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03:帝都の片隅で

 年季の入った箱馬車は、窓こそないものの多少の隙間はあって、わずかばかりの新鮮な空気と外の景色を見せてくれた。

 途中、新しい子供が放り込まれたりしながら馬車に揺られること十日ほど。

 どうやら大きな街についたらしい。ただ、いくつかの街を抜けたのはわかったけれど、自分がどこにいるかはよくわからなかった。

 夕方近くに駆け込むように城壁の中に入ったらしいその馬車は、夜も更けたころに騒がしい場所で止まった。

 今夜はここで夜を明かすのだろうか、そんなことを考えながらぼうっとしていると、しばらくして馬車の扉を開く。

 何度か馬車の扉が開いたときに逃げ出そうとしたけれど、結局はすぐにつかまってひどい折檻をされたのであきらめた。ほかの子供たちの眼に光がなかったのは、そういった光景を何度も見せられたせいだろう。多分、中には実際に私のように折檻された子もいるのはずだ。まあ、こうして攫う以上、売り物にでもするつもりだろうから、あまり大きなけがはさせられなかったけれど。

 だから、無理に逃げようとは、その時思わなかった。

 男は馬車の中をさっと見渡し、それから私に視線を止めてそれから引っ張り出した。掴まれた腕が痛い。外は明かりが煌々とついており、少し隔てた先からは賑やかな喧騒、近くの建物から音楽と嬌声が聞こえて来て、ここが日本人だったころでいう繁華街だと判断する。

 ずいと押し出されて視線を前に向ければ、そこには恰幅の良い派手な化粧と衣装をした女性が立っていた。品定めをされるように、上から見下ろされる。


 ……いや、実際に品定めをされているのだ。そう気づいたのは、その女性が少々不満そうな声を上げた時だった。


「まあ、悪くはないけどね」

「だろう? 値段はさっき言ったとおりだ」

「小娘ひとりに、さすがにその値段は暴利ってもんだ」

「いやいやいや、地味な顔だけど、磨けば光るぞ。若いし、それなりに賢いって話さ。仕込み甲斐があると思うが」

「磨くのにいくらかかるっていうんだい。まあいい、とりあえずほかの子も見せておくれ」


 話の内容を理解して、ぞっとする。これは、娼館だ。私はここに売られようとしている。そばの建物の窓から、ややはだけた派手なドレスをまとい、外をぼんやりと見つめる女性が見えた。

 ――嫌だ、と瞬間的に思った。こんなところに売られるのは、いやだ。本当だったら、こんな世界に生まれなければ、私は好きな人以外に体を許す必要なんてないはずだったのだ。こんな人生はごめんだ。


 心臓が、どくどくと強く鼓動を刻む。そっと腕をつかむ男をみるが、彼はこちらを見ていない。何やら女と交渉をしているようで、その相手の女もこちらを見てはいなかった。

 やがて、馬車の中を直接みるという話にまとまったらしく、私のしばられた腕に縄を通してその先にある輪を馬車の出っ張りに引っ掛ける。

……高い位置にあって手は届かないけれど、しっかり結び付けているわけじゃないから、うまくすればとれるかもしれない。人買いにしては不用心に思えたが、そもそもこんな子供に逃げようだなんて考える気力などないと思っているのだろう。もしくは、逃げてもすぐに捕まえられると高をくくっているのか。

 ただの子供なら、そうだったかもしれない。だが、幸か不幸か、私はただの子供ではない。

 私は、ゆっくりと音を立てないようにして、そっと男から距離をとった。まだ、気づいていない。二人は馬車の中に頭を突っ込んでいる。


運が味方した。そう思った私は、馬車の出っ張りに引っかかっている縄を勢いをつけてたわませて外し、その縄を回収しながら全速力で駆けだした。両手が縛られていて走りづらいが、気にしている余裕はなかった。走って間もないのに、息が止まりそうなほど心臓がどくどくと音を立てている。

 次の瞬間「ガキが逃げた!」と叫ぶ声が響く。捕まえろ、とわめきたてる女の声も。

誰かが私に手を伸ばした。相手を確認する暇もなく、伸びる手を何とかかわし、かすめた手をがむしゃらに払い落しながら、私は路地裏をかける。道をなんどか曲がって、それから大通りに抜けた。明るい夜の道。繁華街を思わせるそこは、もしかしたら祭りでもやっているのかもしれない。一瞬人の多さにたたらを踏んだ。が、後ろからかけてくる音を認識して、私は思い切ってその人の波へと飛び込んだ。

体の小ささを利用して、何とか人々の足元を抜けていく。何度か蹴り飛ばされそうになりながらも、必死で駆けた。とりあえず遠くへ、と思いながら、逃げて逃げて逃げて――


 ようやくあの男たちを巻けた、と思えたころには、もうぼろぼろのへとへとで。

私は、切れた息を何とか整えようとしながら、もう閉まっている店の壁にもたれかかってずりずりと座り込む。酸欠で吐きそうだった。

座り込んだらもう動けそうにもなくて、また捕まるかもしれない恐怖はあったものの、まぶたが下がるを止められそうになく。


 私は、そのまま意識が闇に落ちるのを感じたのだった。





「――ここで働かせてください!」


 私は大きく頭を下げて、目の前の恰幅のよい女性へと頭を下げる。パンのいい匂いがして、お腹がぐうと音を立てそうだった。


 人買いから逃げ出した次の日、その街をさまよい歩きながら人々の話を見聞きした結果、わかったのはここがディルナス帝国の帝都であるということだった。いつの間にかあの男は国を越えていたらしい。もうあの村に戻るつもりなんてものはなかったが、別の国へと来てしまったことへの動揺は大きかった。


 私は、この世界にひとりぼっちだ。


 そんな思いが募ったが、それよりも大きな問題が立ちふさがってすぐにそれどころではなくなってしまった。


「人手は足りてるよ。そもそも、雇うなら大人の方が使えるんだから大人にするに決まっている」

「大人よりも安い賃金で、一生懸命働きます!」

「うるさいガキだね。いらないって言っているだろ!」


 ……どこもかしこも世知辛い。

 ぴしゃりと閉じられた扉に、私は項垂れてため息を吐く。それから未練がましくもう一度扉を見てから、歩き出した。足取りは自然、重い。


 見知らぬ街で、子供一人。頼れる大人がいないというのは、こんなにも生きるのが困難なのか、と思い知った。

 私に立ちふさがったのは、これからどうやって生きていくか、ということだ。食べ物を手に入れるにも、安全な寝床を得るのにも、どうしたらいいのかさっぱりわからなかったのだ。とりあえず思いついたのが職を求めることで、あちこちで「働かせてほしい」と声をかけて回ったが、結果は惨敗。こんな6歳ぽっちの女の子を雇うところなんてないに等しい。先ほどのパン屋の女将が言っていたが、雇うなら真っ当な戦力である大人を雇うし、そもそも人を雇えるような余裕がある店は、もっと身元の確かな人を雇う。

しいて言うならば売られそうになった娼館ならば面倒を見てくれるのかもしれないが、そればかりは我慢がならなかった。



 しかたなしに残飯を漁り、路地裏の隙間に身をひそめて眠る。最悪な暮らしに、私は毎晩悔しくて涙がにじんだ

 期待はあったのだ。どこか、心優しい誰かが、救いを求めるこの手をつかんだくれると。せめて現物支給だけで構わないから雇ってくれる人がいるんじゃないか、だなんて。

 見事に期待は裏切られたのだけれど。


 昼間に道を歩けば、みすぼらしい子供を見る目は冷たくて、けれどそれ以外の町並みは明るくてきらめいているように見える。その差が激しすぎて、私はいっそ恨めしいぐらいだった。


 ――お腹がすいた。


 とぼとぼと、人込みにまぎれて歩けば、ふと果物を売る露店が目に入る。カディア公国から運ばれたばかりなのだろう。それはとてもみずみずしくて、おいしそうだった。


 ――おなかが、すいた。


 意識が遠のく。あれだけあるのだ、一つぐらいかすめたって、……ばれない、よね?


 聖女だったころには絶対にしない思考。日本人だったころだって、それが悪いことだと理解して理性がブレーキをかけていたはずのそれは、空腹と疲れに支配された今容易く一線を越えて。


「おやじ、いつものをおくれ」

「はいよ!」


 誰かが買い物をしている隙に、隅にある赤い果物を一つかすめ取る。そのまま一目散に路地へと逃げた。人目につかない暗がりの壁に背中をつけて様子をうかがった。どっどっど、と心臓が脈打つ。しばらく息をひそめて待ったが、追いかけてくる気配はない。ほっとして、それから手の中にある果物を持ち上げて、恐る恐るそれをかじった。


「……あまい……」


 思わず声が漏れた。そのままずりずりと座り込んで、もう一口。

 汁気の多いその果物は、リンゴに似ていておいしい。私のいた村では育ててなかったし、聖女だった時には丸のまま果物が出てくるのはベリー系やブドウ系だったから、名前はしらない。形は日本人だったころでいうトマトに近かった。


 久しぶりに食べた残飯以外のものに、私は気が付けば涙が出ていた。



 あっという間になくなってしまった果物を名残惜しく思いながらも、案外と簡単にできてしまった「盗み」という犯罪行為に私はなんだか少し心が軽くなった気がした。死にそうになっても、最悪はなんとなるのかもしれない。

 そう思ってから、私は自分を戒める。だめだ。盗みなんて、してはいけないことだ。犯罪者に落ちるのは、よくないことだ、から……

 自分を戒める反面、生きるためには仕方がないじゃないかと叫ぶ自分がいる。だって誰も助けてはくれない。働かせてもくれない。ならば自分が生きる分、多少分けてもらったっていいじゃないか。


 私は首を振って立ち上がる。しかし考えは振り払えなかった。


「よう、お前が最近ここら辺をうろちょろしているっていうガキか?」


 とその時、私の上にぬっと黒い影がさした。自分に声をかけられたのだ、とわかりどきりとした。そろそろと顔をあげると、私よりも年上であろう14~5歳の少年がこちらをニヤニヤしながら見下ろしていた。思わず身を固くする。先ほどの盗みがばれたのだろうか。


 少年の後ろには、彼よりも少しばかり年下らしい10歳前後の少年が数人従っていて、こらの逃げ道をふさぐように立っている。


 ……こわい。


 何をされるのだろう、と思いながら私が最初に声をかけてきた少年を見上げる。彼はこちらを見下ろして、口を開いた。


「ここいらはオレたちの縄張りだ。うろちょろするなら上納金を納めな」

「え……」


 そんなやくざなことを言われて私は思わず声を上げる。ちょっとまて、うろちょろするだけで上納金が必要なのか。っていうか、そもそもお金なんて持ってないのだ。だからさっき盗みまでしてしまったというのに、どうしろというのだろう。


「す……すぐにいなくなるから」

「まあそういうならいいが、ほかのエリアに行ったってそっちにもボスはいるから上納金がいるのは変わらねえぞ」

「えっ」


 そろそろと移動しようとした私は、かけられた事実に固まった。都会はなんて世知辛いのだろう。これならもしかして、森の中でサバイバルした方がいい暮らしなんじゃないだろうか。


 私の反応にお金がないことは察したのだろう。少年は、口の端をあげてから口を開いた。


「金がねえなら、体で払ってもらうしかねえよな?」


 ……私にとっては、死刑宣告に等しかった。

 反射的に駆け出す。捕まえろ、と少年の声がして、ほかの子たちが従って、素晴らしい連携力であっという間に私を取り囲む。逃げ場がない。


 腕をつかまれて、振り払う。が力負けして払いきることができない。人買いの男に捕まった時のことがフラッシュバックして、全力で叫んで暴れた。


「離して!」

「こら、おとなしくしろ!」

「悪いようにはしねーよ!」


 誰がそんな言葉信じるか!

 数度殴られたけれどあきらめずに私は暴れる。手足を振り回して、つかむ手に噛みついて、少年たちの瞳に怒りが宿ったのにおののきながらもがむしゃらに逃げようとした。


 売られるのも犯されるのも殴り殺されるのも御免だ。

 私は、死にたくない!


「いいから、少し落ち着けこのクソガキ!」

「いっ……! や、やだ! 離して!!」


 とうとう後ろから抱え込まれるようにして捕まり、もう一度頭を思いっきり殴られた。一瞬意識が遠のきそうな気がして動きが止まる。


 そんな私の前に最初に声をかけてきた少年が立って、見下ろしてくる。睨むようにして見つめ返すと、やつはおかしそうに喉の奥で笑った。


「思ったより威勢のいいガキじゃねーか。よし、お前、今から俺たち『クヴィーク』の仲間な」

「は、あ?」


 私は思わぬ言葉に目を丸くする。


 なにがどうしてそうなった!?


 私のこころからの突っ込みは、誰にも拾われずに消えたのだった。


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