この世界の住民は突然生まれ、突然死ぬ。全ては即席で完結する世界である。彼らの生きる意味とは。
即席麺との出会いはたいていコンビニかスーパーだ。人は300円ほどかそこらの値段を払ってそいつを手に入れる。そして、キッチンの戸棚にしまい込み、出番が来るのを待たせる。即席麺とは、そういう存在なのだ。
おそらく、君に彼女なんかがあれば、君の寝室で「ねえ、小腹がすいたな。何かいいものはないかしら?」と君にささやくだろう。
こんな場面がきて、ようやく即席麺の登場となる。往々にして、人生にはそういうポイントがいくつもあるものだ。
即席麺を作るにはお湯が必要だ。ケトルにお湯を入れ、コンロに火をつけて、沸騰するまで待つ。それが終わると、かやくを入れて、お湯を容器に注ぎ、三分待たなければならない。ちょうど、タバコを一本吸い終わるぐらいの時間だろう。
今回の話は、この「即席」にこだわって人類が進化した後の話である。
1958年8月、即席麺の先がけとなる、チキンラーメンが発明された。お湯をかけて三分も経てば食べ物がどこでも作れてしまうという画期的な発明に、世界中の人々が沸いた。その後、この発明を機に、即席ブームが起き、即席子育て、即席政治、即席移動ドア、即席学位と、止まることを知らなかった。果ては超スーパープロスタグランジンの開発により、受精してから三分以内に出産できる、即席新生児なるものまで誕生した。その頃には、即席麺を開発した安藤百福は神と崇められ、もはや神と聞いて釈迦やキリストやアッラーを思い浮かべる人々など誰一人といなかった。