6話 恋
週末が開け、月曜日。
いつものように私は放課後にやって来る神崎さんと話していた。
「海老村君は昨日も私をオカズにしたの?」
「一昨日はしましたが、昨日はしていません。私は日曜日にはオナニーをしない事にしています」
「何で?」
「あまり毎日していると得られる快感が減ってしまいますので」
「最悪」
「そう思うなら聞かないでください」
「聞きたくなくても気になっちゃうの」
その時、突然教室の引き戸が開いた。
「何やってんの?」
私が神崎さんをオカズにしているという噂の発信源、坂下さんだった。
神崎さんは答えず、何事も無かったかのようにそそくさと教室を出て行った。
「おい海老村……神崎さんと何か話してたのか?」
「…………」
まずいことになった。よりによって口の軽い坂下さんに見つかってしまうとは。
嘘は苦手だが何とか誤魔化さなければ。私と神崎さんが交際しているといった噂がクラスに流れたら、神崎さんと気まずくなって会えなくなくなるかも知れない。それだけは何としても阻止しなければ。
「おい答えろよ。海老村」
「私は神崎さんと何も話していません。神崎さんは忘れ物を取りに来ただけだと思います」
「嘘だな。神崎さんはお前の席の前に立っていただろ。バレバレなんだよ」
「……」
「付き合ってるのか? 神崎さんと」
「違います」
「そっか。……なら良かった」
坂下さんは安心したように大きく息を吐いた。
「坂下さんは神崎さんが好きなのですか?」
「……まあそんなとこだ」
「では『私が神崎さんをオカズにしている』という話を触れ回ったのは何故ですか? 神崎さんに嫌われる恐れがある行為だったと思いますが」
「俺みたいな奴は神崎さんと釣り合わないし、話しかける切っ掛けもない。俺が神崎さんと接点を持つにはそうするしかなかったんだ」
皮肉な話だ。坂下さんの思惑は外れ、利用された筈の私の方が神崎さんと接点を持つことになるとは。
「悪かったな。お前を巻き込んでしまって」
「いえ。それより神崎さんには謝ったのですか?」
「それなら先週、面と向かって謝ったよ」
「そうですか」
「それで、お前さっき神崎さんと何話してたんだ?」
「……」
「何もチクらないから。教えろよ」
「教えません」
「教えろよ」
「絶対に教えません」
「まあいいや。どうせお前が神崎さんと付き合えるわけないし」
「私は神崎さんに恋愛感情を抱いたことはありません」
「毎日オカズにしてるくせにそんな事言っても説得力ないぜ」
「それは違います。神崎さんはオナニーのオカズとしては私にとって特段優れていますが、それだけの話です」
「でも毎日はおかしいだろ」
「おかしいのでしょうか?」
「絶対おかしいって。俺も同じクラスの女子オカズにした事はあるが、一回やったら飽きるぞ」
「神崎さんをオカズにしたことは?」
「したことないな」
「何故です?」
「本当に好きな人はオカズに出来なくなるって言うだろ?」
「理解できませんね」
「普通そういうもんだろ」
「その話が正しいなら、私は神崎さんを好きでは無いのでしょうか」
「……でも毎日ってなったら話が別だろ」
話題がループしそうだったので、私はずっと気になっていたことを聞いてみる。
「坂下さんは神崎さんのどんな所が好きなのですか?」
「まあ色々あるが……結構優しいんだよ。一年の時神崎さんと席が隣だったんだけどさ。俺が教科書忘れた時見せてくれたりしたし、消しゴム忘れた時も予備を貸してくれたし」
「それは誰だって貸してくれるのでは?」
「そういう事じゃねえんだよ。全然嫌そうにしないで自然に貸してくれたんだ。高根の花みたいな人なのに、変に気取ってないって言うかさ」
「はあ」
「でももう終わりだ。普通に嫌われただけだった」
「でもちょっと羨ましいです」
「何がだよ」
「私は人を好きになったことが無いので」
「……」
「辛いですよね。一方的に人を好きになるのは」
「そりゃあ辛いよ」
「でも私は神崎さんの事を話している坂下さんを見ている時、羨ましいと思いました。私は損得勘定でしか物事を判断できないので」
「そうだな。損得だけでいったら、最初から神崎さんを好きにならない方が良かったかもしれない。でも損得じゃねえんだよな」
「やっぱり羨ましいですね。少しだけ」
「お前も恋をしてみればいいんじゃないの?」
「考えておきます」
「じゃあ俺そろそろ帰るから。まあせいぜい頑張れよ」
「さようなら」
坂下さんは教室を出て行った。
私も暫く待ってから教室を出て、例のトンネルへと向かった。
約束はしていなかったが、いつもの様に神崎さんはトンネルの前に立っていた。
「上手く誤魔化してくれた?」
「はい」
「良かった。意外と頼りになるね。海老村君って」
「ありがとうございます」
「そうだ。今日は一緒にトンネル通ってくれない?」
「何故ですか?」
「一緒に通った方が確率上がるかもしれないし」
「はい」
神崎さんはトンネルの壁の左側に手をついた。私は鏡合わせのように右側に手をつく。
そして、歩調を合わせて進んで行く。細めた目にぼんやりと映る出口へと、一歩一歩進んで行く。
やがて出口を照らす光が段々と強くなっていく。
それと同時に、私の夢見心地は薄れていく。
やはり出口は異世界ではない。ただの住宅街だ。
「ダメでしたね」
「残念そうだね」
「いえ」
「ああそう。じゃあまた明日ね」
「さようなら」
私はトンネルを抜ける時、神崎さんとなら異世界に行ってみたいと思ってしまった。
私は神崎さんを好きになりつつあるのだろうか。
そもそも、私は本当に神崎さんを好きになってしまっていいのだろうか。分からない。
答えの出ないまま、私は家路についた。
そして神崎さんをオカズにオナニーをして一日を終えた。