9話 約束
「ちゃんと昨日の約束守ってくれた?」
「ごめんなさい」
「また私をオカズにしたの?」
「はい」
「何で? 約束したのに」
「…………」
「そっか。不幸だね、私」
「ごめんなさい」
「謝る事ないよ。私は不幸になりたいんだから」
神崎さんは寂しそうに睫毛を伏せてそう言った。
私は、俯いたまま何も返せなかった。
「じゃあ、私帰るから」
「はい」
「もうトンネルにも来なくていいから」
「……はい」
私は、教室を出て行く神崎さんの背中を呆然と見つめる事しか出来なかった。
神崎さんは、もう私と会ってくれないかもしれない。
私はとんでもない過ちを犯してしまったのだろうか。
堪らなく悲しかった。
それと同時に奇妙な清々しさも感じていた。
やはり、私と神崎さんは釣り合わない。
遅かれ早かれこうなっていた。
私は大きく息を吐くと、帰路についた……筈だった。
私の足は自然とあのトンネルへと向かっていた。
「海老村君。来たんだ」
「ごめんなさい」
「いいよもう。私もちょっと急に距離詰め過ぎたかも」
「いえ」
「でも来てくれてよかった」
「そうですか」
「……正直私もよく分からないんだ」
「何がですか?」
「何でもない」
そして、神崎さんはトンネルに入っていった。
いつもと違って壁に触れないまま、トンネルの真ん中を、薄黒いコンクリートの地面を確かに進んで行く。
四角く光るトンネルの出口に、神崎さんの立ち姿が伸びて行く。
出口で神崎さんは振り返り、私に柔らかく微笑んだ。
私は今日、神崎さんと一緒にトンネルに入った訳でも、手を繋いだわけでも無かった。
それでも、私は神崎さんとの距離を縮められたような気がした。
それがとても嬉しかった。
そして、トンネルの向こうの神崎さんへと私は軽く声を張った。
「神崎さん」
「何?」
「今日はあなたをオカズにしません」
「そう。それは良かった。じゃあね」
「さようなら」
私と神崎さんの声が、トンネルに軽く反響していた。
トンネルの向こうの神崎さんが背中を向け、住宅街に歩いて行く。
そして、私は踵を返し家路についた。