開放された番人
苦しい、とても苦しい。
荒れ果てた妖精の里の門番として、人の神に異形へ変えられた私。肋骨は扉となって私を軋ませ、ドロドロと腐臭を放ち血を滴らせている内蔵は風が吹けば雷に打たれたようにビリビリと痛む。
頭部は門の真ん中に据えられてしまった。
それでも死なないのは妖精王と妖精女王の加護という名の呪いがつけられているから。
今日も妖精の里に入ろうと人間がやってきた。人から見れば桃源郷のように目に映り惑わせる。
「化け物め!門を開けろ!」
石を投げつけられ門を開けるように催促される。若く逞しい男だ。石ならばまだ可愛いものだ。
開けたとしても通り抜けることは叶わない。
助けて、誰か。
お願いします許して下さい。
もう二度としませんから。
どうか!妖精王様!妖精女王様!後生ですから。
あぁ…誰か助けて。
何でもします。何でもしますから。
ここから出して。
『それは真か?』
はい!私に出来る事ならば。
『違えるなよ、妖精の娘。我は人の神』
あぁ人の神様。救いの御方。
『心からの贖罪を望んだ時に するだろう』
え?なんて言ったの、聞こえない!
人の神が予言めいた事を言うと、次の瞬間に私は人の世に落とされていた。無力で呪われた赤子として。
□□□□
「ナンシーだ!」
「ナンシー遊ぼうよ!」
「ナンシー何処行くの!」
私の周りに子供達が集まり、弾かれて楽しそうにゲラゲラ笑っている。
私に施された結界のせいで、突進してくる子供達をびょーんと弾くのが堪らなく楽しいらしい。
この村はとても善良で平和だ。
普通、結界にぶち当たる遊びなんてしないよ。
「危ないよ!あんた達。結界で遊ぶなんて」
「だーいしょーぶだって!なあ!」
「それっ!」
「やめなさいったら!」
ゲラゲラと子供達が呑気に笑う。
あぁ、神様。善良な彼等を守り給え。
□□□□□
王都から馬車で2週間も掛かる田舎に、私は人の神により落とされた。
農夫がいつもの様に朝早く畑に向かう途中、目の端に何か真っ赤な物が映る。
「なんだ?」
恐る恐る近づくと、全身から血が滲み真っ赤な赤子が捨てられている。
「う、うわぁ。こりゃ大変だ!」
農夫は度肝を抜かれたが、直ぐ様赤子を抱き上げて走った。
治療師なんていない村だ、慌てて村の外れに住む魔女に駆けこんだ、魔女は赤子見るなり湯に放り込み使い魔に雑に洗わせている。
それを見て赤子になんて事をとハラハラしている農夫に魔女は言った。
「これは私が預かるよ」
そう言うと魔女は農夫に向かって呪文を唱える。抱いてきた為についた血を洗浄した。
「アンタ赤子の命を救ったんだ。アンタ暫く良い事が起こるだろうよ」
ニタリと笑った魔女がそれはそれは怖かったと。私と会うと必ず命の恩人の農夫は、その時折に手にしてる野菜を私に押し付け、笑いながら繰り返し昔話をするのだ。
村には娯楽がないから仕方がない。
これが私とお師匠様との出会いだ。
お師匠様が私に触れる事は滅多ない。
かなり切羽詰まった必要に迫られての時くらいだ。もし触れたら禊を欠かさない。命に関わるからだ。
あの時の農夫に唱えた呪文は洗浄ではない、上級の浄化魔法だ。そのままにしてたら、数日であの気のいい農夫は死んでいただろう。
私が呪われたリャナンシーだから。私の全てが呪詛の塊なのだ。
私を縛っていた門から無理矢理引き剥がされたせいで全身に切り傷を受けながら落とされた。切り傷が治ってみれば、魂と身体の内に注ぎ込まれたあの穢れと瘴気で赤黒い痣に覆われた醜い赤子の姿。
「全く…なんて厄介な者を寄越してきたよ。聞こえてるかい!貸しは高くつくよ!」
きっと人の神に悪態をつくのはこの魔女くらいだ。魔女は私を見ると憐れむ目を向け。
「いいかい。アンタは今日からナンシーだ。これからはアタシの事はお師匠様と呼びな。
アンタも分かってると思うけど、アンタの全てが呪いだよ。そして簡単には死なないように加護すらついてる。全く…なんて有様だろうね」
お師匠様はブツブツと言いながら色々な事を教えてくれた。
そんなお師匠様の使い魔は書いて字の如く『魔』だ。使い魔として普段は黒猫の形をしているラウルが唯一私に触れても平気なので、その日からラウルに育てられた。
寝て起きてヤギの乳を貰いオムツを代えられ、離乳食を食べてハイハイをする様になり、立ち歩きからつかまりだちと順調に育ててもらった。
見た目と違い私の中身は、常に怠さと不眠と倦怠感と微熱とめまい等、穢れのせいで毎日が体調不良の展覧会。
それでも狂わないでいるのも、死なないでいるのも、妖精王と妖精王妃の加護と呪いだ。
神の手引きで村の端に住む魔女に育てられて早15年。
1番最初にお師匠様から、徹底的に身体の外に穢れと呪いを出さない修行と魔法を覚えさせられた。
普通であれば消費の激しい結界魔法を常にしていられるのも、私の中の穢れや瘴気を使っているからだ。
魔女見習いの灰色のローブの下は顔も手も包帯を巻いている。髪もきっちりと纏めてローブの中に隠している。私という呪詛を直接見て死なれては困るから。
こんな得体のしれない怪しい風貌なのに、村の皆が呑気なのか、人の神が何かしたのかわからないけど、村人はのんびりと受け入れてくれていた。まぁ、高名なお師匠様のお陰もあるけど。
それと私の存在が、ある意味厄落しになっていて、私が村にきてから村から厄災が無くなったのだ。
命の恩人のあの農夫は師匠が言ったとおり、気立ての良い嫁を貰い子供にも恵まれていつも幸せだと言っている。
そんな冬のある日。お師匠様は風邪を引いたと、珍しくここ2日ばかり寝込んでいた。
「ナンシー」
「なに?お師匠様」
「どうやら、少し早めのお迎えがきたようだ」
「は?そんな!お師匠様、もしかして私のせいで!」
「まぁ、少し寿命が削れたくらいで、おまえのせいじゃないよ。ただね、アタシが居なくなるとおまえの瘴気を浄化出来なくなるから。おまえも早めに村から出る事だ」
いや、絶対それは私のせいで命が削れたやつだよ。
初めて悲しみがひたひたと胸に広がる。祖父が殺された時よりも、これが慟哭と言うものか。
胸が潰れる様に痛い。目は霞んで熱いものが込み上げる。自分のせいでお師匠様が死んでしまう。
嫌だ、嫌だ、何処にも逝かないで。どうか、お師匠様。
ポロポロと熱い雫が握りしめた手に落ちる。
そんな私をみて満足そうにお師匠様は笑っている。
「魔女として生きるのでいいし、退魔師も出来る様に仕込んでおいたから、好きに生きな」
お師匠様が辛そうに咳をして、ヒューヒューと肺から空気が漏れる音がする。
「それと、これ預かってたんだ。渡しておくよ」
お師匠様が枕の下から取り出したのは、金色のチェーンに通されているのは空色の鍵だった。泣き濡れたまま手を出すと、そっとその手に落としてくれた。
「これは?」
「おまえがここに来て間もなく、妖精王がやってきていつか渡してくれって言われてたのさ」
「…妖精王様」
「何だかわからないけど、取り敢えず渡したからね…」
「お師匠様?」
スゥスゥとお師匠様から寝息が聞こえ、私な鍵を見つめる。
その日の深夜、お師匠様は黄泉の国へ渡られた。
私が触るとお師匠様が穢れるから、村に人を呼びに行くしかない。村人にお師匠様を任せ、そのまま村を離れるつもりで支度をする。
「行くのか?」
お師匠様が亡くなって使い魔から解き放たれた魔がそこにいた。
「ラウル?」
「ラウルは魔女がつけた契約名さ」
「…そう」
愛くるしい黒猫の姿ではなかった。
圧倒的悪の存在感。
「これが元々の姿さ。元に戻っただけ」
「それで、どうしたの?」
「俺は育ての親だろう。お前と一緒に行く」
「…私の呪詛狙いとか?」
「さあね?魔は気まぐれだ。知ってるだろう」
魔は狡猾で残忍で気まぐれだ。妖精も気まぐれだが、その数倍気まぐれだ。
「好きにしたら?」
「これをやる」
手渡されたのは黒い手袋と陽気な顔のお面だった。
「包帯は面倒だろう」
「あ、うん。ありがとう」
村に行き、村長にお師匠様をお願いした。その足で私は村を去る。ここが好きだ、だから1秒でも早くこの村を去ろうと思う。
ナンシーになってから15年とリャナンシーで生きた200年。
どちらがいいかと聞かれたら。
ナンシーと即答できる。
妖精として、ふわふわと好きな事しかしてこなかった。別れなんて妖精にある訳もない。
妖精は他者に優しくしない、楽しいのも面白いのも自分が楽しくて面白ければ後はどうでもいい。
もう行こう。
私の悲しみで瘴気が増えてきた。
今なら少し理解出来る。
リャナンシーが取り返しもつかない事をしたって。
村を出て、西のグノウの街を目指した。呪詛のせいで何かしら常に体調が悪い。
今日は朝から肺が特に痛い。
真冬の寒さだけではない痛みに涙がでる。咳が止まらず、その場で咳き込むと喉の奥の引っ掛かりがコロンと出てきた。
真っ黒な小石程の魔石が吐き出す。
「魔女が死んで負の感情が溢れたみたいだな」
ラウルが私の影の中から楽しそうに話しかける。何が楽しいのか良くわからないけど、お師匠様から教わった空間魔法を唱える。
『ボックス』
中々に難しい魔法で、目の前が裂けるとトランクひとつ分の空間が広がっている。
ぽいっと魔石を投げ入れて空間を閉じた。
今迄にも、私がうっかり触ってしまい呪具に成り果てた物が投げ入れられている。その空間は呪具同士が反発しあい既に蠱毒の様相だったが、気にしないでさっと空間を閉じた。
きっと人間なら即死レベルだろう。
今日は疲れてしまった。
もうここで寝てしまおう。幸い雪も降っていない、足元に積もっているくらいだ。妖精王オベロン様の加護のお陰でこんな場所で寝ても死にはしないだろう。ただ人が通ってうっかり触られないように結界は2重にしておいた。
雪の中に倒れ、私は意識を手放した。
人の神により落されてから、初めて故郷の夢を見ている。
あの時の呪詛や瘴気は全て私の中にある。
元通りになったかと言えば、答えは否。
空は遮る雲がなく陽の光素はギラギラと降り注ぎ、花畑は干上がりひび割れていた。霊木は全て燃やされ炭と化して黒い姿で針の山の様だ。
全く生命の気配すらない。
これが私のやってしまった事だ。
ぽとりと目から熱い雫がひび割れた大地に落ちた。ぽとりぽとり。落ちた雫は光ると足元から水が湧き出した。
目を覚ますと洞窟の中に居た、暖かくてパチパチと木が爆ぜる音がする。
ラウルが反対側に座り、感情の抜け落ちた顔で焚き火を見ていた。こちらも見ずに気配で感じたのか。
「起きたのか」
「あ、うん。ここは?」
「近くの洞窟」
取り付く島が無い。寒く凍えるよりは暖かいほうが良い。素直に礼を言う。
「ありがとう」
「なぁ、お前。どうすんだ?」
「え?」
「街に向かってるのは分かる、その姿だと叩き出されて終わりだぞ」
「え、そうなの?」
「多分な」
「そうなんだ…」
かといって行くあてもない。
パチパチと爆ぜる音だけが響く。
「俺の世界にこないか?」
「ラウルの世界?」
「もうラウルじゃないけど。まぁいいか」
「私はこの世界にいるよ。誘ってくれてありがとう」
即決かよと、ラウルは呟き頭をかいた。
「俺が魔なのは知ってるよな」
「うん」
「死んだ魔女が、俺を俺の世界から無理やり引っこ抜いた。俺は契約でこの世界に縛られた」
知らなかった。ラウルがこの世界の魔じゃなかったなんて。
「魔女が死んで、そろそろ俺は自分の世界に戻れそうなんだ」
「そっか…」
「だから一緒に」
ラウルが突然かき消えた。
人の神のせいなのか、タイムリミットが来たからなのか、私はまた親しい者を突然失った。
呆然とさっきまでラウルが座っていた場所を見つめる。グラグラと私の足元が揺れる。
不安と悲しみがピークに達すると、突然ゲホゲホと咳が止まらなくなった。
咳が止まらない、喉が焼ける、苦しみもがきながら心から湧き出る思い。
大切な者達どの別れとはこれ程苦しくて悲しくて絶望するものなんだ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
酷い事をしました。
あぁ、人の神様。
私はなんて愚かだったんでしょう。
引き裂かれる思いの中、満足に息も吸えない激しい咳。
『心からの贖罪を受けとろう。そなたを許し、消滅の慈悲を与える』
薄れゆく意識の中で人の神の声を聞く。
ナーシャが居た床1面には黒い魔石が吐き出され真っ黒に埋まる。
指先からサラサラと砂になってゆくのを感じた。痛みもなくこれが慈悲なのかと。
「馬鹿が。勝手に消滅するな」
グイと腕をとられ抱き込まれた。
ラウル?
「いきなり飛ばされた。泣くほど俺と魔女の事を好きだったなんて知らなかったぜ」
私もこんなに好きだったなんて思ってなかった。
「泣くな。迎えに来たから」
抱き抱えられそのまま世界を渡った。
渡った先は不思議な世界だった。
消滅しかけたせいで両手の指先が欠けてしまったし呪いで肌は赤黒く膿んでいるけれど、私が素肌をだしていても誰も死なない。
むしろ私から出る瘴気が心地良いと魔獣に懐かれる。
日々薄れることはない私の瘴気。
魔界。
価値観も違う場所で私は今日も生きている。
ラウルの事は好きだが親を慕うようなものだ。勿論ラウルも長年手を掛けた養い子という感覚だろう。
時折、妖精の里の夢を見る。
里の自然もゆっくりと回復しているようで目が覚めてから安堵の息を吐く。
深い緑色の森の中、門番だった私が居なくなった故郷は人界より閉ざされた。妖精でも人でもなくなった私はいつか鍵を返しに妖精王様に会いに行こう。