バイクと友情と愛
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それは暦の上では秋とはいえ、まだ夏の日の名残りの強い午後だった。
「元鹿児島県警署長の河野仁さんが、昨夜未明、都内のホテルの一室で、遺体になって発見されました。事件と自殺の両面で、捜査をしています。河野さんは県警を退職後、都内の企業の相談役として再就職していました。続いては・・・」
テレビのニュースで、ありふれた事件のなかのひとつのような扱いで、流されていた。
三人が事件を知ったのは、スマートフォンのネットからだった。三人同時に見つけて、三人同時に沈黙した。美凪が話し出すまで、ふたりは待ち続けた。
「今夜、お母さんがいないの。うちでみんなで持ち寄りで、夕御飯食べない?」
ふたりは速効で首を縦に振った。
「実は、さっき伯父さんから、あっちで大変なことになったって。だから、鹿児島に残ってる家族のことを気にかけてやってくれってメールが来たんだ」
守人はよほど信頼されているようだ。気にかけるといっても、実際は守人の母が話し相手になるのだけれど。
「葛城も今夜ひとりで不安なんだろうな。お父さんのことに関係していた奴の、死」
勇二は守人とスーパーで買い物をしながら、美凪のことを慮っていた。
「せっかく立ち直って普通の生活を取り戻したのに、また蒸し返すんじゃないか、心配だよ」
守人は、怪我が治ったあとも美凪がバイクで暴走行為をしなくなったことを喜んでいた。
また、勇二が二人でツーリングに行く計画をしていることも聞いていた。その話のおり、
「中島くんも、免許とろうよ」と何度も美凪に誘われたけど、そのたび、右手首が疼く気がして苦笑いで返した。
好き嫌いもあるけれど、乗り手は選ばれる。特にオートバイが大きくなればなるほど、それは顕著だと、守人は分析する。
午後六時。
美凪の家に集まった。
守人はノートパソコンを持ち込み、勇二は三人分のお総菜をテーブルに並べた。
美凪が作った冷やし中華も並べられて、和気あいあいと時間は過ぎていった。
勇二がペットボトルのジュースを注いで、美凪が洗い物を済ませて、テーブルに戻ってくると、守人が口を開いた。
「目をそらしていてはいけないと思うんだ。もちろん、葛城が拒否するのなら、話は終わり」
「何かわかったんだな」
勇二が声を抑えて訊ねる。
頷く守人。
「わたしは大丈夫。もう過去に引き戻されないわ。それに今は、二人がいてくれるから」
美凪は、交互に目を合わせて頷く。
守人はノートパソコンを開いて、画像を出した。そこには女性ライダーらしい姿が写し出された。レース用バイクも後ろに写っている。
「今度のことで僕は上野あけみを検索してみたんだ。そしたら、意外と有名人なんだってわかった」
暗くなってきた空のもと、秋の虫が鳴き始めた。
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「MFJ レディースロードレースに出ていたんだ。排気量の小さなクラスだけど、ルックスの良さから注目を浴びるようになった。
やがてモデルに転身。写真集も出してるな。
22歳で結婚。翌年には女の子を出産。二年後に旦那さん、一般人だけど、浮気発覚で離婚。
その浮気されている頃の生活の中で、精神に破綻をきたしたようだ。通院と異常行動が週刊誌で報じられている。
例えば、好意を寄せる男優の食べ残しの弁当を食べたり、鼻をかんだティッシュを持ち帰ったり。
そんなこんなのことがあって、芸能界からも身を引いている。ま、追い出されたってとこだな」
守人は、SNSの情報を読み上げる。
聴いているふたりは、「う~、怖ぇ~」と身を固くする。
「そして、あの事件が起こった」
美凪の表情が、わずかに強張る。
「大丈夫か?」
勇二が気遣う。
「うん。大丈夫」
美凪は、微かに微笑む。
それを見て守人も、必要最小限の情報を伝えることに集中する。
「その後の足取りはわからない。そこで、次は、鹿児島県警署長、河野仁について調べてみた」
パソコンの画面が切り替わる。
人の良さそうなどこにでもいる中年男性の顔写真だけれど、それは警察官の帽子を被っていなければ、だ。
「正義の仮面をかぶった、魂を悪魔に売った人間のカスだな」
勇二は吐き捨てる。
「鹿児島県警を、前倒しで定年退職している。これは、葛城のお父さんの事件の時期と近いことから、早めたんじゃないかと推測される。ちなみに退職金は満額支給されている。
興味深いのは、この事件に関与した刑事が二人、ひと月後に依願退職していることだ」
そのふたりの刑事は、自分自身の正義感との葛藤に勝利した二人だと、勇二は思った。
鹿児島県警は腐っている。
勇二は、大きく深呼吸する。
「退職後、東京の企業に、相談役として再就職。実はこの会社の顧問弁護士は、僕の伯父さんなんだ。もちろん、全部を話してくれるわけではないけれど、身内情報ってのがある」
守人は話を止めて、ふたりの表情を伺う。特に美凪の顔色を確かめる。ジュースに口をつけたあと、
「河野仁はストーカーにあっていた。そのストーカーはたぶん上野あけみ。
河野仁の銀行口座からは、定期的に金が引き出されているって。つまり、鹿児島でのことで、河野仁は上野あけみから、金を脅し取られていたと、思われる」
ここからは僕の推測だけれど、と前置きして守人は話続ける。
「ホテルでふたりは落ち合い、河野仁は言った。
『これ以上の金の無心は耐えられない。君を訴える。もちろん、わたしは安全地帯にいるし、君は誰にも気づかれることなく、この世から居なくなる』とでも言ったのだろう。
そして、逆上した上野あけみは、河野仁を殺害した」
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外でバイクの音がした。明らかに排気量の大きなエキゾーストサウンド。
美凪は、気になってベランダに出てみる。けれど、すっかり暮れきった、月のない闇の中、赤いテールランプが見えただけだった。
「どうした?」
勇二に聞かれて、
「うん。この団地で、大型バイクを持ってる人っていないから、気になって」と不安な気持ちを隠さずに告げる。
「上野あけみ、か?」
守人が呟く。
「まさか。もともと葛城は、志布志市に居たんだろ?名字も変えて、ずっと離れたここまで、探せないだろ」
勇二も少しは不安だったけれど、美凪を安心させるために、そう言い切った。
「大丈夫、俺たちが守る」
勇二の言葉に守人も頷いた。
「それに上野あけみが元レーサーだからって、出場してたのは、大きくても250CCクラスだ。葛城も教習所で習ったと思うけど、普通と大型は雲泥の差があるからってこと。もし、バトルになっても俺たちには敵わないさ」
そう言う勇二に、
「もう、戦うこともないよ。相手は犯罪者だ。見つけたらすぐ、110番しようよ」と守人が諭すように言う。
美凪は頷き、それを見ていた勇二も、そうだなと、笑った。
翌日。
美凪が、学校から帰ると、玄関のドアが少し開いている。
たまに母、由美子が近所の奥さん方と話に夢中になり、開けたままで離れることもあったから、手すりからほうぼうを見渡すも、姿は見えず。
家にお邪魔してるのかもと、玄関を入る。
「ただいま」
誰もいないとわかっていても、声はかける。もし、泥棒がいたら、ビックリして物音をたてるかもしれない。そうしたら、即、逃げるのだ。
キッチンと六畳の洋間と四畳半の洋間の造りの部屋だから、襖が開け放たれていると、一目で見渡せる。
キッチンに向かう。冷蔵庫に手をかける。
食事をするテーブルの下に、いつもにはない、気配を感じて、恐る恐る覗き込むと、
「お、お母さんっ」
葛城由美子が倒れていた。
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警察が来た。
その前には、守人が。そして勇二も駆けつけてきた。
葛城由美子は、救急車で運ばれる前に、意識を取り戻していた。
刑事に、
「呼ばれて玄関を開けたら、あごのここんとこに」由美子が指差すそこには、二つの火傷のような痕が点になって残っている。
「バチバチって、電気ショックていうの?そしたらクラクラっと来ちゃってさ」
きっと、本人は大真面目に話しているのだけれど、聞きようによっては、この緊急事態を楽しんでいるようにも見える。
救急車に乗るときも、なぜかうきうきしているように見えて、
「あたし、初めてなのよ。看護師なんだけど。土禁かしら?靴は脱ぐのよね?」と病院に行く必要を感じさせなかった。
代わりに美凪が、無くなっているものがないか、確認作業に入った。
部屋は荒らされていない。現金も通帳、印鑑もあった。
四畳半の洋間に、三段のカラーボックスを横倒しにして、その上に亡くなった父高崎裕也の遺影が飾ってある。
「あれっ?」
美凪は、近寄ると考え込む。
何かが足りない。
いつもは、朝夕の行ってきます、ただいまの挨拶に手を合わせるだけなので、よくは見ていなかったが、違和感がある。
「何か大切なものじゃないの?」
横から守人が囁きかける。
「お父さんの残してくれた大事なものって・・・」
美凪はそこで、はたと気づいた。
「結婚指輪がないわっ」
母に確認しなければならないけれど、そうに違いないと思った。
他にはなにも盗られていないのに、さして金目のものでもない結婚指輪が盗まれた。
上野あけみ。
その名前が脳裏をよぎり、背筋に寒気を感じた美凪だった。
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結婚指輪が無くなっていることを知ってからの、美凪の態度が一変したことに、勇二も守人も気づいていた。
夕べのオートバイ。泥棒が葛城のお父さんに執着しているように感じること。
なんだか、この部屋の中に上野あけみが立ち、指輪を持ちながら、笑っている姿を想像して、ふたりは身震いした。
もう、僕たちの手には負えない。全て警察に任せよう。そう守人は思った。
その夜。
母由美子は、気丈にも夜勤に出ていた。
「あたしゃ、もともと電気クラゲの生まれ変わりかってくらい、子供の頃から電気には打たれ強いから大丈夫」
美凪にはいまいち訳のわからない文言を残して、出ていった。
お母さんは良いかも知れないけれど、わたしの心配もしてよ。そう、胸のうちで思う美凪だった。
すべての部屋の明かりをつけて、テレビを見ていた。内容はよく頭に入ってこない。
時々、カーテンの閉まった窓を見る。動きはない。
耳を澄ます。バイクの音も聞こえない。
今夜はもう、来ないだろう。そう、自分に言い聞かせていた、その時。
チャイムが鳴る。
小さな悲鳴が口をつく。
日曜大工の金づちを手に取ると、玄関に向かう。
「ど、どどどちらさまですか?」
どもる。
すると来訪者は、聞き覚えのある声で、
「お母さんに頼まれて、泊まりに来ました。井上勇二と」
「中島守人です」
すぐに、ドアを開けた。
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護衛とはいえ、守るは年頃の娘である。
夜中にひとり。
そこに、血気盛んな男の子二人を、
「今夜は美凪のために泊まってあげてね」とは、母親らしからぬと、思うことなかれ。
言われた男の子二人は、お母さんにそう言われて、よこしまな考えなど微塵もなくて、ただひたすらに命令を実直に遂行する兵士のような心構えでいた。
美凪は心底、ホッとしていた。
ひとりでは眠れないと思っていたからだ。でも、よくよく考えれば、この状況も、徹夜になりそうな気もしている。
「お母さんにいつ言われたの?」
美凪が訊ねると、勇二と守人は声を合わせて、
「お母さんとはメル友なんだ」と答えた。
手回しの早さは、看護師という職業のなせる技か、はたまた、生まれ持った性格か。
二人は交互に睡眠を取ると言い、それぞれ金属バットを持っていた。
「どうしたの?買ったの?」と訊けば、「学校の野球部から借りてきた」と言う。
迷惑は拡がるばかりだと、美凪は目を閉じた。
その時、またチャイムが鳴った。
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勇二と守人は金属バットを構えて、美凪の後ろに立つ。美凪は、小さな覗き穴から、そっと覗く。
誰だ?
もう一度、見る。
「今晩は。遅くに申し訳ない。城島隼人と言います。えーっと。こう言えば思い出すかな?おぉ、麗しの風の女神よ」
鳥野郎だった。
でも、どうしてここが?
美凪は、
「な、何ですか?ストーカーですか?警察を呼びますよ」と出来る限りの虚勢を張る。
「警察なら大丈夫。ここにほら、います」
そう言うから、また覗くと、警察手帳の顔写真が魚眼レンズに伸びていた。
「マジでっ?」
ロマンスグレーの髪を撫で付けながら、城島隼人は、出されたコーヒーに口をつける。
「実は僕は、鹿児島県警の新しい署長なんだ。前任者がいろいろと問題を起こしていたから、就任してすぐに、過去の事件、いや、冤罪事件を調べた。それで、高崎美凪、あぁいや、今は、葛城美凪さんに、たどり着いた。
他にも、いろいろあったけど、あってはいけないんだが、僕はバイクが趣味だから、まずは君のことから何とかしようと思ったのさ。それに」
もう一度コーヒーを飲む。
「ちょうど良い甘さだ。あっ、で、つまりは、君のお父さんの事件を調べている時に、東京で前任者が、殺された。ここだけの話。殺したのは、上野あけみと言う、女だ。美凪さんは知ってるだろ?
防犯カメラにバッチシ映っていた。そして、都内のうすらバカがキーを挿しっぱなしにしていたオートバイを盗んで、姿を消した」
こんなに内部事情を話して良いのかと、守人などは思うのだけれど、もう一方で、この警察署長は、全てを明け透けにして、信じてもらおうとしているのではないかと、思った。
それは、葛城美凪を調べたと言うことからもわかる。
葛城は警察に不信感しかない。いや、そんなもの通り越して、憎んでいるのだ。それを、何とかしたいと思うこと自体、真摯で前向きな気がした。
普通なら、放っておく事案なのだ。だって、警察に不利な話ではないか。
それをわざわざ自ら掘り起こしてきたのだ。
さらに、城島隼人は言う。
「僕が鹿児島県警を浄化する。ひとりでは到底無理だし、仲間を探してやるのだけれど、時間がかかる。だけど、やるっ!
口だけだと思うだろう。それで良い。
行動しかないと思っている。
僕の信じる正義を実現するんだ」
また、コーヒーを飲む。
「ごめん。お代わりください」
城島隼人は、コーヒーカップを差し出して、照れ笑いした。
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葛城由美子が深夜勤から戻り、いつもするように、遺影に茶湯器にお水を、仏飯器にご飯をよそう。
長く手を合わせる。一日の報告をする。そして、輪を鳴らす。
いつもならそれで立ち上がるところ、今朝はそのまま座りっぱなし。
あと、20分もすれば、登校しなければならないけれど、母が心配で動けない。
「忘れられないの、あの人が好きよ・・・」
辛いとき必ず歌う、流行歌。そして、
「美凪、お父さんがなんてプロポーズしたか言ったっけ?」
何度も聞いているけれど、
「何て言ったの?」と訊いてあげるのが、優しさ。
「由美子が死ぬまでひとりにしないよ」
少し照れ笑いながら、
「それも歌の歌詞だったのよね。でも、お父さんの言うことは、嘘じゃなかった。いなくなってからもずっと、ここにいるもの」そう言って、胸を叩く。
「嘘つきなんかじゃない、嘘なんかついてない・・・」
遺影の前で、突っ伏して泣き崩れる由美子の背中から抱き締める、美凪。
「お父さんは嘘なんかいってない」
裁判のことを思い出したのだ。
いつまでも、癒えぬ傷がある。
忘れられない人を思い出すたび、口を開く古傷が。
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そのまま眠ってしまった由美子を、敷いた布団に寝かせて、火の用心と鍵閉めの確認をする。
階下に守人が、いた。
「おはよう」
「おはよう」
守人は美凪の目が濡れていることに気づいたけれど、素知らぬ振りをする。
ほどなく、勇二と合流する。
「今朝、ネットニュース見たひと?」
すぐに守人が二人に質問する。
「今起きたとこ」と勇二は欠伸をして、スマートフォンを見ると、「やべっ、充電がない」と焦りだす。
美凪も、
「わたしはお弁当作ってて見てない」母のこともあったし。と胸のうちで思う。
天を仰ぎ、息を吐いて吸い込みながら前を向くと、守人は一気に喋り出した。
「上野あけみが指名手配されたって。とりあえずっていうか、ニュースで言ってたのは、元署長殺しの罪だけだけど」
そして、今度は残念そうな顔で続ける。
「こないだの夜に、新署長が、そこまで喋っていいんかいって思ってたことは実は、あのときすでにマスコミに流す手はずの原稿だったわけだ。ちょっと残念だよ」
警察を信じる気持ちに、水をさしたな、とも言う。
「そんなもんさ」と勇二。
「でも、改革しようって意気込みは感じたよ」とは美凪。
勇二と守人は目を合わせて同じことを思う。
変わったよな。
美凪自身も、変わってきたことに気づいていた。そして、上野あけみと比べている。
もし、井上勇二と中島守人に出会わなければ、憎悪の中で自分も、上野あけみのようになっていたのではないだろうか?
ほんの一本、道をたがえたばかりに、大きく変わる人生もあるということを、知ったような気がした。
人はひとりでは生きていけない。でも知り合うひとの影響力が強いと、人生を狂わされてしまう。
自分で人生を選んでいるようで、その実、大河の流れの中で漕ぐ、小舟のような危うさと隣り合わせを強いられている。
誰もひとりでは生きていけないのではなくて、ひとりで生きることを許されないのかもしれない。
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高校の文化祭も終わり、憂うつな期末テストを乗り越えれば、冬休みがくる。
「最後に上野あけみが目撃されたのは、熊本県八代市のコンビニの防犯カメラだ」
そう、城島隼人署長から直々にメールが届いたのも、もうはるか昔のことに感じ始めていた。
友達が少ないこと、また、ATMなどからお金を引き出した形跡もないことから、自殺しているのではないかという、憶測も流れていた。
指輪は返って来ないけれど、この世にいないのならば、その方が安心と言うものだ。
葛城美凪も由美子も、井上勇二、中島守人もそう思っていた。
「今夜、鹿児島市内の港公園に行かないか。」
勇二からのメール。
これから寒くなるから、今のうちにと言うわけだ。
「オッケー」
美凪の返信。
ふたりの中はどんどん深まっていた。
毎晩のようにメールをして、結局、声が聴きたいからと電話をする。その繰り返し。でも、それが二人には楽しい繰り返しだったのは言うまでもない。
守人もそんなふたりの仲に、気づいていた。
弁護士になるために、勉強に打ち込むには良い機会だと、割りきっていた。
三人の付き合いも、それまでとなんら変わりないことも、守人には嬉しかった。
勇二のバイクが止まる。
美凪が家の鍵を閉めて、下りてくる。
今夜も由美子は遅出出勤。でも、メールで出掛けることは知らせてある。公認の仲なのだ。
「これ?」と美凪が人さし指を勇二に見せる。
その先には、ねばい液体が着いていた。
「エンジンのところから出てるみたい」
「あぁ、それはあれだよ」
なに?と美凪。言葉を待つ。
「このメーカーの特徴さ」
パトカーが、行き過ぎる。
「まだ巡回中なんだ」
勇二の言葉に、
「回数は減ったけど、近所には小さい子もいるからね」と後ろに跨がりながら、ヘルメットを被る。
「行くよ」
「うん」
国道10号線に出ると、一路鹿児島市内へ向かう。
その10数メーター後ろを、車の陰に隠れるように、ふたりを追う、バイクがあった。
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お金のない高校生カップルだから、まず近所のコンビニでおにぎりやサンドイッチと、コーヒーを買ってから、ドルフィンポートの駐車場に停める。
30分無料。ポート内で食事をすると、さらに無料券をもらえる。もちろん、食事はしないから、無料の足湯に浸かって、30分で退散する。
それでも、駐車場を使うのは、バイクが心配だからだ。
「結構、有名なバイクなんだぜ」と勇二は鼻を上に向けて、自慢する。
「オイル漏れするのに?」と美凪は笑う。
「欠点も愛されるバイクなんだ」
なんのこっちゃとまた、笑う。
「もう時間だ」
勇二の言葉に、あ~ぁ、と残念そうに首をかしげる美凪。でも、帰りのタンデムも楽しいし、またいつでも来られるんだからと、駐車場にふたり、並んで向かう。
ヘルメットを被る。勇二がまず、跨がる。美凪が次いで跨がろうとしたとき、一台のバイクがそばに止まった。
バイクを出すには邪魔だなと思って見ると、ライダーがシールドを上げる。
女だ。
物凄く痩せた顔。
目だけがいやに大きくそして、つり上がって見える。
吸い寄せられるように二人は、その顔を見つめる。
誰だろう?ふたりでそう思っていると、女が唇をモゾモゾと動かし始めた。そして、中から出てきたものを、歯で噛んだ。
指輪だった。
最初に気づいたのは美凪だった。
思わず小さな悲鳴を上げる。
「お前っ、上野あけみっ!」
勇二の叫びに、それがスタートの合図のように、上野あけみはアクセルを開ける。