動物をどうして虐められるのか
私はフェレットくんを一本飼っています。
仕事でムシャクシャして帰った時など、アイツを虐めてストレス発散してやろうと本気で考えていることがあります。
私が帰っても、フェレットくんは大抵お迎えに出て来てはくれません。
先代の子は必ず迎えに出てくれたのですが、この子はアホなので、『飼い主帰ってきたー!』みたいに喜んではくれません。
よーしよし。それでいい。
これから私は貴様を虐待して仕事の鬱憤を晴らすのだからな。
そう考えていると、ひょっこり顔を出します。
ベッドの隙間に作っているらしい彼の寝床から、ちっちゃくて細長い姿を現して、『おう、帰ったか』みたいに、偉そうに。
この姿を見た瞬間、私の殺意がどこかへ吹き飛び、かわりに光のような笑顔が舞い降ります。
「かわいい!」
『おう、おれはかわいいぞ』
「なんでそんなかわいいの!」
『おれはフェレットだから、かわいいんだ』
「もー、嫌なこと全部どーでもよくなっちゃった!」
『おれもどーでもいい。ファー……、よく寝た。早くミルクをくれ』
動物って、どうしてかわいいんだろう。
『無垢』とかよく言われるけど、人間社会の嫌なことを一瞬で忘れさせてくれて、何もかもどーでもよくさせてくれてくれる力があります。
もちろん動物が好きでない方がいらっしゃるのをおかしいとは思いませんが、かわいい動物のキャラクターを見て『気持ち悪い』とか思われる方はたぶん、いないでしょう。美少女キャラクターを見て『二目と見られないブス』と思う人がいないように。
好きか嫌いかは別として、あとよほどマニアックなものは別として、ペットとして飼われる哺乳類なら、誰でもおそらくその見た目を『かわいい』とは思うのではないでしょうか。
子猫や子犬、動物の赤ちゃんは特にかわいいですよね。
あのかわいさって、私はある意味『防御力』なんじゃないかと思います。
とても弱くて、守ってあげたくなる──
誰もあんなかわいいものに危害を加えることなんてできない──
そんな意味での防御力。
私、うちのフェレットくんにとんでもないイタズラをされたり、大事なものを壊されたりしても、どうしても彼に手を上げることは出来ません。
もう3歳。人間でいえば37歳ぐらいのおじさんですが、立派にかわいい防御力があります。
たまに誤って踏んづけてしまいますが、そのまま足をどけずに体重をかけ続けていたら簡単に殺せてしまいそうなか弱い生き物ですが、絶対に暴力なんてふるえません。
猫を虐める人がいます。
バットで打ったりするそうです。
私の愛猫はバイクに轢かれて死にました。逃げるうちの子を追いかけて轢き殺していったのだと、隣のおばさんが目撃していて、私に教えてくれました。
なぜ、そんなことが出来るのでしょう。
弱いものを虐めて何が楽しいのでしょうか?
また、飼われているペットなら、その子をとても愛している飼い主がいます。
その人の心のことを考えないのでしょうか?
人間って、弱くてバカで、完璧じゃないけど、愛すべきものだなあ……
そう思える小説はありますし、私も好きです。
愛すべきものだと思えない主人公でも、よくよく読み進めれば、その内に悲しい過去や、行動と相反する欲求を抱えていたりして、しみじみとしたりもします。
でも、動物を虐める人には、そういう『愛すべきもの』をまったく感じません。
どうして弱いものを虐められるのでしょう。
相手がトラやライオンだったらヘコヘコするのでしょうか。
人間の赤ちゃんでもバットで打ったりバイクで轢いたり出来るのでしょうか。
そういう人間の内面を描いた小説とかなら興味をもって読むかもしれませんが──
きっと『愛すべき』とは思わず、ただ一方的に憎むだけだと思います。
お金が絡んでいるのならわかります。愛すべきかどうかは別として。
そうでない人は、ただ自分の快楽のために、動物を虐めることが出来るというのでしょうか。
私にはまったくわかりません。