番外編7 今度は水族館に行こう(side 翔)
翌々日は久々の休日だった。
十七時を少し過ぎた所で、逸る気持ちを押さえつつ『絵梨』そう登録した番号にショートメッセージを送る。
『駅前にいる。車回すから、会社出たら連絡して』
少しして、電話が鳴った。
ニマニマしてしまう頬を押さえながら落ち着いている風を装って電話に出れば
「心配してくださってありがとうございます。でも、今日はまだ仕事残っていて遅くなるので……」
彼女が想像通りの事を言って来たので
「じゃあ、どこかで時間潰して待ってる。終わったら連絡して」
そう言って一方的に電話を切った。
わざと込み合う場所で車を停止させ助手席を開ければ、空気を読むタイプなのだろう、絵梨さんが困った表情を浮かべながらも隣に座ってくれた。
「SNS見ました。今日誕生日なんですね? おめでとうございます。一緒に食べようと思ってケーキ買って来ました」
そう言って前を向いたまま後部座席を指さした。
流石に引かれただろうか?
ドギマギしつつバックミラーでその表情を盗み見れば、彼女が微かに口元をほころばせるのが分かって心底ホッとした。
「えっと、どうぞ?」
緊張は染るから、彼女を脅かさないよう、さもリラックスしているような振りをして彼女の部屋に上がり込んだ。
それなのに。
彼女が出してくれたミルクティーを緊張のあまり思わず一息で飲み干してしまい仕舞ったと頭を抱える。
しかし、そんな間抜けな俺の姿が面白かったのだろう。
思いがけず彼女が声を出して笑ってくれホッとした。
「開けていいですか?」
ケーキの箱を前にした彼女にそう尋ねられ、嬉しさを隠しきれず思わずブンブン首を縦に振る。
すると上機嫌でリボンを解いた彼女が、箱から出て来た大量の蝋燭を見て顔を引きつらせた。
「こんなに蝋燭立てたらせっかくのデコレーションケーキが穴だらけの悲惨な事になるでしょう?」
ではどうするのが正解だったのだろう?
そう首を傾げれば、彼女が綺麗にケーキの周りを蝋燭で囲って見せてくれた。
ちゃんと忘れず準備してきたライターで蝋燭に火をつければ、彼女が立ち上がり間接照明だけ残し部屋の電気を消した。
たったそれだけの事なのに。
思わず灯りを消すという事柄からうっかり妄想してしまった展開に心拍が上がる。
蝋燭の火を吹き消して電気をつけようと立ち上がった彼女の手を思わず掴んでしまった後で、怯えたような彼女の視線に気づきしまったと焦った。
「よくがっかりされるんですよ。舞台メイクしてない状態で、明るい部屋でアルベールのファンの人に会うと」
下心を誤魔化すように、そんな自虐ネタを振れば
「翔君はダブルキャストの正樹君のようなどこか近寄りがたい学校一のイケメンではないかもしれないけれど、クラスで一、二を争えるくらいのさわやか好青年の雰囲気イケメンですよ!!」
彼女からそんな手痛い暴言を喰らってしまい、イイ感じに肩の力が抜けた。
「まぁいいや。ハイ」
フォークで切り取ったケーキを彼女の口元に差し出せば、少し迷った末、彼女がおずおずとその小さな口を開いた。
微かに見えた、その口と同じく小さな彼女の舌にまた瞬時に頭の中が沸いて、食べさせる振りをしてケーキで触れた。
思わず彼女に触れようと手を伸ばせば、カップを持っていた彼女の手と肘がぶつかり、彼女のブラウスに淡い色をしたミルクティーが零れた。
何でも無いそんな光景が何故か酷く煽情的で。
触れたい、そう思った時
「本当にありがとうございました。でも本当にもう充分ですから、どうぞこれ以上はもうお気遣いなく」
そんな強い拒絶の言葉を言われて、一気に頭が冷えた。
「……僕と付き合ってもらえませんか?」
分が悪い事は理解しつつも勇気を振り絞りそうストレートに告白すれば、彼女がフッと目を伏せた。
悲しい気持ちで、それでも往生際悪く彼女の顔を縋るように見れば、驚いたことに彼女の目に浮かぶ色は拒絶ではなく困惑だった。
思わず彼女の頬に触れ少し強引にその目をのぞき込めば、彼女のおしゃべりな瞳は
『もっと一緒に居たい。行かないで欲しい』
そう言ってくれているのに。
彼女はその思いを頑なに認めまいとするかのようにきつく目を閉じた。
「……なんでそんなに手ごわいかな?」
彼女のそんな生真面目さがますます愛おしくなって、思わずそんなことを呟き笑えば、彼女が自分の手をギュッと強く握った。
我慢せずに、その手を俺に伸ばしてしまえばいいのに。
そんな事を思いながら
「なんでアルベールの気持ちはあんなにも分かってくれるのに、自分の気持ちも分かんないの? 目、開けて自分の顔よく見てみなよ。鏡の中の絵梨はどんな気持ちの表情をしてる? 俺は? 冗談言ってるように見える? ……ねぇ、俺はどんな気持ちの顔してる?」
彼女の頬に触れ
「ちゃんと見て」
そう囁きかければ
「……よろしくお願いします」
最後にようやく本当に本当に小さな声で彼女がそう言ってくれた。
翌月の日曜日。
めずらしく絵梨と俺の休みが重なったので、一緒に出掛ける事にした。
「俺は別にアイドルじゃないからね、別に人に見られたって困らないよ。それにそもそも俺の事を知っていて、メイクも衣装も着てない状態で俺だって気づくヤツなんて友達くらいだ」
そう言ったのだけれど、テーマパークの中に入っても絵梨は俺の為に人目を気にして隣を歩こうとはしてくれなかった。
そんな絵梨の姿を可愛らしく思いつつも、同時に酷くもどかしく思った。
彼女ではなく、妻としてなら、笑って隣に寄り添ってくれるのだろうか。
そんなことを考えながら閉演前の花火が始まる前、
「はぐれないように」
そう言い訳をして彼女の手をギュッと握れば、
「今日は連れて来てくれてありがとう。楽しかったね」
俺の気持ちなど何も分かっていない彼女が、そう言って無邪気に笑って見せた。
ようやく繋ぐことが出来た手を解くのが切なくて
「次はどこに行こうか?」
と、次の約束を取り付けようとまた躍起になれば
「翔君だって疲れてるでしょ? 無理しないで」
そう言って彼女はまたすぐ無欲に微笑んで見せる。
それが苦しくて、切なくて
「じゃあ、次は水族館に行こう」
気が付けば俺はそんな事を言っていた。
水族館なんてこれまでこれっぽっちも興味無かった筈なのに、何で咄嗟に水族館なんて提案したのだろう。
自分の発言に首を捻ろうとした時だ。
「水族館? 流石アルベールの中の人ね! 原作のアルベールも熱帯魚が好きで子どもの頃は美しいアクアリウムを持っていたんだよね」
絵梨がこれまでになく嬉しそうな声でそう聞き返して来たから
「そう、だから水族館」
瞬時に俺は今の俺に出来る精一杯の芝居を打ち、そう言ってのけたのだった。
沢山の評価やブックマーク、ご感想、誤字報告も本当にありがとうございます。
おかげ様で完結させることが出来ました。
また別のお話を書いた際にはお付き合いいただけますと幸いです。




