バイクと友情と愛
1
葛城美凪は、母、由美子が遅出の看護師の仕事に出掛けるとすぐに、バイクのカバーをはずす。
黒のジャンプスーツに、シンプソンのマッドブラックのヘルメットを被る。
高校生になってすぐに、バイクの免許を取った。
学校では、バイク通学禁止でなおかつ、免許取得も、やむ終えない家庭の事情によるアルバイトで、使うことを前提に許可している。
見つからなければ、大丈夫。美凪の口癖。
葛城由美子は、女だてらに、大きなオートバイに乗って、危ないわよ、彼氏も出来ないわよ、早死にするわよと、耳に痛いことばかりを言うけれど、結局は許してくれた。
それは、美凪がまだ中学生の時に起こった事件に、起因している。
許す理由なのかどうかは、由美子にもわからないけれど、母ひとり子ひとり、心配もし、信じてもいるのだった。
美凪がバイクに跨がると、スターターを押す。
並列(直列)4気筒DOHC948㏄エンジンが、目を覚ます。
はじめ早鐘のよう、やがて、乗ってくれる嬉しさを噛み締めるように、落ち着いたエキゾーストサウンドを、奏ではじめる。
美凪はゆっくりと、夕暮れの街に走り出す。
2
錦江湾(鹿児島湾)に足早に沈む夕陽。
あっという間に、全てを吸い込む、夜が来た。
仙巌園前の信号を、美凪は左に走らせる。海沿いの道は、磯海水浴場を左に、緩やかなカーブが続く。
目指すは、天文館。
井上勇二と中島守人は、天文館通にいた。
「今夜はおばさんが、遅出出勤だから、来るぜ」
勇二が、斜め上に山形屋を見やりながら、うそぶく。
「へぇ~」
守人は、面白くなさげに返す。
だいたい、鼻高々な態度が気にくわない。
井上病院の次男坊。そこに勤める美凪の母さん。だから、勤務表を盗み見ることもできるらしい。いや、実際やっているのだ。
一方、母子家庭の一人っ子の守人はそれでも、学校一の秀才で、なぜこんな偏差値の低い高校にいるのかと、会う人会う人に訊かれるほど。
決まって答える。
「貧乏でカネがなくて、地元の歩いて通える高校が、ここしかなかったから」なのだ。
それに、守人は勇二に嫉妬していた。
それは、美凪がバイクに乗り始めたきっかけが、勇二だったからで、つまりは、守人よりも先に、美凪と勇二は知り合っていたのだ。
思い出すのも腹ただしい、あの夏。
3
高校一年の初夏。
その年の4月から、井上病院に勤めだした母、由美子にお弁当を届けに、美凪は受付前の並んだ椅子に腰かけていた。
ほどなく白衣の由美子が、受け取りに来た。
短い会話のあと、慌ただしく由美子は勤務に戻っていった。
誇らしい母。
あんなことがあっても、前向きに健気に頑張っている。見ていると、美凪も元気づけられる、そう思う。
駐輪場に向かう。
よく晴れた小春日和の日曜日。
革ジャン姿の少年が、緑色の大きなオートバイをバックで出しているところだった。
しばらく、待つ。
出し終わると見ると、軽く会釈して、自分の自転車に向かう。すぐ、隣だ。
「あれっ、君は同じクラスの、確か・・・」
そう声をかけられて、美凪も少年を見る。確かに見覚えがある。
「葛城ですけど」
自ら名乗ると、
「そうそう、葛城さん。僕は井上勇二です。この病院に用事?誰か入院してるの?」矢継ぎ早に質問するから、
「母が看護師で、お弁当を届けに」と答える。
「そうなんだ」
「オートバイ。大きいですね。井上くんの?」
今度は尋ねられて、勇二は少し嬉しそうに、
「そうなんだ。古いバイクで。学校には内緒ね」ウインクする。
オートバイのことを訊かれて嬉しそうなので、もう少し訊いてみる。オートバイと言えば、
「うん。これ、速いの?」
「頑丈なんだ」
「なにが?」
「エンジンが」
「そう。で、速いの?」
「レースでも音を上げないエンジンさ」
美凪は、質問を取り下げることにした。
丈夫なエンジンのオートバイなんだ。それは、わかった。
「風を切って走ると気持ちいいんだ。乗ってみる?」
「免許いらないの?持ってないけど」
「後ろに乗るのは、タダだよ」
タダという言い回しがなぜだか、ウケた。
笑顔を見て、勇二はフックの、アライのフルフェイスを渡す。
少しブカブカしたけれど、勇二があご紐を締めてくれて、なんとか収まった。
スリムなジーンズを気にしながら、後ろに跨がる。
「僕の腰を掴んで」
言われるままに、腰に両手を回す。
勇二は、背中に全神経を集中させながら、初めてのタンデム走行に心弾ませた。
4
中島守人がその話を聞かされたのが、その年の夏休み直前。
守人も美凪が気になっていたから、こっそり幼なじみの勇二に相談したところ、驚愕の事実を聞かされたわけだ。
猛烈に嫉妬した。いっそ、勇二の背中の皮を剥いでやろうかと、インディアンの気持ちにもなった。あちらは確か、頭の皮だっけ?
そんなことを思い出していると、右手の交差点が突然、静まり返った。
土曜日の賑わう天文館通が、まるで海の凪のように。
鹿児島駅前の路面電車の踏切を越えた辺りで、美凪のスイッチがオンになる。
少し前傾に構え、シフトダウン。
軽く後輪がスリップ。でもすぐにトラクションコントロールが効く。
小刻みに、LEDテールランプが、閃光を曳く。
コントロールされたエキゾーストサウンドが、鹿児島市役所前を通過。
片側三車線、中央に路面電車の線路を挟んで、合わせて六車線の幅広い道路を、地面を滑空する戦闘機さながら、駆ける。
もはやシグナルは関係ない。ノンストップ、ゴーゴーだ。
右に山形屋。
大きな交差点。
右折して、天文館通が見えてくる。
シグナルは赤。
突っ込む。
右へバンク。
テールランプがゆらりと閃光を曲げる。
路面にうっすら溜まった、桜島の火山灰が、美凪をバイクもろとも、死へといざなう。
トラクションコントロールが、エンジンの回転数を抑える。
スリップしない。
立ち上がる。
シフトダウン。
後輪が、微少なゴム片を飛ばす。
エキゾーストが、渦を巻く。
交差点のすべての動きが凪まる。
天文館通に響き渡る、エキゾーストサウンド。
それが引き金に、群衆が歓声をあげる。
何度か走るうちに、集まるようになった、ギャラリーたち。
次いで鳴り始めるクラクション。
「来たっ」
勇二が、叫ぶ。
あっという間に、目の前を走りすぎる。
はるか後ろから、サイレン。
「そこのオートバイっ、止まりなさいっ、止まれっ、とまらんかぁぁぁぁぁぁぁ!」
美凪は、ミラーに写るパトカーにうそぶく。
「お前も、努力しろっ!」