ブライゼル、毒茸と猪に振り回される
フレデリカの話と言いながら、別の人間視点って云う⋯⋯
「ああ、今日は胞子が飛ぶいい日だ⋯⋯」
アルベルト・フォン・セレスタインは、空を見上げて呟いた。
本日は快晴、湿度は低くからっとしていて風が強い。これはチャンスだと、アルベルトは屋敷から植木鉢で持ち込んだ茸をバルコニーに出して、からからの風に当てた。
「ごめん、ドクツルタケ。乾燥は悪いって分かってはいるんだ」
アルベルトは植木鉢に生えた白い茸に声を掛けた。茸は湿気を好むが、乾燥は命取りである。しかし種の保存と言うのか、乾燥していると胞子を飛ばすのが茸と云うものなのだ。
アルベルトが何故、愛すべきエンジェルを危険な目に晒すのか。何故なら彼は、この学術都市高等部男子寮近辺⋯⋯いや、この学術都市全体が、この真っ白で美しい茸で埋め尽くされる美しい光景が見たくて堪らないからなのだ。
因みに、ドクツルタケは名前の通りの毒茸であり、一口で天国へ連れて行ってくれる死神だ。そんなものを学術都市に増やそうとしているのだから、テロ行為としか思えない。それでも、学術都市は植生が違うから埋め尽くされるなんて事にはならないだろう。
(それでも、何本か生えて来ちゃうんだろうなぁ)
ブライゼルは胃が痛くなって来た。
実はこの毒胞子テロ、何度も行われているのだ。それは入学した中等部の時から行われており、かの有名なベニテングタケから始まり、ドクベニタケ、アシベニイグチ⋯⋯。本当はツキヨタケも持ち込みたかったらしが、原木を持ち込むのは現実的でないから諦めたようだ。「あの発光する姿を見たかったんだけどなぁ」だなんてアルベルトは言っていたが、あの茸は誤食が多いから本当に良かったと安堵したものだ。
(なんで僕、こんなに毒茸に詳しくなっちゃったんだろう⋯⋯?)
それも全て、ブライゼルが仕えているこのアルベルトが原因だった。ブライゼルは代々セレスタイン公爵家に仕えている、シュエット家の出である。
同い年であった2人は幼い時からの主従関係で、この学術都市も同級生ながら世話役として付いて来たのだ。世話役と云うより、アルベルトのストッパーも兼ねているかもしれない。
出会った時から、アルベルトは毒茸に魅せられた少年であった。何故か食用茸には見向きもせず、絶対に毒茸にしか食指を伸ばさない。
初対面の日は、プランターで育てていたベニテングタケを、それはそれは丁寧に解説してくれた。幼かったブライゼルは訳も分からず、ただ失礼が有ってはいけないとだけ考えて真剣に拝聴したものだ。
漸く毒茸の講演から解放された後、何も言わずに父が頭を撫でてくれた。セレスタイン公爵家はひとつの事に執着する性質があり、現公爵の興味対象は蛙なのだそうだ。恐らく、ブライゼルの父も蛙の講演を辛抱強く聞き続けたのだろう。蛙と毒茸なら、毒茸の方がマシかな?と、ブライゼルは思ったものである。
「アルベルト様、もうすぐ登校時間です」
「え?もうそんな時間?」
「テュエリーザ殿下もお待ちでいらっしゃると思いますよ」
「大変だ。エルは可愛いから、早く行かないと」
アルベルトは死神をシャワー室へ入れ、霧吹きで念入りに湿らせて行った。部屋のシャワー室は完璧に毒茸部屋と化していた。アルベルトもブライゼルも、風呂は専ら共同の大浴場を使用している。
共同浴場を使用するのは基本的に庶民や下級貴族の寮生達なので、ブライゼルは兎も角アルベルトの存在は非常に浮いている。
「お待たせブライ。今日は早く行かないといけないのに、うっかりしていたよ」
そう言ってアルベルトは、ブライゼルから鞄を受け取った。
「いいえ、それより、お早く。テュエリーザ殿下が今にも待ち切れずに下でお待ちになりますよ!」
部屋から出た2人は小走りで、寮を出た。寮の前にはブライゼルの予想通り、白金色の髪を巻いた美女が1人で待っていた。
(王族なのに、なんでこっちを迎えに来ちゃうの⋯⋯!)
ブライゼルの胃がまたギリギリと痛み出す。
この美女はテュエリーザ・ミネ・ユニヴェール。正真正銘、アルベルトとブライゼルの自国、タロス魔法王国の第一王女である。そして彼女は、アルベルトの婚約者でもあった。
「エル。待っててくれたの?」
「おはようアル。⋯⋯待ちきれなくてね、つい来てしまったよ」
まるで男の様に喋る彼女は威厳たっぷりだが、その実態は楽しい事に一直線の猪娘である。従者の1人も付けず暴走する猪突猛進ぶり、この姫様に唯一付いて来たばあやとは、幼い時から苦労を分かち合って来たブライゼルである。
「エル、髪型を変えたの?」
「ああ、私も今日から3年生だしな。かっこいいだろう?」
そう言って、テュエリーザは縦に巻いた銀髪を揺すった。ブライゼルの目からは、かっこいいと云うよりも強そうと云うのが正しく見えた。イメージとしては、扇で口許を隠しながら嫌味を言ったり高笑いするやつである。
「エルはどんな髪型でも可愛いよ?僕のエンジェルみたいにね」
「⋯⋯本当に⁉︎それは最高に嬉しいよ!」
(⋯⋯⋯⋯褒めてるのかなぁ?)
確かに見た目は真っ白で美しいが、毒茸である。毒茸に形容されて喜ぶとは、頭が毒胞子で侵されたとしか思えない。
不思議な言葉で仲良し振りをアピールしている主人達を、ブライゼルは兎に角現実に引き戻した。
「⋯⋯それより、早く参りませんと。新入生は待ってくれませんよ」
「そうだったね、生徒会長の私がしっかりしないといけないのに」
恐ろしい話だが、この猪姫が高等部の生徒会長なのだ。3年生にいる、唯一の王族として担ぎ上げられた訳だが⋯⋯暴走を止める此方の身にもなってほしい。
「そう言えば、アルの傍系からも新入生が来るんだろう?」
「そうらしいね」
「珍しいな、貴族で高等部から入学なんて」
「なんだっけ、何か事情があったみたいだよ」
(⋯⋯あ、これは忘れているな)
アルベルトは、興味の無い事にはとことん興味が出ない男だった。
とある人から話題を掛けられても、興味が無くて覚えていないアルベルトは適当な返事しかしない。そんな時、ブライゼルが然りげ無く耳打ちしたり、会話を明後日の方向へ飛ばしたりするのである。
それでも流石は婚約者、アルベルトの事を知り尽くしているテュエリーザは、後方をひっそりと歩いていたブライゼルに目を向けた。詳しく話せと云うサインだ。
「⋯⋯御入学されるのは、ウラガン男爵令嬢です。ご令嬢はどうやら⋯⋯魔力が無いらしくて」
「なんだって?そんな貴族がいるものか!」
テュエリーザは信じられないと声を上げた。確かに、貴族で魔法が使えないほどの魔力しか無いなんて信じられるものではない。他国ならいざ知らず、魔法王国タロスでは致命的である。
話を聞いた時は養子か妾の子かと思ったのだが、ウラガン男爵令嬢は確かに男爵と夫人の子供なのだと云う。
「兎に角、魔法が使え無いなんて貴族令嬢として致命的です。旦那様からは、くれぐれもフレデリカ・ウラガン嬢を助けて導いて欲しいと、お話しを受けております」
「うん、そうだね、気を付けるよ」
(⋯⋯宛にしないでおきます)
生返事しかしない主人は、やる気のない証拠である。こう云う時は、ブライゼル自身が頑張った方が早い。
(うぅ⋯⋯)
また一つ、その肩に荷物を背負ってしまったブライゼルは、痛み出した胃を左手で押さえた。
天然茸にはお気を付けて。




