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冥界の門の北側にはダルヴァザのような村がいくつか点在しているようだった。
南部の緑の真珠の首飾りとまでは言えないものの、水の補給を定期的に行えるため、王都からダルヴァザまでの道のりを考えるとずいぶんと楽な旅路となった。
月光に照らされる砂がキラキラと光っている。この辺の砂にもムフリッドの砂と同じように水晶の欠片が含まれているのだろう。
ラナは借り物のラクダの背に股がり、罪悪感に苛まれていた。一方ラサラスは酷く機嫌が良さそうに鼻歌を歌っていた。
彼の心が浮き立てば浮き立つほど、ラナの心は重くなる。
(守れない約束、してしまった。でも仕方がないわよね、だって私――)
「ラナ。水は飲んでるか?」
振り返られて問われる。何度目か解らない問いかけにラナは頷く。
ラクダの背には用意してもらった水袋が三つある。行く先々でラサラスは歓待され、食料なども十分に持たされた。補給源が十分にある事を知ったあと、ようやく彼女は水を口にしてもよい気になったのだ。
「カフラマーンへはあと一日もあれば着くだろう。もう少しの辛抱だから」
ラサラスは待ち遠しくて堪らないといった様子だった。だが、ラナは旅の終わりが近づくのが怖かった。
王都を追われて約三日。二人きりの旅はカフラマーンに着けば終わってしまう。そして終わるのは旅だけではない。到着と同時におそらくラナはラサラスから引き離される。
行く先々でラサラスが伝令を放っている。改革派の蜂起を訴えるためだ。だが、同時に彼の傍にいるラナの存在も知れ渡っているだろう。
そうなればシトゥラは黙ってはいない。カフラマーンに着くと同時にはきっとラナは一族の元へと戻される。
定めだと分かっているラナはまだしも、ラサラスは納得しないだろう。
(そうなると、〝あれ〟を使わなければならないかもしれない……)
ラナの使える〝もう一つの力〟。使ったあとのことを考えただけで身が切られそうだった。
カフラマーンに辿り着いた二人を待っていたのはラサラスの二人の近従だった。
「リュンクス!」
ラサラスが目を見開いて叫び、近従の元に駆け寄る。
「心配かけたな」とラサラスが声をかけると、リュンクスが涙目になった。
「ご無事で何よりです! それから、とうとうお覚悟を決められたんですね。俺、ホントに嬉しくって!」
「待たせてすまなかった」
ラナが二人のやり取りを微笑ましく思いながら見ていると、隣に居たもう一人の近従カペルと目が合う。彼はラナの傍に寄ると荷物を下ろすふりをして小さな声で尋ねた。
「まさか使命を忘れていませんよね?」
「!」
鋭い口調にラナはぎょっとしたが、すぐに思い出す。
王都で逃げている時に、彼がラナとラサラスの関係を良く思っていないような発言をしていたのを。
彼はなぜかシトゥラの秘密を知っている。
「どうなのですか?」
「いえそういうことは、断じてありません」
答えると、カペルは「疑って申し訳ありません」と酷くほっとした顔をする。
ラナは激しく痛み出す胸を押さえた。
旅の終わりは恐れていた通りに恋の終わりだった。覚悟をし始めたばかりだったラナは動揺する。
(しっかりしなさい、ラナ)
すべてアウストラリスのため。故郷のため、そして――なによりもラサラスのためなのだ。
*
カフラマーンの街はキラザの赤砂に煙っていた。高く白い尖塔が目印の、ラサラスの生家であるパンタシア邸宅には、彼の蜂起を聞きつけた各地の長たちが続々と集まっていた。
惜しげもなく振る舞われる羊肉や果実酒。熱気に満ちた宴で一人一人に声をかけると、涙ながらに彼らは苦境を騙り、ラサラスに腐敗した現在の政権への不満をぶつけて来た。
嘆願書よりも熱を持つ生の声を聞いて、これほどの民を待たせていたのかとラサラスは己の決断の遅さを悔やんだ。
(ラナに背を押されなかったら、私は彼らを待たせ続けていたかもしれない――)
そう思ったラサラスは、ふとそのラナの姿を探した。宴が始まる頃に見かけたきりだったのだ。
「ラナを見なかったか? 赤い髪の娘だが」
だが民は悉く首を横に振る。
(おかしい)
あれだけ目立つ娘だ。見かけたら覚えているはずだった。
裏方にまで回ってみたが、やはり誰も行方を知らない。皆が皆知らないと声を揃える不自然さにラサラスはカペルを呼び出し、調査を依頼しようとした。だが、
「もう彼女に会う事は出来ません」
ごく普通に言い切ったカペルにラサラスは仰天する。
「どうして」
「あの娘には別の仕事がございます。機を見てザウラク殿下の陣営に妓女を騙って紛れ込ませます」
「……なんだって? 妓女!? 馬鹿な」
「本人が志願したのですよ」
「だが、彼女は私と約束をしたはずだ」
「どんなお約束です」
ラサラスは気まずさから耳を赤くしながら打ち明ける。
「王太子位を手に入れれば、私のものになると」
カペルは僅かに苦笑いを浮かべた。
「彼女は、一夜限りのことだと思っていたようですが」
「馬鹿な。私は彼女を妃として娶ろうと、そういう意味で言ったのだ」
「いえ、彼女の立場を考えれば、そう思うのも当然です。王と間者、身分違いの恋は混沌しか生まない」
「まだ、間者にはなっていない。そうさせないために、そんな存在が必要なくなるように私は王になろうと……」
思わず熱くなるラサラスをカペルは遮る。
「殿下ともあろう方が、随分甘い事をおっしゃる。彼女の覚悟の欠片も持たれていらっしゃらない。どうか彼女を見習って、綺麗ごとは忘れて大人におなりください」
「――いやだ」
「殿下。皆をがっかりさせないで下さいませ」
カペルを始め数人の長がこれだからお若い方は――などと肩をすくめるが、ラサラスは青いと笑われようと構わなかった。
「目の前の娘一人救えないで、何のための王なんだ。貧民を切り捨てて、富者だけがぶくぶくと肥えていく今の体勢と何が違う? 頭がすげ替えられただけの国で、お前たちは本当に満足できるのか? お前たちの望む国はそんなものなのか? 私を自分たちの都合良く操るつもりなら、無駄だ。そんな薄っぺらな志で、私を立てようなどと望むな!」
怒りを孕んだラサラスの言葉に部屋がしんと静まり返った。戸惑いを孕む視線に背を向けると街の外に足を向けた。
「殿下。どこへ」
「決まってる。ラナを探す。彼女は私のものだ。誰にも触れさせない」