9
通称死の砂漠と呼ばれるキラザの赤い砂が目の前には広がっていた。
旅人は必ず避けるという、砂と岩ばかりの不毛の地だ。
岩石と岩石の隙間に身を顰めて、ようやく二人は一息ついた。
(もうどれだけ歩いたかわからない)
王都を出てしばらくは必死で走り、その後はひたすら道なき道を歩いた。
口も喉も干上がり、舞い上がる砂埃が張り付く。
ラサラスは一口自分で飲んだあと水袋をラナに渡すが、人の水――しかも王子の水だ。畏れ多くてとても飲めたものではない。
「さすがにここまでは追って来ないか。だけど――とんだことになったな」
飄々と言うラサラスだったが、ラナはまだ足ががくがくと震えていた。
この砂漠に迷いこんで行方知れずになった人間の話は、北部出身のラナでもよく聞いた。そんな場所にラサラスを追いやってしまった。
「わたくしのせいです。わたくしがあのとき逃げなければ――」
「いや、違う。私のせいでそなたを巻き込んだようなものだ」
『私が、そなたに興味を持ったから』
僅かに触れ合う腕からそんな声が聞こえて来てラナは赤面し、彼から距離を取る。
「幸い、まだそなたは妃にはなってない。酷いことにならないように裏で手を回してやる」
ラサラスはニッと笑う。だが笑顔の陰りは隠せない。
『私には、まだ、兄を倒す覚悟はない』
逃げながらぽつりと彼が漏らした言葉をラナは拾っていた。
ラナには、慕って支えて来た兄に厭われていると知ったラサラスが酷く傷ついているのが分かった。心配して見つめると、彼にはラナに心情が漏れている事を察したのだろう。
「私のして来た事は、兄上には迷惑でしかなかったらしいな」
自嘲気味に笑う彼が痛々しく、ラナは励ましの言葉を探る。だが、なんと言って良いか分からなかった。
「優しい兄だった。――いつから、疎まれていたんだろうな。私は兄弟でなど争いたくなかったから、ああして尽くして来たのに、それさえも厭われていたなんてな」
迷子になった幼子のような様子にラナは耐えきれずに言った。
「殿下のお心はきっと通じます。ザウラク殿下も今はきっと疑心暗鬼になっておられるだけで――」
だが、彼女の言葉は取り違えられる。
「そうだったな……そなたは兄が好きだったのに、私のせいで巻き込んですまなかった。せめて無事に故郷に帰れるように、手を尽くす」
続行する誤解にラナは驚く。
「そうだな。この近くにダルヴァザという小さな村がある。そこには多少伝があるから、そなたの事も頼んでみる」
「既に追っ手が向かっているのでは?」
「いや、それはない」
にやりと笑われて不思議に思ったが、理由はすぐに知れた。
「あの、殿下」
目に映る赤い光景に、ラナは戸惑いを隠せない。
「なんだ?」
「そちらに行かれてはなりません」
「どうしてだ」
「冥界の門があるではないですか!」
キラザ砂漠にある謎の大穴。その中央からは永久に消えないと言われる炎が吹き出している。
昔、その炎は近づくものを悉くあの世に攫ったと聞く。畏怖の念に駆られた民は決して近づこうとしない。
赤い色がアウストラリスで畏れられ、禁色とされた所以でもあった。
「地中に燃えやすい気が溜まっているだけだ。それを吸えば死ぬから、ああして燃やしている――多くは知らないだろうが、私は以前視察に来た時にダルヴァザの民に聞いたんだ」
いたずらっぽく笑うとラサラスは炎の吹き出す穴へ向かって足を進めた。
数本の炎の柱に干上がった喉を焼かれる。ふらつく足を叱咤しながら通り過ぎると、やがて影のない砂地に灌木が現れ出した。
微かな水のにおい。砂の丘を越えると焔柱に隠れるようにしてオアシスがあった。
「こんなところに村があるなんて、知りませんでした」
「砂漠を行く者にひとときの休息をくれる村だ。私の故郷に急ぐ時には通らせてもらっている」
ラナは朦朧とする頭で地図を思い浮かべる。ラサラスの生家はカフラマーン。キラザ砂漠を越えた西端で、砂漠をぐるりと回り込まないと辿り着けない辺境の地だ。だが、砂漠を突っ切ることが出来れば確かに随分時間が短縮出来るのだろう。
(あぁ、とりあえず、これで水が飲める、わ)
ほっとしたとたんに視界が霞むのを感じる。
「カフラマーンまで辿り着けばこっちのもの……おい!?」
あれ? 殿下がお二人――と思った次の瞬間、ぐらり、とラナはその場に崩れ落ちていた。