バイクと友情と愛
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霧島市国分福山の牧の原地区を頂上に、国分敷根地区までのおよそ8キロの坂道。
亀割バイパス。
下り坂には、「エンジンブレーキ」の大きな黄色い看板が建てられ、道路左側には、大量の砂を盛られた、「緊急避難所」が造られている。
長い下り坂で、ブレーキがベーパーロック・フェード現象を起こして利かなくなった、主に大型トラックなどが突っ込んで止まるところだが、ペンペン草が生えている。
現代の車には、必要なくなっているのかもしれない。
警察航空隊のヘリコプターから、随時連絡が入る。
パトカーが一斉に聴いているだろう情報が、城島隼人と中島守人にも伝わる。
「まるで二台のバイクは、レールの上を走っているようです。あんなに高速でテール・トゥー・ノーズできるものなのか?」最後は疑問符で終わっていた。
位置情報の他、国分敷根では道路封鎖が完了したとも、伝えられた。
「いよいよ、フィナーレだな」
城島隼人は、うそぶく。
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ほぼ直滑降を時速100キロ超えで、下っていく。
前傾姿勢からその下りの角度はそう思えて仕方ない。
おかしなものだ。そう、美凪は、考えていた。
上野あけみが急制動を掛ければ、二人とも木っ端微塵になるのに、それをしないし、美凪もそれはしないだろうなと思っている。
変な連帯感、信頼感。
これが、レースライダー?
ブレーキランプが点る。
上野あけみが、左手で手招く。
罠か?
美凪は緊張する。けれど、行かなきゃ何も起こらない。
進む。
上野あけみも横に来ると見るや、シールドを上げる。
並ぶと同時に、突然投げよこされる、手帳サイズの携帯カバー。
胸で受けて、左手でキャッチ。
見慣れたカバーに美凪は、勇二のスマートフォンだと確信、カバーを握ってみる。
ソフトカバーのその下に、輪っか、らしきものを触識する。
指輪だ。
でも、なぜ?
その瞬間、感覚で上野あけみに、美凪の疑問が通じたのか、それともそんな疑問を持つことが折り込み済みなのか、
「メールを」と口パクで、伝える。
美凪はジャンパーのポケットにしまう。
それをみて、上野あけみはスルスルとアクセルを開けて、加速する。
刹那、美凪は、
「死ぬ気だ」そう直感した。
プルクラッチ。
シフトダウン。
ミート。
アクセル全開。
死なせればいいじゃない。
心の美凪が、そう言う。
生かせて罪を償わさせるの?
もう一人の自分自身がそう言って、嘲笑う。
もう、誰も死んではいけない。
美凪は言う。
父親殺し、父親殺し。
心の美凪が唄う。
でも、でも・・・。
わたしの大切な勇二を殺そうとした。
確かにそうだ。許せない、勇二を勇二を!
そうだ。だからあいつは死んでもいいんだ。
でも、でも。なにかが違う。
そう思いたいだけ。自分よがりはやめろっ。
違う、
違う、
違う、
違う。
そうじゃない。
何が違う?
それは・・・。
それは?
「これからわたしが確かめるっ!」
美凪は、上野あけみの右横に並ぶ。
シールドを開けると、鋭い風が皮膚をつんざく。
「止まって。お願い。死なないで。変えられない人生なんてないから。遅すぎるなんてことない。だから、止まって。見つめて、自身を」
叫ぶ、美凪。
上野あけみは、笑う。でも、その笑顔に嘲笑はない。優しい温かな、微笑み。
死なせて。
上野あけみの、口パク。
「ばかっ!」
美凪は叫びながら、左足をだす。
上野あけみのバイクのリアブレーキを踏む。
左手を伸ばす。
アクセルを戻す。
フロントブレーキを引く。
「やめてぇぇぇぇ、死なせてぇぇぇぇっ!」
上野あけみが絶叫する。
「二台が接触。速度が落ちていきます」
警察航空隊ヘリコプターが伝える。
坂道も残りわずかで減速、二台のバイクは平坦な道に辿り着く。
目の前には、警官たち。
倒れこむ上野あけみ。
「確保っっっっ!」と警官らが、群がる。
その倒れた上野あけみを庇うように、美凪が叫ぶ、
「人間として、扱ってくださいっ!この人は人間の女性なんですっ!心底、犯罪者じゃない。助けてあげてっ、あなたたち、秩序を、守る番人なんでしょ?」
それが、葛城美凪の出した、答え。
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葛城美凪は、城島隼人と後部座席に、二人でいた。
事件の話が出るから聞かせられないと、中島守人は外に出され、角刈りの運転手も自ら外に出た。
「お手柄だったね」
開口一番、城島はそう言った。
てっきり油を絞られたあげく、免許は長期免停、高校は退学。あぁ、そうだ。交通刑務所に入れられるかもしれない。
そう思っていた。
警察憎しの頃は、その覚悟もあったけれど、今はどこかに消え失せていた。
消し去ったのは、中島守人に井上勇二。この二人だ。
「天文館を暴走していたオートバイと、型は似ているが、証拠はない。ライダーの顔も確認できていない。いや、男か女かもわからない」
うつむいていた目を上げて、城島を見る。
笑っていた。大人の優しい笑顔。
「井上勇二君はきみを助けようとした。奪われた大切なものを取り返すために、追いかけたに過ぎない。そして、ハンドルを蹴られて、殺されかけた。
行きすぎた暴走も見られなかったと、報告が上がっている」
ウインクする。
続ける。
「そして、今日きみは、犯人を逮捕した。警察が身内を殺されたときの、熱の上がりようをきみは知らないだろうが、全署員がきみに、感謝してるよ」
話し半分にしても感謝されるのは、悪い気はしない。
それにこのまま行くと、明日からも普通の生活が送れそうな気がしてきた。いや、実際そうなるだろう。
でも、そんなにうまい話があるだろうか?
「きみは今、出来すぎた話だと思ってるだろうけど出来すぎた話なんてものは、出来すぎたように誰かが作り上げるわけで、今回の作者は、僕なわけだ。
つまり、出来すぎた話は良いように出来すぎていて、そこに、誰にも屈しない力、今回は僕の権力が加われば、それで出来すぎた話は完結するんだ」
美凪は、父のことを思い出していた。あのときも、冤罪という、でっちあげで父は逮捕され、酷い取り調べの末に、命を落とした。
権力は使いようで、正義にも悪にもなる。
わかっていたようで、いざ目の前に出されると、自分の力の無さを実感する。
「見ていてくれ。僕は『国民の命と生活を守る警察官』だ。ねじ曲げられた正義に僕が、僕の仲間たちが、たたら吹きからやり直し、火打で焼き直しをする。
白いものに我々が勝手に、色を塗りたくっては駄目なんだ。行動で示す。必ずっ、必ずっ!」
城島隼人がそのくだりを熱弁する頃には、外のふたりにも、駄々漏れで聴こえていた。
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美凪と守人が自由になったのは、夕方まだ、日の残る頃だった。
守人は先に、事情聴取が終わり、美凪を待っていた。
親が来ていないのは、城島隼人の配慮かもしれない。
すべてが終わったような気がしていた美凪は、勇二のことが気になり出してたまらなくなった。それで、
「中島くん、井上くんはどうなの?」と訊く。
「さっき、葛城のお母さんからメールで、井上病院に移ったって。葛城のスマホには、来てない?」
見ていなかった。
見ると、「井上くん、復活。井上病院に転院。お粥ならOK。お風呂も短めなら、うわぁ~ぉ」と書かれている。自分の母ながら、若いなぁと思い、笑ってしまう。
それは、勇二が生きていたことの喜びから来る、笑顔。
井上勇二からもメールが来ていた。
かなりの長文で、一気には読めない。
ちらっと冒頭を読んで違和感を覚えながら、後回しにする。充電もないから「電源を切る」ボタンを押す。
勇二のことで頭が一杯で、勇二のスマートフォンの居どころを忘れていた、美凪だった。
バイクに跨がる。
ヘルメットがないから、守人は路面電車経由のJRで帰宅する。
「気をつけて」
守人が手を振る。
走り去りながら、左手でVサインを贈る。
あっいう間のように思えた。
もう帰らないかもしれないと、意を決して飛び出したのは、今日の朝のことだったのに、今は勇二に会いたい一心でいる。
とりあえず洗面所で顔を洗い、うがいをした。ほんとならシャワーを浴びたいくらいだけれど、そんな事、後回しにするくらい会いたいと思う。
勇二のお母さんが、受付で話していた。
時間が過ぎていたから、もう他の受診者たちは、いない。
受付も、帰る前の挨拶だったらしく、そそくさと去っていく。
「今晩は」
美凪は小声で、お辞儀する。
「あら、待ってたのよ。て、勇二が、だけどね。さっき、寝たみたい。でも、顔だけでも見ていって。あたしは汚れ物持って帰らないと。ほんとに高校生は、臭うわ」とケタケタ笑って、手を振りながら、夜の通用口から出ていく。
「あっ、美凪ちゃんと同じ部屋だから」
後戻ってきた勇二の母が教えてくれた。
ありがとうございますと会釈する。
どこだったっけと探していると、見つけた「井上勇二」のネームプレート。
ドアを開ける。
「今晩は」
挨拶してみる。
一人部屋。
明かりは点いていた。
消灯まではまだ、時間が、ある。
眠っている勇二の寝顔を見る。
良かった。と思うと、知らずに涙が溢れてくる。
丸椅子が枕元にあった。お母さんが座っていたのだろう。
可愛い寝顔だなと思っていると、自分が病院で寝ていたときの勇二の気持ちを、思いやる。
「こうやって見てたのか」
顔を近づけてみる。
体温を感じて、顔を離す。
笑っている自分に気づく。
「わたし、おかしくなったかな?」
そう呟きながら、そっと、キスをした。
10数えようと思っていたら、涙が出てきた。
体に震えが来て、気がつけば、抱きついていた。
怖かった、怖かった。
口づけながら、モゴモゴいう。
もう大丈夫。もう大丈夫。
涙は止めどなく頬を伝い、勇二の顔に滴り落ちる。
「しょっぱっ」
いきなり言われて、美凪は起き上がる。
「お、おおおはよう・・・」
どもる。
「あぁ、美凪。良かった。大丈夫だったんだ。夢じゃないよな?」
瞬きする勇二に、
「リアルだよ。CGでもARでもないから」と泣きながら笑う。
「わかんないよ、夢かも。何度も見たし。つねってみて」
病人をつねれるわけもなく、また、キスをする。
「うん、リアルだ」
勇二は、「お互い無事で良かった」と、年寄のようなことをいう。
「なぁ、美凪」と勇二。
「なに?」と美凪。
「俺さ」
「うん」
「美凪のこと」
「うん」
「骨まで愛してる」
「うん?」
「骨折仲間だけにぃ~」
「・・・・・」
「あれ?ウケなかった?」
美凪はそっと、左頬を勇二の左胸に、載せる。
「わたしも勇二のこと、骨まで愛してるよ」
「下から見られると、鼻の穴、丸見えだな」
勇二が言うから、右手の人差し指と中指で、鼻の穴に栓をする。
「苦しいです」
そう言う勇二に、起き上がり、何度も何度も、キスをした。
「ありがとう。ほんとに」
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翌日の学校も普段通りだった。
何も知らないみんなのなかに、守人と美凪は、これが日常か、と思い、私たちは貴重な体験をしたのかもしれないと思っていた。
昨日、帰宅してからも、
「勇二くんのお見舞い?意識を取り戻して良かったね。若いから治りは早いよ、美凪みたいに」と母に言われ、
「う、うん。一旦帰って着替えてから、バイクで行ったの」とお見舞いに行ったことは確かだから嘘ではないと、自分に言い聞かせながら、答えた。
一旦帰った時間が、朝と夕方で違いはあったけれど。
心配させるからと、上野あけみとの事は、黙っていた。
「ねぇ、お母さん」
「なに?」
「嘘つきって嫌いだよね?」
「好きな人はいないよね。でもね」
「うん?」
「子供のつく嘘は、嫌いじゃない」
首をかしげる美凪に、由美子は言う。
「それは、子供が自力で成長している証拠だから。もちろん悪い嘘は駄目って叱るけど、相手を思いやる嘘や誰かを庇う嘘は、しょうがないよね。嘘も方便ってやつだよ」
ひょっとしたらお母さんは、何もかも知っているのかもしれない。
「美凪もいずれ、あたしのもとから巣立つんだから、あたしを超えるための嘘なら、許すよ」
美凪が棒立ちのままでいるのを、由美子は抱き寄せて頭を撫でた。
「ずっと、あたしの子だもん。それは変えられない」
指輪を返すのは、お母さんが犯人逮捕の知らせを受けてからにしようと、美凪は思った。