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「口は硬そうでしたか」
部屋に戻るとカペルが心配そうに尋ねた。
「問題はなかった」
頷きつつもラサラスは何となく腰が落ち着かず、苛々と部屋の中を歩き回る。
「どんな娘でしたぁ? 美人ですか?」
リュンクスが尋ねるが「北部の赤い髪の娘だ」としか答えられない。
「ああ、ムフリッド出身でしたっけ。顔を隠す風習、まだ残ってるんですね」
リュンクスはあっさり納得するが、ラサラスが答えられない理由は別にあった。印象まで口にすると、何か別の感情まで漏れてしまいそうな気がしてならなかった。
「うーん、見れないと思うと見たくなりますよねぇ」
ぼやく近従の言葉に思わずドキリとする。彼の心の奥底の願望を探り当てられたような気がしたのだ。
「任務がこなせるかどうかは別だがな。随分細かった。あれだと、兄上がお気に召さない可能性が高い」
無愛想にそう言うと、リュンクスはにやりと笑って言い換えた。
「へえ。〝華奢で可憐な娘〟ですか。じゃあ、どちらかと言うと殿下のお好みですねぇ」
「……うるさい」
ラサラスはリュンクスを睨んで黙らせたあと外を見る。宵闇が間近に迫っていた。今日の夜にはあの娘はすぐに部屋に召されるだろう。考えると急に焦燥感が沸き上がった。
(……泣くのではないか)
あの大きな瞳から涙が溢れるところを想像すると痛ましい。
もっと適任がいるのではと思わずにいられない。無駄に花を散らすのは気の毒で仕方が無い。だか、こんな気分になった事は初めてで、戸惑いが隠せなかった。
(カペルの言う通りにしていれば……会うのではなかったな)
変に情が湧いてしまったことを悔やむ。
ようやく執務用の机につくが、目が滑って書類の内容が頭に入って来ない。
「心ここにあらずって感じですけど、……まさか一目惚れですか?」
「そんなわけない」
思わずむきになると、リュンクスはははあと笑った。
「よりによって、兄上の妃となると……絶望的な恋ですねえ」
勝手に決めつけられてラサラスは腐る。
「そんなんじゃない。ただ」
「ただ?」
「…………」
可哀相で。そう言いかけてラサラスは違うと思った。可哀相な女はこれまでにいくらでもいたのだ。今日隣に侍っていた侍女だってそうだろう。先ほどまで、兄に一時でも情をかけられて良かったのではとさえ思っていたのだ。権力者にありがちな思い上がりだと気が付いて苦笑いが漏れる。
「奪ってしまわれればよろしいのに。王太子の座があればすぐに手に入りますよ?」
リュンクスはヒヒヒと笑って耳元でラサラスを唆す。こうして時折ラサラスの野心を煽る彼は、西部の貧しい土地の出身で、故郷のためにと必死でこの地位まで成り上がって来た。今の政治に一番不満を抱いているのは彼の故郷の民なのだ。当然と言えば当然であった。
だが、カペルが冷たく遮った。
「王位はともかく、娘は駄目ですよ」
「なぜだ? シトゥラの娘だろう?」
北部の力ある貴族ならば、そう悪い縁談でもない。ラサラスが問うと、カペルは顔を強ばらせた。
「シトゥラは北部ムフリッドにあります。カフラマーンと同じく貧しい土地です」
カペルは叔父王からの目付役としてラサラスの傍にいる。リュンクスとは違い生まれも育ちも良い貴族の中の貴族だった。
ラサラスはカペルの言いたい事を察する。彼らにありがちな偏見だ。カフラマーンでも貧しさから身を売る女は多い。彼女もその類いだと言いたいのだろう。だが震えていた小さな手を思い出して、首を横に振る。
「そんな風にはとても見えなかったが」
「さすがに使い古しを充てがう訳にはいきませんからね。売られる前の適当に若く眉目良い者を選んで来たのでしょう」
ということは、寵を失ったら――もしくは、彼女が気にしていたように役に立たなければ、そのまま、花街にでも放り出されるのかもしれない。それならば、留まろうとする彼女の必死さも理解できた。
兄の妃か、それとも妓女か。彼女の二つの未来を想像して不快になったラサラスは、とうとうこなせなくなってしまった執務を放棄する。
「どこに行かれます」
「散歩だ」
そう言って飛び出したものの、ラサラスの足は真っ直ぐにザウラクの部屋のある棟へと向かっていた。