オシッコの歴史
登場人物
水野まき 中学1年 この話の語り手
水野あさ 高校2年 まきの姉
駄菓子屋のおばあちゃん 70歳
駄菓子屋のおじいちゃん 70歳
1.歴史嫌いのお姉さん
私の姉、水野あさは、高校二年生だが歴史の勉強が、嫌いで困っていました。そこで、いつも遊びに行く、駄菓子屋さんに私と行ったとき、店番をしていたおじいさんに、ついこぼしてしまいました。
すると、おじいさんが面白い話をしてくれました。
「まだ学校で勉強しているときは、歴史は年表を覚える。地理は地図を覚えるという感じで、面白くないだろう。」
あさちゃんは、激しく同意した。
「そうなんですよ、社会科は覚えるばっかり、しかも歴史の先生は、資料集を読めと言うけど、つまらない話ばかりです。」
おじいさんは笑いながら続けました。
「しかし、歴史の勉強は、その時代の生活を知る、と言う大切な機会だよ。現在の常識が通用しない世界を想像しておく.これは、社会に出てから、自分の考えを押しつけないためにも大切なことだよ。」
あさちゃんは、少しこれで気持ちが動いたようでした.おじいちゃんは、それを見て続けました。
2.肥料の歴史(昭和編)
おじいちゃんは、少し首をひねって話し出しました。
「あなたたちとは、オシッコの話を色々としてから、昔のオシッコの利用法の話をしよう。昭和の頃までは下肥の肥料が使われていたのは知っているかな?」
私は、これを知らなかったので、聞いた。
「下肥って何ですか?」
おじいちゃんは苦笑して続けた。
「やっぱり知らないだろう。下肥というのは、うんことオシッコのことだよ。昭和の30年代ぐらいまでは、田圃のそばには、野壺という肥溜めがあって、各家庭から汲み出した大小便を貯めておき、発酵させて肥料にしていたんだ。」
私は思わず、
「わー汚い!」
と言ってしまった。おじいちゃんは頷きながら続けた。
「今の時代に慣れたら、臭くてやりきれないだろうね。でも昭和の30年代なら、家もくみ取り便所だったから、それほど匂いは気にならなかったよ。それに、発酵させるので、家の便所ほどは臭くないし、発酵の熱で、寄生虫を死ぬので、今の人が想うほど不衛生ではなかったよ。田舎の香水と言っていたな。」
あさ姉も興味を持ったようだった。
「田舎の香水とは上手く言いましたね。」
おじいちゃんは話を変えた。
「さて、その頃は、現在のように化学肥料がなかったか、あっても貴重品だったから、下肥に頼ったね。そこで、うんちとオシッコの肥料としての使い分けがあった。これは解るかな。」
あさ姉はさすがに解っていたらしい。
「確かに、成分も違うから使い分けが出来そうですね。」
おじいちゃんが喜んで答えた。
「そこで、学校の生物や化学の知識が役立つね。オシッコの成分のアンモニアなどが肥料に使えるが、うんこの成分は別だね。昔おじいちゃんが、お百姓さんに聞いた話では、サルビアの花を綺麗に咲かすためには、小便を薄めてかける、と言っていた。」
あさ姉が感想をもらした。
「大小便の使い分けがあったのですね。それなら、回収も違うのですか。」
おじいちゃんは、うれしそうだった。
「よく思いついたね。」
あさ姉はこれで気を良くした。
「ゴミの分別収集で思いつきました。」
おじいちゃんは本当にうれしそうに説明してくれた。
「その考え方が大事だよ。現在にあるものと例える。違う世界だが、現在に有るモノで考える.こういう考える力があると、これからも勉強が進むよ。」
これで、あさ姉は気を良くしました。おじいちゃんはもう少し続けました。
「さて、昭和の30年代ぐらいまでの便所は、家庭でも大便器と小便器が別れていた。この理由はわかるね。」
私でもこれは答えられた。
「大小便の分別ですね。」
「そうだよ、そのためには、便を蓄える部分とくみ取り口が、別れていないといけない。こういう、小便だけを回収するのは、肥料として使うためだよ。肥料として使うときには、オシッコは、3倍ぐらいに薄めて散布すると、直ぐに効果が出る。一方、うんこの方は、3ヶ月ほど発酵させ肥料としていた。肥料として使わず、バキュームカーで回収し、汚水処理場で処理するようになれば、大小便の分別も必要なくなってきた。」
私たち二人は昭和から、大きく変わったと実感した。
おじいちゃんは、もう一つ教えてくれた。
「日本の下肥については、敗戦後アメリカの指示で、禁止されたことで大きく変わった。確かに、当時は回虫などの寄生虫は、下肥が理由で伝染したから、仕方ない面があるが、ここから現在の下水処理システムまで、一本道の進化になっているね。」
3.肥料の歴史(明治から昭和初期)
おじいちゃんは、今までの話が私たちに伝わったので、もう少し話を昔に持って行くことにした。
「それでは、明治から昭和の戦前までを、もう少し想像してみよう。当時は、現在のような化学肥料を使うことは少なかった。そこで、堆肥などの有機肥料が使われていた。当然、大小便の肥料としての利用は、行われていた。需要と供給の関係で、くみ取りを行うお百姓さんが、お礼を持ってくることもあったんだ。」
これを聞いて、あさ姉が思わず言った。
「信じられない。現在は下水の使用料を払っていますね。」
「そうだよ、バキュームカーでくみ取るような時代には、処理費用を取られていた。これが昭和の後の方だね。しかし、明治大正の時代なら、くみ取りは農家の権利と言う時代もあった。」
あさ姉は、考えながら話した。
「色々と変わるのですね。」
そこでおじいちゃんが、踏み込んできた。
「さて、このように大小便の使い分けが、きちんとしていて、お礼を貰ったりするなら、大小便の分別もきちんと行う必要があるね。」
「それは、大切ですね。」
「そこで、女の人も小便をきちんと分別する。家では小便所を使うし、外でも辻担桶という容器にオシッコしたんだよ。」
あさ姉は、少し戸惑ったようだった。
「女の人の多くはしゃがむので、大便所じゃないですか?」
おじいちゃんは、笑いながら話した。
「あなたたちは知らないだろうが、昭和の30年代ぐらいまでなら、『女の立ち小便』というのは、よく見たよ。但し、あなた方のイメージとは少し違って、中腰でお尻を突き出して、後ろオシッコを飛ばす形だよ。洋式トイレで、腰を浮かしたような感じだね。こうして、小便所や、辻担桶に女の人もオシッコを貯めたのだよ。」
私は、この話は前に聞いたことがあったが、あさ姉は初めてで少し驚いていた。
「私たちが、女の立小便と言うと、立って前に飛ばす物と思っていました。」
おじいちゃんは苦笑していった。
「半世紀も経つと、変わってしまうね。しかし、自分がいる社会と違った社会がある。そこで、暮らしている人には、それなりの理由がある。これをきちんと考えることが、本当の歴史の勉強じゃないかな。」
4.あさ姉の歴史の勉強
その後、あさ姉は歴史の本を色々と読むようになりました。そうして私に教えてくれました。
「歴史の勉強をするとき、~~年に~~が起こった、と言うことを覚えるだけでは楽しくない。しかし、その時代に生きた人を想像する。その生き方が、変化していく様子を見る。これができると、歴史は面白くなるね。あなたも、歴史の勉強は面白いと言えるようになりなさい。」
「あんたに言われるか」
と思ったが、私はよい子なので、素直に頷くことにした。