ブライゼル、可愛い令嬢を慰める
お久しぶりです。
誰が可愛いんでしょうね?
「⋯⋯な、なん⋯⋯?え?」
ブライゼルがのしかかっているニューデルは、自身の魔法が霧散した事が信じられなかった。
周囲の人間にも理解の及ばぬ事である。まさか、素手の令嬢が拳圧で以って水弾を吹き飛ばしたのだから。
当のフレデリカは、そんな事はお構い無しに倒れたブライゼルに手を貸していた。
「シュエット先輩、立てますか?」
「はい⋯⋯また、助けられてしまいましたね」
「いいえ、助けてくださったのはシュエット先輩です」
ブライゼルの小さな手を大きな手で包み込んだフレデリカは、小さく深呼吸をして再びニューデルと対峙した。
そんなぎらっと剣呑な光を帯びる眼差しで睨まれたニューデルは震え上がった。それは正しく捕食者の瞳であり、ニューデルはただ喰われる事を待つだけの鼠であった。
だが手を繋いでいるブライゼルは、フレデリカの手が冷たく小刻みに震えている事に気付いた。だからブライゼルはフレデリカの勇気を後押しする為に繋いだ手を優しく握った。
フレデリカもブライゼルの意図を理解し、視線だけをブライゼルの顔に向けて小さく頷いた。そして再び、更に決然とした眼差しをニューデルに向けたのだ。
「確かに、私には魔力は御座いません。それを憂えた両親はあらゆる伝手を頼り、貴方様との婚約を整えてくれました⋯⋯でもそれは今間違いであったと、両親には申し訳ありませんがはっきり申し上げます」
フレデリカは一度大きく息を吸い込み、そして大型の肉食獣の如き迫力で吼えた。
「私、自分が大した事も無いのに誰かを貶す方なんて嫌ですの‼︎そもそも私の魔力が無い理由も知っている癖に、魔無し魔無しと⋯⋯能無しの貴方はお黙り遊ばせ‼︎‼︎」
その叫びはびりびりと大気を震わせ、見えない圧が飛んだ。
自分を対象とした恫喝だった訳でも無いのに、食堂に居た多くの生徒が縮み上がる迫力であった。実際ニューデルは「かひぃっ⁉︎」と、身体中の空気が抜ける音を出し、下から体液を垂れ流しながらそのまま後ろに倒れ込んだ。それだけ正面に相対したフレデリカは、恐ろしかったのだ。
「ウラガン嬢、頑張りましたね」
「⋯⋯シュエット先輩」
食堂内で唯一、フレデリカの恫喝に平気で居たのはブライゼルだけだった。
ブライゼルは肩で息をするフレデリカの手を両手で包み込み、優しく労った。
「貴女が魔法を圧倒する力を手に入れるまでの努力。僕には計り知れませんが、誰よりも血の滲む様な事を為されたのでしょう。僕には貴女が誰よりも眩しく見えます」
「そう言って頂けて、幼い私も報われましょう⋯⋯」
フレデリカは倒れ込んだニューデルに目を向けた。ニューデルは白眼を剥き、穴という穴から体液を漏らすと云う醜態を晒して失神していた。
「⋯⋯幼い時は、この人が本当に恐ろしかったのです。訳も分からない理屈で魔法の的にされて、私だけで無く弟にも両親にも、高圧的に接するこの人が」
ニューデルの理屈としては、「魔力の無い出来損ないを引き受けてやるのだから」と言った所だったのだろう。
「⋯⋯こんなに頑張って力を付けたのに、体が震えてどうしようもありませんでした⋯⋯勇気を出せたのは、シュエット先輩のお陰です」
「えっ⋯⋯い、いえ⋯⋯頑張ったのはウラガン嬢ですよ。恐かったのに勇気を出したのですからね」
こんな情け無い姿を大衆に晒した以上、プライドの無駄に高いニューデルは領地に帰るだろう。
結果としてはかなり良いのでは無いだろうか。これでフレデリカの学生生活も、将来の結婚も、ひとまずは光明が差したと云えるのだ。そう思ってブライゼルは微笑んだ。
それはブライゼルだけでなく、テュエリーザとアルベルトも同感であった。2人も満面の笑みでフレデリカとブライゼルの肩を叩く。
「素晴らしい勇気だったぞ、フレデリカ!もしニューデル伯爵家が何かを言って来ても安心すると良い。王家として、君の友人として証言しよう」
「そうだね。ニューデル伯爵家は特に必要じゃ無いし⋯⋯カワラタケの方がうちとしても重要だね!」
男爵家令嬢に掛けるにはなんとも過分な言葉である。フレデリカも恐縮して、大きな体を縮こまらせた。
「私の様な身分の者に⋯⋯なんて勿体無い⋯⋯」
「照れる君はとても可愛らしいな!此処は空気が悪い⋯⋯さあ、外のテラス席に移動しよう!」
もう邪魔をされては堪らないと、テュエリーザはフレデリカが押していたカートをさっさと押し始めた。そんな雑用を王族にさせてはならないと、フレデリカはテュエリーザを止める。
「そ、それは私が!」
「良いんだ良いんだ。それよりも先に行ってテラスの空いてる席を取っておいておくれ」
「か、かしこまりました」
テュエリーザの優しい命令に、フレデリカは食堂出てテラスへと向かって行った。そして小走りのフレデリカのすぐ後ろに、テュエリーザは猪の如く追随して行った。カートをひっくり返すのではないかと、傍目から見てハラハラしてしまう。
「⋯⋯それじゃあ僕はブライを支えて移動しようかな?」
「ア、アルベルト様⁉︎」
「時間を使ってしまったからね。早く食事にしよう」
「す、すみません⋯⋯」
確かにこのままでは昼休憩が終わってしまう。ブライゼルは不敬だと思いつつも、甘んじてアルベルトに肩を借りて移動する事にした。
大人しく肩を借りるブライゼルに、アルベルトはご機嫌である。
「ブライ、カワラタケはいい子だね」
「そ、そうですね」
「エルとは後1年⋯⋯僕達の最後の1年は少し寂しいかなと思っていたけど⋯⋯まだまだ楽しくなりそうだね」
愉快に笑ったアルベルトを少し恨めしく思いながら、ブライゼルは見抜かれている事に赤面した。
4人はほのぼのと楽しそうに食堂を出て行ったが、食堂に残された生徒達は困惑の極みであった。
確かに発端は愚かなジュリアン・ニューデルである。しかし、貴族どころか人間としてこんな醜態を晒してしまった伯爵子息に皆同情した。
──ありゃあ恐いわ。
ブライゼルはフレデリカが震えていた、怯えていたと言っていたが、どう考えても恐ろしい思いをしたのはニューデルである。