12月 鶏肉はもも肉に戻っていたクリスマス
「もういいんじゃないか?」
実験装置を動かしながら、共同研究者はぼやく。僕は「せやなぁ」と気の抜けた返事をするだけだった。
12月。今年も残り1ヵ月を切り、師走とも言うように年末に向けて慌ただしい日々が始まっていた。
僕らの研究テーマはかなり限界が近付いていた。
というのも、実験装置の一番重要なパーツの再設計をしないと今より良いデータを取ることができないのではないか?という結論が出始めていたからだ。
シミュレーション結果に近しい値は「なんか色々やってると偶に観測できる」という再現性の非常に悪いものだし、シミュレーション結果と実験結果がそぐわない点を考慮すると、そもそもシミュレーション結果に用いている計算が正しいかどうか本当に超絶マジで本気で言いきれるか微妙な話になっているのだ。
教授も
「まぁシミュレーションはあくまでシミュレーションだからね。同じものが出ないという事は実機とシミュレーション、どちらかが間違っている可能性もある」
と優しく諭してくれたくらいだ。
そういう経緯もあって、共同研究者は再びぼやく。
「もう終わりで良いんじゃないかな」
僕はマウスカーソルでPCの画面をクリックしながらクッキーを焼いていた。
「卒論書くかぁ~」
そんな具合で卒業論文の執筆及び前刷りの準備が始まった。卒業に向けた準備は進みめたのだ。
今回僕らが取り組んでいるテーマは新規研究テーマという事もあり、過去に論文を書いている先輩はいない。その為、1から書き始める必要があった。
といっても卒論に書く大まかな内容は決まっている。概要からは始まり、理論、実験装置の説明、そして実験結果を示し考察及び今後の展望を示す。最後に参考文献と謝辞を述べればおしまいだ。その大まかなプランさえ示せば、あとは今年1年僕らが取り組んだことをWord上に書き出していけば良い。
そんな具合で最初に目次で具体的に書く内容を決め、それをベースに共同研究者と各自勝手に分担を決めて作業を進めていった。僕は実験装置について、共同研究者は理論について書く感じになんだかんだいってなった。
それからの12月は、研究会の度になんとか頭を捻って発表内容を絞り出し水曜日に大学に集まって方針を確認し、何度も実験装置を動かして「ダメっぽいっすね~…」と首をかしげていった。
そして、卒論執筆と答えの見えない実験データの収集を続けていると今年最後の1ヵ月はあっという間に過ぎ去っていった。
12月も終わりが近付き、今年も研究室に入れる日数が限られてきた頃、ふとクリスマスパーティー(笑)兼忘年会を開催しようということになった。今年一年を労い、どうせ予定の無いクリスマスを男達で研究室に集まって騒ごうというのだ。
といっても、あくまで「予定が無かったら」という前提付きだが。男達で集まるよりも優先すべき予定があればそちらに皆行くつもりだった。
そして迎えたクリスマス。何故か…誘った人間全員来ていた。不思議なこともあるものだ。誘った時は
「いやぁ~、その日予定今はないけど入るはずだから」
と何かを臭わせるような発言をしていたのに。
研究室に集まり、何を食うか、何を飲むかを決める。
6人で話し合った結果、鶏5名、鮭1名に分かれ結局鶏肉を喰らうことで決まった。
買い出しには僕と共同研究者が選ばれた。
「今年ももうすぐ終わるな…」
クリスマスに浮かれる大学最寄りの繁華街を、哀愁を漂わせながら男2人で歩く。
ウイスキーやウォッカ、それに缶チューハイを何本かをスーパーで買い、大学生にとって値段も量もお手頃なことで評判の弁当屋で唐揚げとフライドチキンを購入した。
大学に戻る頃にはいつもの麻雀をやる机が奇麗に片付いており、宴会を始める準備はできていた。
唐揚げは、もも肉に戻っていた。一時期は胸肉に変わり多くの大学生から不満が出ていた唐揚げだったが、今回は美味い。若干12月の冷気にやられて冷たいが、それもまた弁当屋の唐揚げらしさを際立たせていた。
何故か研究室に山積みになっているレッドブル(ピーチエディション)にウォッカを注いで雑に飲んだりしていると、酒がゆっくり身体に浸透していく。しょうもない話に花を咲かせ、時折真面目に将来の話をしたりした。
「マジでそろそろマッチングアプリにでも手を出そうと思う」
酒に酔ったのか共同研究者が呟く。
それをきっかけに共同研究者のマッチングアプリのユーザー名を決める討論が始まる。
結果的に僕らは
「催眠種付けおじさん」
をユーザー名にするよう強要したが、彼がどんな名前にしたかその後どうなったのかはわからず仕舞いだった。
そんな意義の無いような、否、有意義な時間を過ごしていれば気が付けば大学の退館時間が訪れた。
「もうちょっと酒の肴を用意するべきだったなぁ」と思いながら片づけを始める。
僕らは空き缶とかけがえのない大学生の思い出を抱えて大学を出るのだった。
そして、別に〆のラーメンを食べに行くようなこともなく、ゆっくりと帰路につくのだった。