辛いところだ。フィーネはしおらしく俯いた。
侮蔑の目を向けてくるのは、婚約相手の母親バルバラ・カルシュ伯爵夫人。
彼女は嫁入り当時、"男爵家から伯爵家に嫁いだシンデレラ"として話題になった人物だ。嫁した当初は苦労したようだが、現在は義父母も世を去り、我が世の春とばかりに伯爵家を仕切っている。
「申し訳ありません、カルシュ夫人」
「お義母様、でしょう?」
バルバラが訂正する。
「まったく。侯爵令嬢気分のまま、行儀見習いに来られても、何一つ身に付きませんわ。私が身を粉にしてお教えしているというのに。先代侯爵様と伯爵様で、おかしな縁談を結ばれましたこと」
呆れたように、バルバラが溜め息をついた。
「うちの一人息子パウルは、王女様の婚約相手にと望まれたほどですのよ。侯爵家との約束が先だったばかりに、没落寸前のご令嬢を迎えなくてはならないだなんて。慈善事業も良いところですわ」
没落寸前、とは言い過ぎである。確かにフィーネの実家バルクホルン侯爵領は先般、災害に見舞われ苦しくある。
王家からの助成金や、他家の援助を得、現地は何とか持ち直したが、復旧作業はまだ残っている。
バルバラはそれを指して、蔑んでいるのである。
未来の身内であるにも関わらず、カルシュ家からの支援はなかった。娘を引き取ってやるから十分だろうと言うのが、カルシュ家の了見だ。
バルクホルン領被災地の特産品が、諸国との貿易を担う要で。自国の優位性を維持するため、王国中が必死になって支援した背景までは、バルバラの頭の中にない。
話題に出たバルバラの息子、パウル・カルシュ。
フィーネの婚約相手であるこの伯爵令息は、確かに見目麗しい青年ではある。
が、バルバラが言うように、王家に望まれたかと言えばそうではない。
非公式の茶会にて、王妃が娘の見合い話を出した際、「美形と言えば」とついでのようにパウルの名が出た。その程度の話が巡り巡ってバルバラのもとに届き、周囲のおべっかが加わった結果、"王女の夫候補として挙がった"という自己解釈がなされたらしい。
招かれてその場にいたフィーネは真実を知っているが、バルバラに話すわけにはいかないし、伝えたところで納得するわけがない。
"パウル・カルシュは顔は良いが、知性が足りてない"という世間の評価も、バルバラは気づいてないのだ。
それによって、婚約者であるフィーネが恥ずかしい思いをしていることも。侯爵令嬢フィーネが嫁ぐことによって、ようやく社交界での体面が保てるようになるということも。
とかくバルバラは、フィーネを下に置くことを望んでいる。
(カルシュ夫人は、ご自分が"姑"にされたことを私にしているのだわ)
男爵家から伯爵家に嫁いだバルバラは、さぞ苦労が多かったことだろう。
だからと言って、高位貴族の義母に対する恨みを、嫁になる侯爵令嬢に八つ当たることが正しい有り様だとは思えない。
フィーネもそれがわかっているだけに、バルバラに束縛されるこの時間を、無駄なものだと感じていた。
(クルミ菓子を供すると言っても……。今度の招待客であるエーダー伯爵夫人は、確かクルミ・アレルギーだと聞いたわ。確認次第、厨房に言って作り分けて貰わないと)
作り分けには古参の家令を通じてバルバラに伝えるしか、聞く耳を持たないだろう。
手間ではあるが、自分が直接提言すると彼女は余計に逆上する。
アレルギーは命にかかわることだが、バルバラは"好き嫌い"だと認識している節もあった。
(恐ろしいことですわ)
フィーネは心の中で嘆息した。
何よりまだ、結婚していないのだ。
身分は侯爵令嬢であるフィーネの方が上だというのに、バルバラはまるでわかっていない。すっかり姑のつもりで、あれこれ指図してくる。思い込みの激しい婦人のこと。フィーネの実家は彼女の中で没落したも同然なのだろう。
嫁いでからの関係を考えると、いま逆らうのは得策ではなく、言われるがままに頷いているが……。
肝心のパウルは、母親とフィーネの関係を尻目に沈黙を貫き、自身の自由を満喫している。「家のことは女の仕事」と我関せずだ。
むしろ「フィーネに構うと、母がうるさいから」とまで言っていた。未来の夫はアテにならない。
(両家の約束さえなければ……。私だって好きでもない相手に嫁ぎたくない。──この婚約を、解消したいわ)
家長である父は、数人いる娘たちのうち一人を、祖父の約束の為に差し出しても厭わないかもしれない。だが、こちらは人生がかかっている。
理不尽な姑の元で暮らしていたら、これまで培った教養と常識を捻じ曲げられてしまいそうだ。
フィーネは密かに動き始めていた。
そしてそれは、想定以上の成果を見せた。
「フィーネ・バルクホルン侯爵令嬢、きみとの婚約を破棄する! ぼくはこの愛らしいアガーテを妻にするのだから!」
パウル・カルシュから突然の婚約破棄は、彼の両親が避暑を兼ね、領地の視察に赴いた時に起こった。
カルシュ邸にフィーネを呼び出したパウルが、平民娘アガーテを抱き寄せて宣言。
フィーネは大いに喜び、あっという間に破談に乗ったが、表向きは傷心を装ったため、実父バルクホルン侯爵は怒り狂った。
「カルシュ伯爵家め! よくも我が家に泥を塗ったな! 娘を虚仮にし、先代侯爵の厚意を無下にした報いは受けてもらうぞ」
先代侯爵は、かつて行儀見習いに来ていた伯爵家の息子、現カルシュ伯爵をいたく可愛がっていた。冷淡に見える自分の息子より、人好きのする他家の美少年を大切にしたのだ。
その子が成長し、身分差婚をして社交界から後ろ指を指された時、カルシュ家を箔付けるため、孫娘を嫁がせる約束をしたほどに。
息子としての嫉妬心を抑えて、故人の遺言に従っていたバルクホルン侯爵の怒りは、到底言い表せるものではなかった。
侯爵は、ただちにカルシュ伯爵を王都に呼び戻す。
急ぎの召喚であったため伯爵のみが先行し、夫人には事情が伝わっていなかった。不規則な行程の影響で、その後の伯爵からの伝令は行き違ったようだ。
領地からのんびりと戻ったバルバラは、屋敷に戻る前に立ち寄ったカフェでフィーネを見かけ、いつものように横柄に声掛けた。
「まあ、フィーネさん。着座のまま義母を迎えるなんて。高等教育を受けたと言う割に、挨拶もろくに出来ないのかしら」
バルバラは店内に入るなり、テーブルのフィーネを見下ろして、冷ややかに嫌みを言い放つ。
「こんな人が将来の娘だなんて、恥ずかしくてたまらないわ」
「私の連れが何か?」
横からの低い声に、バルバラは驚いた。
フィーネしか目に入っていなかったが、このナマイキな小娘は、若い男と同席している。
一目見て高貴な身分だと分かる青年は、品のある端正な顔立ちに、鍛えられた身体つき。誰が見ても「美丈夫」と断言出来る容姿をしていて、年老いてきた自身の夫とは、段違いだ。
その青年は、フィーネを"私の連れ"と表現した。
瞬時に苛立ちが、湧き上がる。
「っまああ、なんてふしだらな! 婚約者がいる身で、男性とふたりでお茶を飲んでいるだなんて。一体何をしているの?」
「何か誤解が生じているようですが、夫人。フィーネ・バルクホルン侯爵令嬢の現婚約者は私、ヴォルフラム・クヴァントです」
「クヴァント公爵……? それは王弟殿下のご爵位……?」
記憶を探って、バルバラが零した呟きを、ヴォルフラムは即座に拾う。自身が王弟本人であると肯定した。
「ええ、そうです。カルシュ伯爵夫人は、フィーネ嬢の元婚約者のお母上、でしたか」
現婚約者だの、元婚約者だの、耳慣れない言葉にバルバラは面食らった。
その戸惑いの矛先を、フィーネに向ける。
「どういうことなの、フィーネさん! あなた、うちのパウルと婚約していながら、浮気をしているの? 二重婚約なんて、許されざる大罪よ」
ようやくフィーネが口を開いた。疲れたように、溜め息をつく。
二重婚約などするはずもない。発想が貧困すぎる。
「はぁ……、カルシュ夫人。何もご存じないのですか? 私とパウル様の婚約は、すでに取り消されていますわ」
「は?! どういうこと?」
「過日、パウル様から婚約破棄されまして、婚約はなかったことになりました」
バルバラにとっては初耳だったのだろう。驚きに目を見開いたまま止まっていたが、すぐに唾をのみ下し、口の端を吊り上げて、言葉を続けた。
「そ、そうね、あなたのように劣ったお嬢さんでは、息子だって愛想を尽かして当然ね。王女様こそがあの子に相応しい──」
「パウル様の新しいお相手は、アガーテという町娘らしいです。パン屋の次女だとか」
「な、っ?! パン、屋?」
「街歩きで偶然出会い、以来交際を重ね、めでたく恋人同士になったそうです。詳しくは存じませんが」
パウルは男友達と市井へ繰り出すのが好きだった。彼が遊ぶ居酒屋に、パンを納品しに来たアガーテと出会ったのは"偶然"という名の"運命"。
──を演出した、フィーネの"計略"。
あえてフラれる形を取ったのは、そのほうが"父が報復に燃えるだろう"と判断したから。
フィーネからパウルを切ると、「貴族娘の勝手は許さん」と叱られかねない。自分が多少恥をかいても、パウルを動かした方が話が進む。
パウルは、小柄でミルクティーブラウンの髪色の少女が好きだ。
自身が母親譲りの茶髪なので、豪奢な金髪を持つフィーネには気後れするらしい。引け目を虚勢で誤魔化す点は、母親とよく似ていた。
「まさか平民の娘と恋仲に? そんな馬鹿な。到底身分が釣り合わないわ」
バルバラが戦慄く。かつて自分が言われ続けたことを、彼女は平然と口にした。
フィーネが淡々と補足する。
「パウル様は、"父のように自分も真実の愛の相手と結ばれるんだ"と主張されてましたよ。彼は婚約破棄を叫びましたが、わたくしの瑕疵になるので、我が家の力で表向きを"婚約解消"としました。ですが、父はこの裏切りに大層激怒しておりまして、莫大な違約金と慰謝料を伯爵家に請求しております。……カルシュ家の女主人であられるのに、知らされていなかったのですか?」
「な……、な……」
知らない、そんなことは一言も聞いていない。
屋敷に戻る前、休憩に立ち寄った店で、まさかそんな重要な話を聞くことになるなんて。
震えるバルバラに、ヴォルフラムが駄目押した。
「理解されたならお引きなさい、カルシュ伯爵夫人。あなたが話しているフィーネ嬢は、侯爵家のご令嬢。分をわきまえるべき相手ですよ」
店内のひそひそ声に見送られ、従者に支えられるようにして、バルバラは蹌踉けながら店を出た。帰宅した後には、嵐の渦中にある伯爵家で、また叫び倒すことになるだろう。
正直、かの家は存続の危機ともいうべき状況にあるのだ。今回のことで、財産の大半を失う。
平民との婚姻を望むパウルは除籍確定。しかし後継ぎは他にいない。
他家から養子をとるにしても、二代続けて評判ガタ落ちの伯爵家に、我が子を提供する貴族がいるかどうか。カルシュ家と関わるだけで、社交界から弾かれるのは目に見えているのに。
末はおそらく、爵位と領地を国に返納する結果になることだろう。
フィーネとヴォルフラムが目を合わせる。
「ふぅ──っ。こう申し上げては何ですけど、カルシュ夫人とは良好な関係を築けそうになかったので、ご縁がなくなりホッとしました」
「聞きしに勝る態度でしたね。フィーネ嬢、さぞかし苦労されたことでしょう」
「過去のこととして、忘れますわ。これからはヴォルフラム様に相応しい女性となれるよう、一層励んでまいります。わたくしにとって、実りのある努力ですもの」
「では私もさらに頑張らなくては。こんなにも完璧で、魅力的なフィーネ嬢が妻となってくださるのですから」
ヴォルフラムが微笑むと、フィーネがポッと頬を染めた。
「でも驚きました。あなたから"業務提携して欲しい"と、ご提案を持ち込まれた時には」
「あっ、あれは……。厚かましく、はしたない振る舞いをしてしまったと反省しています」
パウルと破談すれば、年齢的に次の縁談が来ないことも覚悟した。「ひとりでも生きれるように」と事業を立ち上げたフィーネは、幼い頃に慕った"お兄さま"に話を持ち掛けた。
心ひそかにずっと憧れていた、初恋の男性。
母方の親戚にあたる相手だが、身分は王弟だったため、突然の面会に快く応じて貰えただけでも奇跡なのに。
まさか提案を受け入れて貰えるなんて。
そこからトントンと話が進み、フィーネがフリーになった途端、婚約を申し込まれるとは、予想もしてない展開だった。
夢のような申し出に、フィーネは感激した。
父、バルクホルン侯爵も良縁を歓迎し、新しい婚約はすぐに成立した。
「はしたないだなんて、とんでもない。あなたの勇気に、とても感謝しています。おかげで私は、"愛する人が隣にいる幸せ"を知ることが出来ました。それにご提案は、実に素晴らしかった。我が領の売り筋商品であるリヴァの実のオイル。その採油後の実を、家畜の飼料に回せば肉の臭みが消えるなど、思いもしませんでした。これまで廃棄していた絞りかすを、バルクホルン侯爵家で買い取って貰えるとは」
リヴァの実を絞って油になるのは、ほんの一割。九割は"かす"として廃棄するしかなかった。
そのかすを、フィーネは家畜の餌に転用したのである。出荷前の少しの期間、給与するだけで劇的に肉の旨みが変わる。
「こちらこそ安くお譲りいただけて、助かっております。バルクホルン領は今期の災害で、家畜の飼料も不足しましたから……。薫り高いリヴァを飼料に転用出来ればと思いついたのです。リヴァを食べた家畜の肉や加工品は高値で取引きされ、災害の損害を早く埋めることが出来そうです。殿下のお力添えを賜り、父も大喜びですわ」
フィーネが華やかな笑みを咲かせる。
バルクホルン侯爵領は、畜産で名を馳せた土地だった。
災害の影響は大きかったが、生産品に付加価値をつけたことで、新たなブランドを誕生させるに至った。
評判は上々。新しい主力商品として、注目されている。
「幸運の女神を自ら手放してしまったカルシュ伯爵家は、深く悔いていることでしょう」
ヴォルフラムが言うと、フィーネは首を傾げた。
「さあ、どうでしょうか。カルシュ夫人はじめ、あの家の方たちは、私が意見を述べることを良しとしませんでしたから」
(気づかないまま、突如訪れた不幸を嘆くだけではないかしら)
だがもう、フィーネには関係のない話だ。
視野の狭い、かりそめの姑との縁は切れた。ずっと婚約者に向き合わなかった、パウルとも。
大勢の人々に祝福され、フィーネは翌年、王弟ヴォルフラム・クヴァントのもとに嫁ぐ。
リヴァの実のかすは、後に堆肥としての利用も開始され……、クヴァント領とバルクホルン領は"豊穣の地"として、広く世間に知られることになったが。
カルシュ家の面々がフィーネの活躍を知ったのは、伯爵家没落後の話である。
お読みいただき有難うございました!
うちの義母は良い人です! あとパン屋さんは大好きです! 念のため(笑)
作中「リヴァの実」のモデルはオリーブです。なぜ「オリーブ」と書かなかったかというと、それ書くと「搾りかす」は乾燥させてから飼料にするので"乾燥期間"。そして出荷前のいつから与えるという細かな日数が出てしまうので、(業務提携の提案が婚約破棄前としても)、バルバラが領地から帰ってる間の出来事、と誤魔化しにくくなってしまうのでボカしました。
オリーブ牛とかオリーブ豚とかオリーブ地鶏とかあってどれも絶品ですが、私のおススメはオリーブハマチです。見かけられましたらぜひご賞味ください♪(牛肉は二か月、ハマチは15日与えるそうです)
★誤字報告有難うございます!「給与」ってお金のことのようですが「飼料給与」…飼料は給与を用いるようです。紛らわしくてすみません。
アレルギーの概念は1905年(ウィーン)、日本では1970年前後だそうです。そちらは《ゆるふわ設定》でお願いします。
あと王弟は末弟で20代半ば、フィーネは10代後半くらいのイメージです。親戚のお兄ちゃんて良いよねー(*´艸`)
2024.08.15.12:46追記 感想欄にお言葉いただきましたのでラフです。フィーネ・パパの十代の頃。
お話を楽しんでいただけましたら、下の☆を★に塗り替えて応援いただけますと大喜びします! どうぞよろしくお願いします(∩´∀`*)∩