13
その年の末、第一王子ザウラクは、王太子の座を追われることとなった。
岩塩の採掘を巡る不正に加え、決め手となったのは、王への毒殺未遂を暴かれた事だった。
あくまでしらを切ろうとしたザウラクだったが、使った毒をはじめとする証拠品の発覚や実行犯の自白にやがて観念し、自ら王位継承権を放棄した。
新たに王太子となった第二王子のラサラスが、弱った王の政権を引き継ぎ、アウストラリスの新王として即位したのは三年後の春の事だった。
*
「ルティリクスはまたぐずっているのか」
ラサラスは今は自分のものとなった政務を終え、自室に戻っていた。泣かせ放題の幼子の泣き声が耳障りで、思わずうんざりとした顔をすると、妃は膨れっ面でこちらを睨んだ。
「いたずらが過ぎるから叱っただけですわ。そうおっしゃるのでしたら、少しは育児を手伝って下さいませ。陛下は忙しい忙しいと、いつも全部私に丸投げなのですもの」
「大変ならば乳母に任せろと言っておいたはずだが」
「それは嫌ですわ。子は親が育てるべきですもの」
唇を尖らせ、つんと拗ねる横顔は酷く幼く見えた。
カフラマーンで一夜を過ごしたあと、すぐに孕んだ妻は、一年後に息子と共に実家から戻って来た時には思慮深さを捨てていた。別人のように思えて、ラサラスの恋情は迷子になった。
愛情が薄れてしまった原因が分からず、ラサラスは戸惑い続けている。
あれほど熱烈に愛していたはずなのに、想いを遂げたあとにはあっさりと冷めてしまった。
夕焼けのようだと思った赤い髪、琥珀の瞳まで色褪せて見える。
(もっと深みのある色だったと思うのだが)
相変わらず美しい女だというのに、他の女と何が違っただろうと自分に問いかける日々だった。
申し訳なさから愛しているふりを続けるが、たまに本音が漏れてしまい怒らせてしまう。
(恋は熱病のようなものだとは良く言ったものだ)
そう思いながらラサラスは持ち帰った仕事に目を通す。
「――ジョイアのラザ砦の平面図か。ずっと欲しかったものだ。手に入れた間者はよほど優秀なのだろうな」
思わず感心して声をあげると、なぜか妻は酷く不愉快そうな顔をした。
「かあさま、こわいよぅ」
吊り上がる目に再びルティリクスが泣き出し、ラサラスは妻の機嫌を取るためにも子をあやす事にした。
抱き上げ、穏やかな夕日の色をした髪を撫でると、なぜかいつも酷く懐かしい気分になった。澄み切った瞳を覗き込むと、さらにどこか切なく切羽詰まったような気持ちになる。幼い息子の凛とした眼差しに何か心の底で燻るものがあったのだ。
日々の政務で疲れていても、この子を見ると不思議と力が湧く。
国を強く。もっと豊かにと幼子に励まされているような気がするのだ。
「お前が大きくなる頃には、アウストラリスはきっと強国になっているからな。ジョイアにも負けない強く豊かな国に」
そう言って微笑むと、ラサラスは妻に触れもせずに執務室へと戻る。先ほど見たジョイアの砦の平面図から、今日中に片付けておきたい案件を思いついたのだった。
「――ラナ。やっぱり私じゃ代わりにはなれなかったわ」
寝室にぽつんと残された娘――シャウラは腕の中の子をあやしながら呟く。
「殿下の妻の役も、それから、この子の母親の役も」
ラナは動き出したラサラスの政権のために、身を粉にして働いている。
《力》を使い、ラサラスの記憶を操り、彼の愛した女をシャウラに書き換えて、彼の傍らから離れたのだ。
今はジョイアに潜入して、かの国の情報を頻繁に送って来ている。先ほどラサラスが見ていたものもきっとそうだ。何と引き換えに情報を得ているのかなど、考えたくなかった。
一方ラサラスは本当に欲しいものを誤摩化され、行き場のない歪んだ執着を政治にぶつけている。明日にでも倒れるのではないかと思うくらいに一日中政務に没頭している。
おかげで腐りかけていた国は蘇り、民の暮らしは日に日に良くなっていた。
だが、シャウラはいつか彼が、そして姉が壊れてしまうのではないかと気が気でならない。
(だから。せめて、わたしは殿下と、それからこの子を守り通すわ)
姉が託した二つの宝。彼女は本来居るべきの場所を妹に明け渡して、他の方法で彼らを守ろうと戦っている。
ならばシャウラはその想いを汲み自分なりに戦うべきだった。
預けられた王を愛し、支え、王子を守り育て上げるのだ。
だが、シャウラがラサラスの人となりに触れ、どんどん惹かれていく一方、彼の方はシャウラに感じる違和を大きくして、次第に彼女に触れなくなり――今日はとうとう指一本触れずに彼女の元を去ってしまった。
シャウラはラナの代わりを務められない。だが、先ほどの彼を見ていて思う。もしかしたら――
(希望はこの子にあるかもしれない)
シャウラは縋り付くように息子を抱きしめる。そんな彼女を、澄んだ瞳が不思議そうに見あげていた。
*
貧しい小国だったアウストラリス王国は隣国ジョイアを脅かすほどの力を持ちはじめた。
新星のように現れた若き王ラサラスは、数々の政策を打ち出し国を富ませた。だが、彼はいつまでも満足する事なく貪欲だった。国に力が蓄えられると、今度は何かに憑かれたように領土を広げ始めたのだ。
王がジョイアの地図を食い入るように見つめる様は、まるで失せものを探すようにも見えたという。
ジョイアの辺境の都市で、一人の女が西の空を眺めて小さく息を吐いた。
山の尾根から差す夕日は彼女の赤髪をさらに赤く染上げていた。
「どうかしたか」
傍に居た夫が心配そうに覗き込み、彼女は慌てて笑って誤摩化した。
「なんでもないわ」
「そうか。だが顔色が悪いぞ? 冷えたら体に悪い。もう休め」
そう言うと彼は膨らみかけた彼女の腹を愛おしそうに見つめた。そして彼女と新しい命を気遣うように家の中に導いた。
女はそっと腹を撫でて、子の兄を想う。
ちらりと後ろを振り向くと、西の空には青白い星が一つ輝いていた。
(ラサラス)
かつて愛した、そして未だに愛しい男の名を胸に抱きしめる。
彼女には、国を捨て仕事を捨てさせてくれた男が現れた。心を閉ざし、闇雲に任務をこなすだけだった彼女が壊れそうになる前に、『もうやめろ』と闇の縁からすくいあげて、平凡な、しかし大きな幸せをくれた男が。
(あの人にも、現れるといい。『もう十分だ』と言ってくれる誰かが)
国も、そして任務を捨てる際に、名さえも捨てた女は、王の心の安寧をただ祈る事しか出来なかった。
《少年王は赤き宝玉を希う 了》
《『闇の眼 光の手』『金の大地 焔色の星』前日譚》
おつきあいありがとうございました。
別のお話として一度書き直したものなので、整合性が合わない部分もあるかもしれません。
時間をみつけて修正を入れられたらなと思っています。
本編はこちらです。
闇の眼 光の手(https://ncode.syosetu.com/n6104d/)
金の大地 焔色の星(http://greenapple.rusk.to/redprince/index.html)