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馬車の窓を大きく開くと、ラナの視界には乾いた大地が広がった。
近づいた城壁のこちら側は、低い木々がまばらに生える褐色の土地。吹きすさぶ風に黄土が舞い上がり青い空で小さな渦を巻いていた。
目線を城壁の向こう側に延ばすと街並が見えた。王宮まで伸びる一本の大きな通りがあり、その周りに日干しレンガで出来た屋根が平らな建物が建ち並ぶ。雨が少なく、寒暖の差が厳しい土地ならではの作りだった。
馬車は進む。王宮に近づくにつれ、建物が新しく、立派になって行くのが分かる。郊外には貧しい者が、富を持つ者が王宮近くに住んでいる。そういうところだけは地方と同じだった。
砂漠に吹き付ける砂の混じった大風が馬車を揺らす。ラナは頬に当たる砂粒に目を細めると、窓を閉めた。
とたん憂鬱そうな溜息が、石畳にがたつく馬車の中に二つ落ちた。
一つはラナの溜息。そしてもう一つは彼女の二つ年下の妹であるシャウラのもの。
焼かれた銅のような情熱的な赤い髪。肥沃な大地の色の大きな瞳。肌は異国の陶磁器のように透き通る。シャウラは十人が十人美少女と賞する外見だった。そしてそれはラナもだ。二人は双子と言っても良いくらいそっくりな外見を持つが、髪の色はラナの方が少し穏やかで、逆に瞳の色は濃く凛乎としていた。なにより性格、そして身なりは随分と違っていた。
今ラナは絣織りの生地に、色とりどりの刺繍がされた豪奢な絹の服を身に着けている。彼女の故郷に古くから伝わる花嫁衣装だ。反してシャウラは羊毛でできた生成りの粗末な衣を着ていた。二人の待遇の違いは働ける者かどうか。その点、処遇は彼女たちに平等である。だが、十六歳とまだまだ幼い少女には納得いくものではない。
互いの姿を見つめ合ったあと、再び二人の溜息が重なった。声まで似ている二人だが、憤っている分だけシャウラの方が甲高い。
「どうしてラナなの。私があれだけ訴えたのに、どうして叶えてもらえないの」
シャウラは呟くと瞳を曇らせる。そのせいか輝きで人々を魅了するはずの髪も、真珠の輝きを持つはずの肌も、貴重な油を塗込みいつも以上に手入れをしているというのにくすんで見えた。
「代わってあげたいけれど……伯母さまには逆らえないの」
ラナはそう言いつつはめ込まれた窓の外から馭者の姿を見る。彼らは彼女たちを王都まで届ける重要な役目を担っている。
「わかってる。でもいつもいつもラナばかり特別扱い。その綺麗な衣装だってまた新しく仕立ててもらって。私はいつもお下がりで――ずるいわ」
「ごめんね」
(でも私だって、こんな仕事は嫌なの。代われるものならば、代わって欲しいのよ)
シャウラが訴えたのと同じく、彼女も伯母にずっと訴え続けた。わかってもらえない空しさを抱えながら、心の中でラナは呟いた。
この国の人間は十六で成人する。ラナはそのときに自分が特別だと教え込まれた。
彼女はアウストラリス王国の北部ムフリッドを治める一族、シトゥラ家の娘だった。治めると言ってもムフリッドは豊かな南部と違って貧しい土地だ。北に遠く聳えるカエルム山脈の氷河から溶け出した水はこの地域を伏流して、南部のオアシスで湧きだし恵みを運ぶ。そのせいでムフリッドは雨期に少量の雨が降るだけの乾いた土地のまま。
放牧をして生計を立てていたシトゥラの先祖が生業を変えたのは百年以上も前の事だ。領地に水晶の鉱山が見つかり、一時期ムフリッドは潤ったそうだ。しかし水晶はやがて枯れ、新旧二つの産業を失った一族は、今は貧しい土地を耕して取れる僅かな穀物で命をつないでいる。
貧しいのはムフリッドだけではない。アウストラリスの地方は中央から南部に連なる〝緑の真珠の首飾り〟と呼ばれるオアシス郡から離れれば離れるほど貧困に喘いでいる。
そのため、不作の年には男は都に稼ぎに行き、女たちも身体を売った。男たちの労働力と女たちの身体を買うのは南の一部の裕福な貴族だ。一度ついた貧富の差は広がるばかりで、狭まる見込みは無い。どこかで誰かが流れを変えなければと、貧民は喘いでいた。
そして作物の不作が続いたこの年、とうとう地方の貴族たちは結託した。新星のように現れた、改革派の希望の元へと。
(あの方ならば、きっとアウストラリスを変えてくれる)
捨て置かれた嘆願書を拾い上げ、貧しい地方を自ら視察して回る若き王子。ラナが以前遠目に見た凛とした姿を思い出していると、勘違いをしたシャウラがぼやいた。
「あーあ、幸せそうな顔しちゃってさ。私もラナみたいに〝力〟が強かったら良かったのに。そうだわ――せめて、あなたより早く生まれれば良かったのよ。そうしたら今回のお役目だって手に入れてみせた」
「簡単な役目じゃないわ」
「わかってる」
シャウラはラナの言い訳など聞きたくないとでもいった調子で、鼻を鳴らした。
「でもね、まったく同じ容姿なのに、あなたは未来の王妃。第一王子ザウラク様の妃で贅沢三昧。私はその傍付き女官。恨み言の一つくらい言いたくなってもしょうがないでしょう」
頬を赤くして鼻に皺を寄せる表情は幼い。王妃、贅沢三昧。夢物語を純粋に信じているシャウラの言葉には苦笑いが出そうだった。
「ごめんね、シャウラ」
それでもラナは殊勝に謝った。きっと彼女の本当の任務を知れば、シャウラはどうして教えてくれなかったのかと悲しむだろう。そういう根は優しい子だ。恨み言を言われている方が気が楽だった。