バイクと友情と愛
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城島隼人は、白赤の自分のバイクに近寄ると、
「俺のペガサスよ。今夜もともに羽ばたこうぜ」と言いながら、タンクのウイングマークに右手を置き、目を閉じる。
一分間。
それが、彼の、ルーティーン。
跨がる。
バイクに火が入る。
軽くレーシング。
チタンマフラーが虹色に光る。
「今夜は『風の女神』に会えますように」
そしてやっと、夜に包まれた街へ走り出す。
「えぇっ、まじでっ?」
美凪は、思わず声を上げる。
今夜の夕食当番は美凪で、渾身の二度揚げから揚げとアスパラベーコン巻き、そしてシチューを作っていた。
「ごめん、大浦さんとこに不幸があって、急遽お休みでさ~。母さんが出ることになったの」
旦那が行っても、役に立たないから、そこはやっぱり奥さんがいくことになるわけよ、とも一人言のように言う。
由美子は、シチュー以外のおかずをぱっぱっと弁当箱に詰めると、
「ほんじゃ、行ってきます。戸締まり、ガスの元栓、消灯、よろしくっ」そう言って、出ていった。
ひとりの食事は、侘しい。
テレビで、コンビニの焼き鳥が割引中とやっているのをみて、食べたくなった美凪は、自転車の鍵を持つと、家の鍵を閉めて、出る。
近くのコンビニだから、電気はそのまま。
自転車のそばに行くと突然、ガサッと音がして驚いてそちらを見ると、バイクカバーの下から猫が出てきた。
人生のストーリーの始まりはいつも、些細なきっかけから始まる。
美凪は、家に引き返すと今度は戸締まりをして出た。
ジャンプスーツに、今夜はつい最近、勇二と守人にプレゼントされた、アライのヘルメットを被る。
何でもない日のプレゼントさ、と笑っていたふたり。
火を点す。
鼓動が、落ち着いてきた。
美凪も、ゆっくりと夜に包まれていった。
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井上勇二と中島守人はふたり、鹿児島市内のボーリング場にいた。
近くに大学があるせいか、学生が多い。また、すぐそばに、全国チェーンのバイク屋もあるからか、バイク乗りのいろんなバイクが、駐車場に並んでいた。
3ゲーム終わって、3戦3勝なのは、守人。
「なぁ、勇二。ボーリングってのはさ、頭を使うゲームなんだよ」
勇二の3ゲームの足したスコアが、百にも満たなくて、守人は笑う。勇二は、ハイハイと両手をあげる。
「そのマイボール、歪んでるんじゃないの?」
勇二はマイボール、マイシューズ持参で来ていた。どちらも。緑色。
特にマイボールは、グリーンに黄色と黒のラインがうねうねと入っていて、全体がラメで光っていた。
「玉虫か。それとも都知事ファンか?」
守人に最初から最後まで、そのネタで茶化された。
「そっちじゃねぇよ。さ、終わろうぜ」
勇二が清算に行く。その間に、守人はスマホとは違う、タブレットを取り出して、見る、
勇二が、戻ってくると、タブレットを見せながら、
「葛城のやつ、今夜も走ってやがる」と言って苦笑する。
「あれ?おかしいな、今夜はあいつのお母さんのシフトは休みのはずじゃ」
勇二は首を傾げる。
タブレットには、市内の地図が表示されていて、そこに赤い点が、東から西へ移動していた。
かなり速い。
駐車場から舗道まで、バイクを押して出ると、目の前の道路の、路面電車の線路の向こうを、三台のパトカーがサイレンを鳴らしながら走っていく。
すると、遠くからも、サイレンが聞こえ出した。
「何が起こってるんだ?」
守人が呟くその後ろにいた大学生の数人が、口々に喋るのが聞こえた。
「ジャッドが、走ってるらしいぞ」
守人が勇二に振り向きざま訊ねる。
「ジャッドってなんだ?」
「地元の暴走族だよ」
「暴走族にしちゃ、ジャッドって、他に名前があるだろうに」
「郷土愛にあふれてるんだよ」
なるほどねと、守人は笑う。
「こりゃ、しばらく走らない方がいいかもな。とばっちりを食いそうだ」
そう、勇二が言ったとたん、ふたりは同時にひらめいた。
「葛城が、ヤバイっ」
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「ラッキーちゃちゃちゃっ」
城島隼人は、フルフェイスの中で、思わず歌った。
「見つけたよ~ん、愛しの『風の女神』ちゃん」
クラッチミート。
加速するバイク。
ちょうど、西郷隆盛像の前を過ぎた辺りだった。遠くのあちこちで、サイレンが聞こえた。
それより、よく聴こえたのは、「ラクカラチャ」「パラリラパラリラ」「ゴッドファーザー」。
何が起こってるのかしら?美凪は、自分のことではないなと思いながらも、捲き込まれそうな不安を感じていた。
そんなことを考えていて、後方から近づいてくるバイクに気づくのが遅れた。
ミラーに映ったバイクは、あっという間に、横に並ぶと、ライダーがシールドを上げて、
「今晩は。麗しのきみ。僕の女神様!」と浮わついたことを言いはじめた。
よほど、地声の大きな男なのだろう。
走っているのに、ヘルメットの中に、聞こえてくる。
明らかに大人の男で、なおかつ走行中にも関わらず、ナンパに来ているのは、気持ち悪いやつだと、思う。
サイレンの音の方へ行かないように、そちらに注意をして、走行する。
それで、相手を無視していると、
「ねぇ、名前は特に聞かないよ。僕は、城島隼人。『風の女神』の風に乗って、羽ばたく翼になりたいんだ」
タンクを叩くから見れば、ウイングマーク。
美凪は、メーカーに疎いから、勝手に貼った自己アピールのステッカーだろうと思った。
羽ばたきたければ、勝手にどうぞ。この鳥野郎。
そう、心の中で、罵った。
「今度の日曜日に、鹿児島駅そばの『かんまちあ』に待ち合わせて、熊本方面のやまなみハイウェイにツーリングに行きませんか?」
この喧騒の中で、なんて悠長なことを言ってるんだろうと、さらに無視すると、
「そうだっ、デート代は全て僕もちで。誘うんだから、当然だよね。とにかく、君と走りたいんだ。走るの好きだろ?」
最後の言葉は、なぜか響いた。
警察憎しで、警察の鼻を空かしてやろうと、バカにして見下してやることで、過去の恨みの溜飲を下げていた。でも、ここ何回かは、信号も止まるし、景色も楽しむようになっていた。
昼間、休みのたびに、ツーリングする数台のバイクを見ると、そのうち井上くんを誘って、遠くに行きたいなとも、思うようになっていた。
オートバイが、無心で走ると言うことが、憎悪を洗浄してくれたのかもしれない。
その時。
「そこのバイク、左に寄って止まりなさい」
パトカーが、すぐ後ろにいた。
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「今夜は、暴走族及び暴走車両の一斉摘発を行ってるんだ。遠くの、ラッパミュージックはきっと、ジャッドだろう。
僕が後ろのパトカーを引き付けるから、君は逃げなさい。事故には気をつけて。また、日曜日にかんまちあで会おう。アディオース、アミーゴっ!」
そう言うと、鳥野郎こと城島隼人はスルスルと後退した。
美凪がミラーで最後に見た景色は、鳥野郎がしばらくパトカーの前をフラフラしたあげくに、路肩に止まる画だった。
いつの間にか、目の前には国道3号線を横たえる交差点に来ていた。
信号は、赤。
止まる。と、右角のガソリンスタンドから、
「はい、そこのバイク。そのまま歩道で停車してください」と見慣れないパトカーが、出てきた。
今までのセダンタイプと明らかに違う。
まず、ドアが二枚しかないし、やたら車高は低いし、バンパーの開口部が大きい。
「ただ者ではないな」
美凪は、ひとり呟くと、右を見ながら、左にバンク。
「待ちなさい。止まりなさい」
いやに丁寧な言葉も、余裕を感じさせるパトカーは、丸4灯テールをわずかに沈ませ、四輪で加速する。
あっという間に、美凪のバイクに接近。
ゲッと思いながらも、左に揺らして、思いっきり右にバンク。
対向三車線を一気にまたいで、細い路地に入ると、さらに右へ。
甲突川沿いを戻ると、平田橋を渡り、そのまま鹿児島中央駅へ、駆っ飛ぶ。
巻いた、と思った瞬間。
鹿児島中央駅が見えたと思ったら、高見橋電停方向からあの、「パラリラパラリラ」が聞こえてきた。
10数台のバイクが、フラフラと走ってくる。先頭車両は、なぜだかライトが高いところに着いている。
美凪はそれを見ながら、「これもツーリングかしら?」明日、井上くんに聞いてみよう、と思った。
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先頭車両の高く上がったライトより、後方車両のアメリカンのバイクのライトは、更に高かった。
アメリカンの座りかたからなのか、ライトが高い方が格上な感じが、美凪にはした。
その後ろに、ハイリフトの四輪駆動車が続く。
リフトされた下をくぐれそうなほど、高かった。
「どうやって乗り降りするんだろ?」
美凪は、まるでお神輿だと思い、回りにはしごを探したけれど、見つからない。
その更に後ろに、数台のパトカーが、赤色灯を光らせて追従する。
ラッパミュージックに警察の警告に、それは賑やかなお祭りだった。
その時スマートフォンが震えた。
勇二だった。
「はい。もしもし」
「おっつー。そこから大学方面に走るとボーリング場があるんだけど、守人といるから、おいでよ」
「そこからって、わたしのいるとこ、わかるの?」
美凪は、キョロキョロ探したけれど、群衆のなかに勇二の顔はない。
「中央駅だろ。俺と葛城を繋いでるのは、電話だけじゃないぜ」
キザな言い回しに一瞬、鳥野郎を思い出した。
「今は無理かも。お神輿を見てる人たちだらけで、走れないよ」
「お神輿?」
「あっ、ちょっと待って」
お神輿の後ろのパトカーの中に、さっきのパトカーを見つけた。
「つり目が来た。できるだけ、たどり着けるように、頑張る」
そこで、スマートフォンを切った。
「あれっ?おい、おい。葛城?」
「どうした?」
守人の心配顔。
「お神輿とか、つり目とか言ってたけど」
ふたりは顔を見合わせて、黙ったまま、中央駅の方を見つめた。
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美凪は、「ごめんなさい、通ります」と頭を下げながら、人混みのなかをバイクを押しながら、中央駅東口一番街に向かう。
アーケード商店街も、ほどほどに混んでいたけれど、押して歩くには、十分空いていた。
途中、左へ折れて、路面電車の走る道路に出る。
のろのろ動くお祭り隊はまだそこまで、来ていなかった。
跨がりエンジンをかけると、右折する。
ボーリング場までは、すぐだ。と、左の脇道の一車線から、パッシングされた気がした。
通り越してから、左ミラーで確認すると、つり目だった。
「しつこいっ!」
どうやら中央駅から、脇道を通ってきたらしい。
「はい、ナンバーの見えないそこのバイク。左に寄って止まりなさい」
相変わらず、警察は他力本願、努力しない。
そうは思いながら、今回は勝手が違う。引き離せない。
右に揺らしてフェイント。
直ぐに左バンク。
クラッチミート。
加速。
ミラーに一瞬遅れて、つり目の青白いライトが映る。
あっという間に、ミラーに大写しになる。
直ぐに、右バンク、そして、左へ。
一車線を電柱すれすれに、傾げてすり抜ける。
ミラーから消えた。
ミラーから前に視線を戻すと、つり目の横っ腹が見えた。裏道から廻ってきたのだ。つり目は急停車、バック、そして、右折。
来るっ!
美凪も急ブレーキ。
フロントホークが沈む。
直ぐに再加速。
右を見る。
リアブレーキ。
プルクラッチ。
リアタイヤロック。
右にハンドルを切る。
リアサスが伸びる。
アクセルオン。
クラッチミート。
スピン。
前傾姿勢。
荷重移動。
リアブレーキを当てながら、ハンドルを刻む。
バイクの傾きをコントロール。
シフトダウン。
180度転換終了。
ゴム片を飛ばしながら、前へっ!
「ひゅーっ!」
つり目の、スピーカーから思わぬ、歓声。
それでも、
「止まりなさいっ!」は変わらない。
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勇二は守人のタブレットを覗き込む。
「今、どこだ?」
守人は答える。
「中山方面。地図にも載らないような、山道だ」
車一台、やっと通れるような、山道。
林道だけれど、舗装され、崖側にはガードレールも備わっている。
とはいえ、二輪に山道は恐怖だ。特に下りは、身体を起こしてしまう。
うねうねとした道を走りながら、どうか対向車が来ないようにと祈りながら、美凪はバイクを駆る。
パトカーも、追跡車両が、事故を起こされてはたまらないから、ある程度の距離を置く。
幅広のボディは、道幅いっぱいだったこともある。
とばせない。
一旦、登りきると、次に下りが来る。
頂上で、はるか向こうに指宿スカイラインが見えた。
どうしても体が起きる。
スピードも落ちる。
後方が気になる。
焦る。
ミラーを見る回数が増える。
その時。
思いもよらない急カーブが現れた。
右バンク。
お尻を落として、左膝でバイクを倒す。
ズルズルと、ガードレールに迫る車体。
トラクションコントロールでエンジン回転数は落ちるも、間に合わない。
一か八かだった。
身体をシートに戻すと、リアブレーキを踏み込む。
リアタイヤが滑る。
ハンドルを左に、クラッチを切る。
二輪が滑る。
慣性ドリフトになる。
シフトダウン。
クラッチミート。
アクセルを開ける。
リアタイヤがグリップを取り戻した。
それでも、そこにガードレールが迫る。
思わず左足で、蹴るっ!
三回蹴って、軌道にもどる。
膝から先が痺れる。
でも、止まれない。
警察憎し。
警察憎し。
警察憎し。
こいつらに捕まってなるもんか。
こいつらに捕まるくらいなら、
「死んだほうがましだっ」
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内燃機関エンジンは、燃料がなくなると、動かない。
わずか17リッターで480キロ走れるとメーカーでは言うけれど、それはそれ、人による。
「どうする?」
守人が、まだ移動し続ける赤い点滅に安堵しながら、勇二に訊ねる。移動手段は勇二のバイクしかないのだから。
「俺の予想だと、ジャッドは産業道路沿いのどこか港に追い込まれて、一網打尽になるはずだ。だから、葛城には、その向こうの谷山の埠頭まで来てほしい」
「考えがあるんだな?」
守人の問いに、無言で頷く。
タブレットを、見る。
「とにかく、電話はかけ続ける。行こう、谷山に」
守人は、勇二の後ろに、跨がる。
左足が限界だった。
もう爪先が、石のようだった。
アニメや映画のようにはいかないんだと、改めて思う。なぜだか、クスリっと笑いが漏れる。
お父さんのところに行くのか。
悔しいけれど、わたしの力不足。
目の前に三叉路。
二車線の道路が横たわる。
低音のエキゾーストノイズはまだ、山の上。ライトが途切れ途切れに見える。
三叉路突き当たりに、行き先案内の看板。
右に谷山とある。美凪には、それしか見えなかった。左に傾くには、左足が荷重を嫌がった。右に、曲がる。
スマートフォンが震えている。
救いの手がさしのべられている。
ミラーを見る。
まだ、敵は山腹なかほど。
止まる。
左足に力が入らず、転倒する。
「チクショウっ、チクショウっ」
バイクを起こそうとする。215キログラムプラスアルファの車体はおいそれとは、起き上がらない。
ここまでか。そう思った。スマートフォンをとる。
「葛城。谷山港までこい。俺たちがそこにいる」
勇二の声。
なぜだか涙が出る。
「うん。行く」
美凪は、右膝をバイク下に入れる。腰を、1、2、3で跳ね上げる。左足が悲鳴を上げる。エンジンは止まっている。
下り坂。
クラッチを引く。
転がしながら、ジャンプして跨がる。
なん速か、確認せずにクラッチミート。
ブスッブスッとバイクが愚図る。
「お願い」
願いは届く。
派手なバックファイヤーを鳴らして、息を吹き返すと、傷ついた女神を乗せて、鉄馬はまるで自身の意思を持つように、走り出した。
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産業道路まで、下りてきた。
片側四車線。信号が変わると右へ進路を取る。
どこをどう走ったのか、美凪には、わからない。バイクが導かれるように勝手に走っているようにも感じる。
潮の香りが強くなる。
巨大なコンテナ群が並ぶ場所に出る。
暗がりに、ポツポツと軽トラックや自動車が止まっている。それらも軽自動車が多い。鹿児島らしい。
夜釣りをしているようだ。
誰も美凪を気にする者はいない。
堤防の先には、真っ黒な海が凪っている。
美凪は、ライトを消す。
低速だが、ギアが高いのか時々ノッキングする。でも、左足はもう、動かない。
静かに、赤色灯を回したつり目が、港に侵入してきた。
釣り人はみな、定期的な見回りだろうと、これも気にしない。
美凪はコンテナを回って、コンクリート造りの漁協の事務所の前にバイクを止める。
倒れた。
もう、動けない。
息が苦しい。
意識が遠のくなか、人影が近づいてきた。
ふたりは手分けして、一人が美凪を、もうひとりはバイクを起こすと、事務所横の倉庫との路地に入っていく。
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温かい空気を感じて、目が覚めた。
ゆっくり視点が合っていく。
井上くん?
勇二の顔が、上昇していく。
何してたんだろう?頭のなかに靄が掛かったようで、判然としない。
白い天井、白い壁、白いカーテン。
入院したことがなくても、ここが病室だとわかる白さ。
全部、夢だったのか?
左足を動かす。動かない。視線を落とす。吊られた自分のものらしい左足が見えた。
「井上くん」
自分でもか細いなと思う声掛けに、
「おっ、気づいた?もう大丈夫。井上病院へようこそ」と反応が良い。
「バイクも無事だよ」
そう言われて、「ありがとう」と微笑んでみる。
少しずつ、思い出してきた。
暴走族を見て、つり目のパトカーに追いかけられて、山道でガードレールを蹴った。
「あぁ、あのときの怪我か」
ボソッと呟く。
「どのときの?」
勇二はどんな小さな声でも、聞き逃さない。今ならきっと、アリの歩く音も聞こえるかもしれない。
「ガードレールを、蹴ったの」
「そりゃ、すごいな。俺は蹴られないようにしようっと。で、ガードレールは無事なのか?」
笑っていた。
つられて、笑った。
少し足に響いた。
でも、笑い続けた。
と、急に思いついた。
「さっき、わたしに、キスしたでしょうっ!?」
勇二は笑いながら、美凪の足元から、後ずさった。