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2話 トンネル

 次の日、「私が神崎さんをオカズにしている」という噂はすっかり鎮静化しているようだった。

 あっけらかんとした私も、名家の令嬢で優等生な神崎さんも、からかい対象として面白みに欠けるという事だろう。


 先日は煩わしかった坂下さん一派も、私はともかく神崎さんをからかう事が教室全体を敵に回すことになりかねない事に気付いたのか、表立った行動には出ていないようだ。


 そのまま何事もなくホームルームが終わった。


 私が放課後の読書を楽しんでいると、神崎さんが小さな紙切れを私の机にそっと置いた。


 紙切れには「他の人が帰ったら戻るからそれまでそこで待ってて」と神崎さんの名前付きで書いてある。昨日と一字一句同じ文面だ。


 暫く読書して待っていると、教室の引き戸を開ける音と共に神崎さんが姿を現した。


「昨日も私をオカズにオナニーしたの?」


「答えて欲しいなら答えますが、神崎さんを不快にさせてしまう可能性があるので憚られます」


「やっぱりオカズにしたの? ……最低」


「ご想像にお任せします」


「そうやって人を物みたいに扱って……海老村君は人を好きになった事ないの?」


「好きになるという言葉の定義が難しいですが、一般的な恋愛感情という物は抱いたことがありません。というのも、客観的に見て私は女性から好かれる性分ではありませんので、無駄に傷付く事態を防ぐ為に私は恋愛感情を抱かないようにしているのです」


「ふーん。海老村君みたいな人でも傷付いたりするんだ」


「心外ですね。私とて一応人の子ですよ」


「……いちいち偉そうに。あんた本当に悪いと思ってるの?」


「私が神崎さんをオカズにオナニーしている事を、口の軽い坂下さんに打ち明けてしまった件に関しては大変申し訳ないと思っています」


「悪いと思ってるなら私に協力して」


「協力と言いますと?」


「私は不幸になりたいの」


 不幸になりたい。神崎さんは確かにそう言った。


 どういう事だろう。

 ……全く理解も共感もできない。


「何故不幸になりたいのですか?」


「小さいころからずっと、不幸な境遇の人達に憧れてるって言ったら変だけど、劣等感みたいなのを感じていて……このまま平穏無事に生きていくなんて耐えられないの」


「あまり人と比べる必要はないと思いますが」


「そんな風に開き直れないの。……世の中にはその日の食事にも困っているような人もいるのに、私は恵まれた家庭に生まれて何不自由なくのうのうと生きて……そんなの嫌なの!」


「私は快楽主義者ですのであなたの考え方には共感出来ませんね」


「共感なんかしなくていいから協力して」


「いいですよ」


「いいの? ……何で?」


「何でと言われましても。とにかく私は構いません」


「気になるから聞いてるだけ。何で協力してくれるの? 答えて」


「ご想像にお任せします」


「もしかして、私とお近づきになっておいた方がオカズにする時に捗るとかそういう理由?」


「…………」


「最低」


「その分、神崎さんの不幸探求において大変有用な協力者に成り得ると自負しております」


「偉そうにしなくていいから」


「……具体的に私は何をすればいいのでしょうか?」


「この後7時に駅前広場に来て」


「分かりました」


「外では話しかけないでね。また変な噂流されたら最悪だし。6メートルくらい離れて付いて来て」


「お言葉ですが、私が神崎さんと交際している、といった噂が流れる事は不幸を探求する神崎さんにとって喜ばしい事なのでは?」


「……そういう事じゃないの」


「自分を起因とする不幸は、神崎さんの望む不幸では無いという事ですね」


「そういう事」


「やはり自傷行為等でも神崎さんの望む不幸は得られないのでしょうか?」


「……うん」


「神崎さんは完全な外的要因によって、周囲の同情を引きたいのですね」


「それもちょっと違う……私は自立したいの。でもどんなに頑張っても、周りは『神崎家の令嬢なんだから当たり前』くらいにしか思ってくれない。私自身も、心のどこかでそう思ってる。だから何をやっていても虚しいだけなの」


「庶民の私には共感しかねますが、理解は出来ました」


「昨日あの噂がクラスに流れた時、私久々に不幸だと思えて……クラスのみんなと初めて対等になれた気がしたの」


「その割には私に謝罪を要求していたようですが」


「ごめん。私、海老村君を利用しようとしてたのかも」


「今も利用しているのでは?」


「それはお互い様だよね」


「そうでしたね」


「……私に嫌われて嫌じゃないの?」


「別に何とも思いません。私は神崎さんに対して恋愛感情を抱いていませんので」


「ああそう。なら良かった。じゃあ私先に行ってるから」


 神崎さんは急に眉を寄せて不機嫌そうな表情でそう言い残すと、そそくさと教室を出て行った。

 ……どうも神崎さんは私に好意を寄せて欲しいのかも知れない。

 理由は分からない。嫌っている私に好かれる事で、神崎さんが不幸をより一層感じる為なのか。単純に女性としてのプライドの問題なのか。あるいは私がいつか神崎さんをオカズにする事に飽きて、神崎さんにお近づきになりたいという動機付けを失う事態を恐れての事なのか。


 いずれにせよ神崎さんの思い通りになるのは癪に障る。

 神崎さんに恋愛感情を抱かないようにより一層注意しなければ。


 私はそういった思案に耽りながらも駅前広場へと向かった。




 私が辿り着いた途端、無言で目配せして歩き出す神崎さん。


 薄闇の中を、言われた通りに6メートルの距離を保ちながら神崎さんの後をつけるように線路沿いの県道を進んで行く。


 艶めいた長髪が街灯の光に照らされ、流れる電車の車内灯に照らされ妖しくゆらめく様は、この世の物とは思えない程美しかった。


 やがて、神崎さんは横断歩道を渡り、住宅街の方へと向かって行った。

 そして整骨院の前のなだらかな坂を県道方面へと進んで行く。

 そこには県道と線路の下を抜ける小さなトンネルが四角く切り取られていた。


 人気のない住宅街。その片隅にひっそりと佇む薄暗いトンネル。

 一体、神崎さんは何が目的なのだろうか。

 もしかしたら、神崎さんは不幸を感じる為に私と不埒な行為をするつもりなのかもしれない。

 胸が期待の鼓動で高まってしまうのが何とも口惜しい。


 私は本来何事にも期待をしない主義だ。この場合も『神崎さんは私と不埒な行為をする気が無い』と思っていた方が、実際に不埒な行為をする気が無かった時の精神的ストレスが最低限で済むし、万が一不埒な行為をする気だった時の喜びは一層高まる事となる。


 ……期待してはいけない。神崎さんは私と不埒な行為をする気が無い。

 私は自分に言い聞かせるように、胸の中の期待を振り払って行った。


「スケベな事考えてるならやめてね。そういうんじゃないから」


「もちろん考えていません」


「ならいいけど」


 神崎さんはトンネルを見つめながら、冷たくそう言い放った。


 ……やはり期待するだけ無駄だった。

 私は思わず息を吐きそうになるのを堪えた。


 やがて神崎さんは壁に手を当て、手探りのようにゆっくりとトンネルに入り、進んで行く。


 神崎さんは一体何がしたいのだろうか。

 今の私には分からない。


 私はただ、永遠にも思える時の中で、月明りで青白く輝くトンネルの出口へとゆっくり歩いて行く神崎さんの煽情的な腰つきに、長く柔らかい黒タイツの脚に見惚れていた。

 そして……


「もう帰っていいから」


 神崎さんの少し吊り上がった横目が、私を睨んでいた。

 そして彼女は背中を向け、トンネルの先の住宅街へとゆっくりと歩いて行く。


 ……やはり神崎さんは美しい。


 私はそのまま県道へと引き返して家路についた。

 そして神崎さんをオカズにオナニーをして一日を終えた。


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