3話 警笛
「昨日も私をオカズにした?」
「はい」
「……最悪」
「私にそう言った趣味はありませんが、人によっては罵倒される事によって性的興奮を得る場合もあるそうなので、そう言った振る舞いはよろしくないかと」
「そういう所が最悪だって言ってんの」
「それより、聞きたい事があるのですが」
「何?」
「神崎さんは何故昨日、あのトンネルへと私を連れて来たのですか?」
「……あのトンネルって神秘的な感じだったよね?」
「はい」
「薄目を開けて見ていると、本当に異世界に続いていそうに思えるの」
「神崎さんは異世界に行きたいのですか?」
「うん。異世界だったら家の事は全く関係ないし。本当の意味でゼロからのスタートが出来る。それって素敵だと思わない?」
「全く共感できません」
「あっそ。そう言うと思ってた」
「ところで……神崎さんが異世界に行く為にあのトンネルに向かったのは分かりましたが、私が同行した意味はあったのでしょうか?」
「海老村君と一緒に行った方が異世界に行ける確率が上がるかなと思って……海老村君って、なんか浮世離れした感じだし」
「残念ながら、私は異世界へと神崎さんを誘う使者の類ではありません」
「いちいち言われなくてもそのくらい知ってるから」
そう言いつつも、神崎さんは顔を顰め露骨に不機嫌そうになった。
どうやら半分本気で私が異世界の使者ではないかと疑っていたらしい。
大人びた神崎さんの意外な側面を垣間見ることができたようで、私は何となく嬉しかった。
「何ニヤけてるの?」
「これは失礼」
「じゃあもう私先に行ってるから。今日も7時までにトンネルに集合ね」
「はい」
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
静まり返った住宅街の片隅に、ひっそりと開いた四角い穴。
その向こうには同じような住宅街が街灯と月明りで青白く光っている。
そんな時が止まったような静寂の中、トンネルをゆっくり進んで行く神崎さんの擦るような靴音。それだけが私の鼓膜を僅か震わせていた。
まるで、私と神崎さん以外の人類は全て息絶えてしまったようにすら感じられた。
もしそうなったら、神崎さんは私に恋愛感情を抱いてしまったりするのだろうか。私と性交渉をしてくれるのだろうか。
私は本能にあらがえずに、神崎さんに対して恋愛感情を抱いてしまうのだろうか。あるいは……
警笛と流れる電車の音が、私の思考を遮った。
神崎さんは少しビクついたように動きを止めて、吹き抜けから流れる風に長黒髪を揺らしながら、ガタゴト……ガタゴトと電車が通り過ぎるのをじっと待っていた。
私は縋るように壁に手を添える神崎さんの儚さに、思わず息を呑んだ。
……やはり神崎さんは美しい。
電車の音が完全に消え去った頃、神崎さんは再び動き出した。そして、出口へと辿り着くと立ち止まる。
「私もトンネルに入っていいですか?」
「いいけど」
私は薄目を開けて、壁に手を添えて、ゆっくりとトンネルへと入って行く。なるほど……ぼんやりした薄闇の先に、四角く切り取られた月明り……トンネルの出口が異世界に通じていそうな気がしないでもない。
最も、私は異世界に行きたい訳ではない。異世界に飛ばされてもどうせ碌な事にはならないだろう。
奇妙な恐怖感を感じながらもそれでも薄目を開けたままトンネルを進んで行く。
私は何故こんな事をしているのだろう。
何となく、神崎さんと同じことをしてみたかったのかも知れない。
「海老村君も駄目だったね」
「私は異世界に行きたくないので、駄目で良かったです」
「何で行きたくないの?」
「異世界に行ってもどうせすぐ野垂れ死ぬからです」
「ネガティブなんだね。海老村君は」
「私はこんな性格ですが、精一杯幸福を追求しています。神崎さんの方がネガティブだと思いますが」
「そうかもね」
いつもの様に憎まれ口で返されると思っていたが、神崎さんは少し寂しそうに俯くばかりだった。
「じゃあね」
「さようなら」
神崎さんは少しだけ微笑むと、背中を向けて住宅街へ進んで行った。
私はそのまま県道へと引き返して家路につく。
そして神崎さんをオカズにオナニーをして一日を終えた。