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 夜が廊下に音もなく流れて来ていた。

 燭台の明かりは心もとなく足元を照らす。ラサラスは近衛兵の恰好をしたまま見回りでもするかのように飄々とした表情で足を進めた。

 彼がふらふらと自室を抜け出すのはいつものこと。お気楽な第二王子の特権である。

 城のどこを通ればどこへ出るのか。使用人が使う抜け道までも把握している。

 ラサラスは倉庫に入り込むと、反対側の通用口を抜けて裏庭へと出た。聳え立つ塔は冷ややかな月を突き刺していた。

 中庭に忍び込むと、明かりのついた窓を見やる。ラサラスは傍にあった茂みに身を隠し、息を顰めた。


 *


 ラナは目の前でにこやかに微笑む男の姿にほっとしていた。

 銀糸のような髪に青い瞳。繊細で端正な顔に浮かぶ表情は柔和で甘い。

 あらゆる女性を虜にするという噂は誇張されたものではないのかもしれない。


(随分麗しい方。これではまたシャウラに文句を言われそうね)


 苦笑いを飲み込むと一歩踏み出し、深く礼をした。


「シトゥラのラナと申します」

「そう」男はちらりとラナに視線をやったが、すぐに興味を失った様子で、酒を飲み続けた。

「随分細いね。栄養が足りてない。どうも、僕好みでは無いな」

「――申し訳ありません」


 遠慮ない言葉にぐさりと胸を突き刺され、顔が引きつった。


(これでも、この体型になるためにたくさん食べさせてもらったのよ)


 ザウラクの好みに合わせ、ラナに与えられる食事の質が上がった。

 しかし、皆の羨望の眼差しの中では味などしなかった。

 裕福な王子にはそんな事情は分からないのだろう。思わず鋭くなりそうな視線をラナはテーブルの上に置いてあった菓子に向けた。部屋に漂う甘い砂糖と芳醇なバターの香りの発生源はきっとこれだろう。


(ああ、もう、美味しそう! こんな贅沢なお菓子を毎日食べられたら、あなた好みに太ってみせるわよ!)


 怒りを押し殺すラナの前で、ザウラクは窓の方をちらりと見ると、くすりと笑う。


「でも、清貧なラサラスなら好きかもしれないね。僕が要らないと言えば、あいつのところにいくのかな。となると少しだけ惜しいかもしれない。人のものっていうのはどうしてこんなに美味しそうなんだろうね?」


 にやりと笑うと、彼は手招きをした。

 一度でも機会があれば、本懐は遂げられる。緊張でごくりと喉を鳴らしてラナは一歩椅子の方へと踏み出す。

 だが、ザウラクはラナに触れずに、隣の部屋に声を掛ける。そして現れた近衛兵に指示した。


「カルマ。調べろ」


 ベールをはぎ取られ、強引に床に押し倒されたラナは、カルマと呼ばれた兵に馬乗りになられて、軽く側頭を打った。顔を隠しながら、ひどい仕打ちに思わず抗議の声を上げる。


「な、何をされるのです。無体な事はおやめくださいませ――」

「身体検査だ。このところ、物騒なんでね」


 カルマの手が喉にかかる。詰まった襟に指がかかり、ラナは身を捩った。


「ラサラスの息がかかっていたら命が危ない。その大げさな服の下に隠しているのはナイフ? それとも毒?」

「そんな! 滅相もありません!」

 思わず目を剥くと、

「僕が何も知らないと思っているのか? 改革派が動いている事くらい、いくら僕がのんびりしていても分かっている。だから女は自分で選ぶことにしているんだ。出来る限り愚かそうな女をね。送り込まれた者――特に妃ならば、念入りに調べなければ。寝込みを襲われては敵わないから」


 ザウラクはニコニコと笑いかける。その笑顔は酷く美しい。

 だが一方ラナの上に乗っている男は酷く醜かった。指先は滲み出る欲望に澱み切っていて、ラナの恐怖をひたすらに煽った。

 無骨な手は上から下からと服を開け始める。乱暴な仕草にラナの肌は泡立つばかり。

 助けを求めて、ザウラクに手を伸ばすが、彼は美しい笑みのまま上から観察しているだけ。


「ふうん。綺麗で上品な顔をしているね。それに禁色の髪か。本当にヤツ好みだな。僕としても、細いのが、そして賢そうなのが本当に惜しい」


 くすくすと笑いながら言うと僅かに焦れた様子でカルマを急がせた。


「珍しい衣装だ。必要以上に肌を隠すのは北部だったかな? 暑苦しいだけだと思うけどね。脱がせにくいなら、破っても構わないよ」


 ザウラクの非情な言葉の直後、びりびりと服の裂ける音が上がり、ラナはとうとう悲鳴を上げた。


「やめて――」

(皆が心を込めて作ってくれた衣装なのに! なんてことするの!)


 大きな骨張った手がむき出しになった肩を撫でる。そのまま身体の上を這い始める手にもザウラクは止めようともしない。

 身体の上の男の欲望は膨れ上がるばかりなのに、ザウラクは見守るだけ。笑みさえ浮かべた表情はこの茶番を面白がっているようにも思えた。

 妃だというのに、指一本触れられる事無く、捨てられるのでは――そう思ったとたん、ラナは叫んでいた。


「やめて! お願いです、こんなのは嫌!!」


 相手がザウラクならば覚悟して来た事だった。だが、相手が臣下では話は違う。


(あの方のお役に立たなければいけないのに)


 瞼の裏に人影が現れる。顔もろくに見た事が無いというのに、憧れて止まない存在。ぼろぼろと涙が目尻から溢れた次の瞬間だった。

 がしゃんと窓が大破し、床に大きな石が転がった。

 続けて飛んで来た石はカルマの頭を直撃し、ラナは解放される。思わず胸に服を抱きしめると窓際へと駆け寄る。外では布で顔を隠した男が一人こちらを睨んでいた。


「来い!」


 彼は短くそう言うと手を差しのべ、躊躇うラナの手首を掴んだ。

 くぐもった――しかし聞き覚えのあるような声がラナの背を押す。気が付くと、ラナは窓から中庭へと飛び出していた。


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