ブライゼル、松葉杖を振り上げたいのを我慢する
「な、何なんだ一体!おま、お前、ぼくが誰か分かって割り込んだんだろうな⁉︎」
ニューデルは目の前の女子生徒の大きさに恐怖していたが、それよりも無視されて放置された怒りが先に来た。失礼にも人差し指をフレデリカに突き付け、己の身分で以って恫喝したのだ。
お笑いだがニューデル程度の身分は学校に大勢居るし、何より目の前には王族と公爵家の者が居るのだ。そんな恫喝は吹けば飛ぶ様なものなのだが、ニューデルは気が動転していた。
どうしようもないなと、テュエリーザがニューデルに注意をしようとすると、なんとフレデリカがニューデルの前に立ったのだ。
「よく存じております。ジュリアン・ニューデル伯爵子息様」
「は⋯⋯⁉︎」
「お会いしなくなって7年です。確かに私は様変わり致しました。貴方様はそこまでお変わり無い様で安心致しました」
「な、7年?」
ニューデルは本当にフレデリカが誰であるか分からない様で、目を白黒させながら首を上下に振り、フレデリカを頭の天辺から爪先まで確認した。
そのニューデルの視線にフレデリカが震えた事に気付いたのは、ブライゼルだけだった。フレデリカは震えをすぐに抑え、誰が見ても完璧だと言うカーテシーを披露した。
「お忘れですか。貴方の婚約者のフレデリカ・ウラガンで御座います」
婚約者。
なんとも言えないパワーワードがフレデリカの口から飛び出し、ひそひそと此方の動向を窺っていた生徒達のお喋りが掻き消えた。食堂は全くの無音になったのだ。
松葉杖で移動していたブライゼルも、思わず足を止めてフレデリカを見詰めた。フレデリカに婚約者が居るかどうかは考えていなかったが、それがまさか大嫌いなニューデルだとは知らなかったからである。
ニューデルも信じられない様に口をぱくぱくと開閉させ、猫背故に前傾した首を更に窄めて叫んだ。
「う⋯⋯うう、嘘だ⋯⋯!貴様が魔無しのフレデリカだと⁉︎」
「嘘では御座いません、確かに私がフレデリカ・ウラガンです。7年前、最後にお会いしてから私は忙しくして貴方様とお会いする事は一切致しませんでした。その事に尽きましては私の責で御座います。申し訳御座いません」
フレデリカはカーテシーを止めて直立し、ニューデルに対して胸を張った。その姿は誰よりも堂々としていて、ブライゼルは心が震える程感動した。
「私、ニューデル伯爵子息にお願いが御座いますの」
「は、はぁ?お前なんかがぼくにお願いだと⁉︎第一ぼくはお前との婚約を破棄したいんだ!」
「⋯⋯破棄。婚約を」
「そうだ!今此処で宣言し、殿下方にも証人になって頂こう!」
ブライゼルは昨日テュエリーザがした話を思い出した。
確か、ニューデルが婚約を破棄すると騒いで入学式を台無しにしたと云う話だった筈だ。そのニューデルが婚約を破棄したい相手とは、フレデリカの事であったのだ。
女性の婚約を一方的に破棄するなど酷い話だ。理由があろうが無かろうが、それは女性側の瑕疵になる。しかもこんな公衆の場で。
これではすぐに噂となって、ウラガン家自体が不利になり兼ねないと云うのに。
「まぁ⋯⋯本当ですか?」
「そうだ!魔力の無いお前となんて結婚して堪るか!泣いて縋っても無駄だからな!」
「ありがとう御座います、ニューデル伯爵子息!私も貴方にそれを伝えたかったのです!」
ところが、フレデリカはその顔を悲しみに歪ませるどころか喜色で溢れさせた。大きな声で食堂全体に聞こえる様に感謝を述べたのだ。
「私から破棄をお願いする以上、違約金等が発生すると思っていたのですが⋯⋯まさかニューデル伯爵子息からそう言って頂けるなんて!」
「なにっ⋯⋯い、いやくきん⁉︎うちは払わんぞ、寧ろお前みたいなのと婚約していたのだから慰謝料を貰いたいくらいだ!」
なんと厚かましい。ブライゼルはやっとテーブルの近くまで辿り着いて思った。
婚約と云う契約をした以上、どちらの家にもメリットがある約定が交わされた筈なのだ。それを慰謝料とは。後ろから松葉杖で突いてやりたくなる。
「ああ、そう言われると思いましたので、私は違約金など不要です。その代わり、そちらに派遣した我が軍隊を退かせます」
「えっ⋯⋯何故だ⁉︎」
「何故って、それが婚約時の契約だったからです。もうそちらの大型魔獣はほぼ狩りましたので、後はご自分達で何とでもなりましょう」
「いや⋯⋯それは⋯⋯」
ニューデルは契約書を読まないタイプなのだろう。自分から婚約破棄を叫びながら、不利になる事があると急にもごもごと何やら言い訳染みた事を言い始めた。ブライゼルには何故ニューデルが口籠もって居るのか、それが何となく解りつい口に出した。
「簡単な話、ウラガン男爵家の軍隊に頼り切って軍の整備なんて碌にしていないのでしょう⋯⋯いえ、もしや既に解体しているのでは?」
軍隊とは金が掛かるものだ。見栄っ張りのニューデル伯爵の性格を思えば、軍に回す資金を接待費用にでも充てているのでは無かろうか。
「んなっ⁉︎そ、そそそ、そ、そんな訳無いだろう‼︎」
「まあ⋯⋯でも、軍が無くとも何とかなりましょう。残っているのは小型の魔獣が殆どで、厄介なのはブルートレザールくらいです」
魔法を使える貴族ならば何とでもなる相手だと、フレデリカは笑うが、ブルートレザールはかなり厄介な魔獣だ。大きさは子牛程もある上に、剣で退治しようと近付くと首の鰓を広げて怪音波を出す。魔法で攻撃しようと思ってもなかなかにすばしっこい。かなりの手練れで無ければ魔法を当てるのは厳しいだろう。
勿論、ニューデルはそんな手練れでは無い。




