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「兄上は未だ部屋か」

 陽光の燦々と差し込む会議の間に呆れた声が上がった。

「昨日取り寄せた〝品〟がずいぶんとお気に召したようで」

 円卓の隣の席に座っていた大臣が申し訳なさそうに項垂れる。

「……品、ね」


 ラサラスは小さく舌打ちすると、向かいにある空席のままの椅子を睨みつけた。金銀で飾られたひと際豪奢な作りの椅子も、主がいなければ役割を果たせない。


「今日は議決しなければならない事案が多いから、必ず出て下さいとあれだけ言ったのに。特に採掘権についてはいい加減に採決を取らねばならぬのに……誰だ? 要らぬものを差し入れたのは」

「廊下を歩いているのを勝手に連れ込まれたらしいです。一介の女官です」


 側近の一人――カペルが、ラサラスに近づくとぼそりと耳元で低く囁き、彼は苦い顔をする。


「この国にはハレムは無いはずだったがな」

「ザウラク殿下が即位されれば間違いなく作られるでしょうねえ。あは、きっと珍しく張り切られると思いますよー」


 もう一人の側近リュンクスの締まりのない声が会議の間にぽつんと落ちる。無礼だとだれも咎めないところが末期だとラサラスは思った。


「運営費用はどうするつもりだ。兄上も困窮している民の姿が見えないはずはないだろうに」

「臭いものには蓋をされる方なのですよ。ああ、殿下。嘆願書が届けられておりますので後ほどお持ちいたしますね」


 カペルは無表情で話題をさらりと変える。 


「……私の仕事だったかな」

「いえ。しかし溜まる一方ですので」

「わかった。要点を纏めて届けておいてくれ」

 指示するとラサラスは立ち上がり、会議の間をあとにする。兄がいなければ議題も進まないのだ。ただでさえ忙しい。時間の無駄は避けたかった。

「そうやってラサラス様がなんでも引き受けられるから、ザウラク殿下もどんどんお仕事されなくなるんだと思いますけどねー」


 つまり俺の仕事も増えるんです。と後ろをついてくる側近のリュンクスがぼやく。


「おかげで確実に味方は増えている気はするが、目の下の隈も同時に濃くなっていらっしゃる。殿下が倒れられたときがアウストラリスが倒れる時かもしれませんね」

 リュンクスに並んだカペルも物騒なことを言う。そんな酷い顔をしているかとラサラスは立ち止まり、目元を軽く揉んだ。ここ数日はあまり眠っていないと思い出したのだ。

「まぁ……兄上ほどではなくていいが、少し休みが欲しい」

 本音が漏れると、リュンクスが取り違えて色めき立つ。

「ああ、じゃあ女官のラウラなんかいかがです?」

「……私が欲しいのは遊ぶ時間ではなく、純粋に眠る時間だ。大体、ラウラはお前の恋人じゃないのか」


 確か噂があったはずだとぎろりと睨むが、リュンクスはとんでもないと大げさに手を振った。


「いえいえ、彼女、男なら誰でもいいんですよ。後腐れ無くて、ちょっと遊ぶのには丁度いいんです。殿下のお相手だったら大喜びで尻尾を振りますよ」

「問題外だ」

 呆れ果てて、足を止めた事を後悔する。

「相変わらずお硬いんだからー。だから次々と縁談のあった娘を横取りされるんですよぉ。ほら、その眉間の皺! 元はいいんですからもっと愛想よくされればいいのに……。十九歳だっていうのに男――しかも妙齢の小父様ばっかりにもてて嬉しいんですかぁ?」


 リュンクスがぶうぶうと文句を言い、ラサラスの機嫌は最悪の状態まで振り切れる。


「その話を私の前でするな」

 冷たい声で一喝するが、リュンクスは肩をすくめるだけで口は閉じなかった。

「でもぉ、もし妃まで盗られたらどうするんですか。ザウラク殿下は女を落とす事に関してだけは一流ですからねぇ。にしても、女ってのはどうしてあんなに権力に弱いんですかね」

「そういう女には元々用は無いから問題ない」

「さすが、余裕ですねえ」


 揶揄されてさらに機嫌が悪くなるが、彼も女っ気の無いラサラスの心配をしているだけなのだと自分を納得させた。




 執務室に戻るとラサラスはすぐに嘆願書に目を通し始めた。ここ一年で彼の仕事は莫大な量になった。というより、彼が政務につきはじめた一年前から、三つ年上の兄、ザウラクが全く仕事をしなくなったのだ。


(いや、一応仕事ではあるのかもしれないけれど)


 ザウラクには既に判明しているだけで三人の子がいる。彼の仕事は〝王族の子孫を残す〟という一点に絞られたと言ってしまえばいいのか。どうやら放蕩癖のある父を見習ってしまったようだった。

 病床にある現王の叔父を助ける事も無く、政務をほったらかして、朝から晩まで女と遊んでいる。それを好機と私腹を肥やす貴族。腐り行く国を立て直せるのはラサラスしかいなかった。


 ザウラクがまだ真面目に政務をこなしていた頃、ラサラスは王位を継ぐつもりはなかったし、継げるとも思っていなかった。

 この国の王位継承は、代々長子相続だが、放蕩の限りを尽くした父が早死にし、まだ幼かった彼の子供の代わりに、叔父が王位に着いたことから事情が変わって来ていた。

 叔父には子は無く、王位を継げるのはザウラクとラサラスの二人の王子だけ。


 ザウラクの母はアウストラリス中央のオアシス群を治める有力貴族プリオル家出身。領地アエスタースでは岩塩が大量に産出され、大陸内の塩はほとんどここで生産される。過去に多く妃を嫁がせ、王家を支えて来た名門だ。

 一方ラサラスの母の実家はアウストラリス西端、カフラマーンを治める零細貴族パンタシア家だった。カフラマーンの領地の半分以上は砂漠で、領民は昔からヤクや羊の放牧をして質素に暮らしている。過去に妃は出た事がなく、ラサラスの母は視察に訪れた父に差し出され、気まぐれに持ち帰られたそうだ。

 つまり、地盤の財力の差は歴然で、誰もがザウラクが王位を継ぐものだと疑っていなかった。


 だが、ここ数年でザウラクの放蕩に眉をひそめる貴族が増えて来た。ラサラスが働けば働くほど、それは顕著になった。

 ザウラクの周囲は頭角を現すラサラスを警戒して口うるさく諭しているらしいが、本人は母の実家の力の上に胡座をかき続けたまま。

 ラサラスもさすがに自分に望まれている事は理解できる。だがどうしても自分が相応しい器だとは思えなかった。

 王宮の不穏な空気は消える事無く、日々澱みを濃くしながら漂い続けている。火種はくすぶり、今にも燃え上がろうとしていた。


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