2月 卒業研究発表会黙示録
2月、提出物を全て出した僕らに残った課題は「卒論発表会」という存在だけだった。
2月最初の研究会で僕らは卒論発表会の練習を行った。といっても未だ続く感染症の影響で僕らはオンラインで卒論発表会を行うことが決まっていた。その為、発表練習もオンラインで行った。
教授は言った。
「まぁみんな練習はしてきているよね?」
僕らは苦笑いを浮かべた。
1月末にブラッシュアップした卒論発表会発表資料を用いて僕らは教授の前(画面越しであるが)で発表練習を行った。本番の発表時間は7分、質疑応答2.5分。僕らはかなり時間的にギリギリな発表を行った。
「ちょっと時間超えちゃうね」
教授が言う。
「発表したいことが多すぎて…」
「まぁ仕方ないよ。~ページと~ページの内容は削って…」
と、教授から最後のアドバイスを頂き、発表練習は終わった。
そして卒論発表会当日。
僕らの研究室の発表は2日あるうちの1日目。そして、全11研究室の中で2番目の発表だった。最初に出席確認が行われ、すぐに最初の研究室の発表が始まった。
オンラインでの発表の為、誰が居て誰が居ないかはすぐにわかる。参加者リストが表示されるからだ。そのリストを眺めていると、一つ気になることがあった。
「あれ?1人居なくないか?」
僕らの研究室で今年卒業予定なのは学部生10名のみ。にも関わらず、卒論発表会に今出席している研究室の学生が9人しかいないのだった。
グループLINEが荒れだす。
「1人寝てねぇか?大丈夫か?」
「電話出んが!?」
「やばーーーみ!」
「やばくね?」
「院生に報告した方がいいのかなこれ」
「でも寝てたっていうの…言い訳としてまずくない…?」
「電話ならし続けるしかないかなぁ」
今おそらく眠っているとされる男の発表は中盤。それでも僕らの研究室の発表まで残り1時間を切っていた。
「発表にさえ間に合えばワンチャン!」
家庭の事情で今出れない、ネット環境の不具合が生じている、などと寝坊している男をフォローするアイデアが次々と出てくる中、1人の同期が言った。
「実家家電凸した」
起きない男の高校の同級生が同じ研究室に居たのだ。幸運にも、家の電話番号を親が知っており何とか連絡が繋がったらしい。
起きた彼は言った。
「司会の教授にパソコンのネットワーク不安定で遅れましたって言ったわ」
「つまりこれで二度寝していいってことか」
「ジョークが効きすぎてて心臓破裂しそう」
僕らの研究室の発表30分前の出来事だった。僕は、1本の電話で一人の男の卒業が守られることもあるものだな、と思った。
それからはひたすらに僕らの研究室の発表が続いた。
僕らの研究テーマは、中間の時と同じ教授が同じようなどこかすれ違いのある質問を投げかけてきて、何とか答えるもののやはりどこか考え方のすれ違いがあってうやむやになってしまった。
共同研究者は言う。
「マジで何だったんだ」
それに対して皆が答える。
「もう忘れようぜ」
「麻雀しよう。」
「終わったからヨシ!(指さし確認)」
僕らの研究室の発表が終わると共に、オンライン麻雀大会が開催された。
いつも心にメンタンピンを思いながら、僕らは卒論発表会の音声をBGMとして各々流し、牌を捨てながら反省をする。
「今回の質問、デッドボールが多かったな」
「痛いところっていうか訳が分からないところにボール飛んでたけどな」
「いや仕方ない」
「教授もさ。何か質問しなきゃいけないから必死なんだよ」
「そう考えると大変だよな」
「まぁとりあえずお疲れって感じ」
麻雀というゲームは放銃しなければ勝機はある。それが僕の持論だ。しかし、ここは素人の戦い。意味不明な待ち、特に理由もなく明カンする輩、そんなメンツが揃うとリーチのみだった役が突然ドラが幾層にも重なり倍満、跳満に早変わり!!などという狂気の事態が頻発する。
つまり、筋などまるで読めない。まさにアグロ麻雀。
半荘戦を何回かした後は、各々好きなように過ごした。
ある者はバトルロワイアル系ゲームを同期と共に勤しみ、ある者はDiscordに入っておきながら通話に参加することを忘れたり、ある者は再び出席確認が来るまで席を外したり、様々だ。
それでも、皆の心には1つ、同じ感情があった。卒論発表会をなんとか終わることができたという安堵だ。
卒論発表会2日目、僕らは研究室に集まっていた。といっても、10人中6人だけだったが。
きっかけは「家で各々で卒論発表会を聞くのは集中できない」という1人の意見からだった。
教授に相談してみると、特に何も聞かれずに「了解しました」と連絡が来たそうな。
ただ、おまけとして来年度配属予定の学部3年生が2人、来ることが決まった。熱心な3年生である。卒論発表会に学部4年生と一緒に参加するとともに、研究テーマの話を聞きたいそうだ。
午前中の発表が終わった後、僕らは大学傍の家系ラーメンの店に行った。僕らが第2の食堂と慣れ親しんだラーメン屋だ。
僕はサイドメニューであるチャーシュー丼の食券を1枚多く購入し、共同研究者に渡した。
「ありがとうの気持ちだ。受け取ってくれ」
「150円かよ」
ラーメンの味はどこか懐かしく、そして美味かった。固め普通、ごはん大盛は正義。
その後も研究室で卒論発表の音声を流しながら研究室の同期、改め戦友たちとのかけがえのない時間を過ごした。
卒論発表会の後の2月は、卒論以外の成果物(実験データや図面等)を共有ファイルにアップロードして教授に渡したり、入社書類が届き社会人になる準備を少しずつ始めたりする期間になった。
といっても、僕らの研究テーマは卒論発表前から成果物を多く提出していたので改めて何かするようなことはなかった。僕はといえば、かなり怠惰な生活をしていた。それこそ日にB級映画を何本も見たり、オンライン麻雀で知らない人と対戦したり、漫画アプリで漫画を一気読みしたり…学生生活の最後を雑に過ごしてしまっていた。
例年であれば、卒業旅行などしていたのだろうが…今年はどうも旅行なんかは特に控えるよう政府からのお達しがあったので仕方ないと言えるだろう。
とにかく、2月は他の月よりも早く終わってしまった。
当然といえば当然である。28日しかないもの。