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02:暗い森と荷馬車

「エリザ」


 その日の朝、ぼんやり朝食を食べていた私の名を母さんが呼んで、私は思わず勢いよく顔を上げた。視線の先の母さんは皿を洗っていて、こちらを見ることはない。けれど今、確かに自分の名前を呼んだのだ。


「は、はい。なんでしょうか、母さん」


 慌てて答えると、母さんはそっけなく、「今日は一緒に森へ行くわよ」というので、私は更に驚いた。

 わかりました、と答えるものの、どうしたのだろうと不安になって、食べ終わった食器をもって母さんに近づく。そっと下から覗き込んだ母さんの表情に感情は浮かんでいなかった。


「ええと、森へ何をしに?」

「……今日はあなたの誕生日だからね、夕食に使うベリーを摘みに行くのよ」


 静かに言われた内容に、私は思わず固まる。今、私の誕生日だから、といっただろうか。……確かに、言った。そう、確かに今日は私の誕生日だ。

 それを聞いて、思わず顔が緩むのを感じた。我ながら単純だとは思うが、ここ数年は祝ってもらうことのなかったのだ、じわじわと嬉しさがにじんでくる。

 気味が悪い、と思われていても。


「ありがとう、母さん!」


 私は、この母さんのことを好きだと思っている。大切にしたい、と思っている。

 これから、少しずつでも歩み寄ることができるだろうか。

 そんな希望を持って、私の声は弾んだのだった。




 私の住んでいる村と、その先の大きな街とをつなぐ街道。その街道から森へ少し入った先にあるベリーの木は、背は低いものの結構立派な木であった。よく色づいた美味しそうな赤い実がたくさん実っている。


「いいかい、ここでベリーをとりながら、待っていなさい。私は少し行った先で薬草をとってくるから」

「わかりました、母さん」



 その絶好のベリー摘みポイントに置いて行かれた私は、持たされたかごに一つずつベリーを入れていく。結構楽しい。試しに一つ食べてみたら、甘くておいしかった。甘いものなんてめったに食べられない今の生活で、ちょっと自制しないと止まらなくなりそうなおいしさだ。

 ベリー摘みは、子供たちに大人気の仕事だ。その理由が、多少のつまみ食いをしても許されるから、というのがある。数名の子供たちと、監督役の年かさの少年が一人、という組み合わせで行くことがほとんどで、私が参加をしたことはない。

 自分のお祝いのために自分でベリーを集めるとは、と思わなくもないが、ベリー摘みは子供にとってはご褒美に近いので、私が生まれたこの村ではベリーが実る時期に生まれた子供の恒例行事でもある。……まあ、その時だって友達と一緒で、今みたいに一人で行くことはないのだけれど。

 私には友達がいないから仕方がないのだろう、多分。


 もっているかごが、一杯になるころになっても、母さんは戻ってこなかった。つまみ食いよりも、摘むことを優先してせっせとかごに放りこんだからだろうか。遊びながらの子供だったもう少し時間がかかるだろうから、母さんものんびり薬草を摘んでいるのだろうか。

そんなことを考えながら、もう一つベリーを口に放りこむ。口の中に甘いベリーの味が広がった。

 ……なんだか、胸騒ぎがする。

 久しぶりのお祝いに、少し浮かれているせいだろうか。そうではあってほしい。嬉しくて、逆に不安になっているだけ、そうそれだけだ、きっと。置き去りにされたわけがない。だってここからなら、街道伝いに村へ帰れる。だから大丈夫。


 あと少しだけ待ってこなかったら母さんを呼びに行こうと決めて、甘そうなベリーを選んで口に放りこんだ。


 そうしてしばらく。ふいにがさがさと街道の方から音が聞こえて私は振り返る。母さんが帰ってきたのだろうか。

 そう思う私に反して、そこにいたのは、眼付きの悪い不健康そうな……そして素行の悪そうな男で、思わず身を引いた。本当だったら逃げなくてはいけないと思うけれど、この距離だと、既にこちらを認識されている今逃げきれないだろう。少なくとも、子供の私では、大人の男から逃げきるのは無茶というものだった。


「エリザか?」

「…………どなたですか?」


 質問に答えずに尋ねる。私の中で警戒度が一気に上がる。この男は、生まれてから多分一度も見たことがない。なのに私の名前を呼んだ。ただの盗賊とか、ならず者とかではないのは確かだ。ちりちりと感じていた不安感が勢いよく膨れ上がる。


 男は、仏頂面でぼそぼそと「君の母さんの知り合いだ」と答えた。……胡散臭い。


「君を迎えに行くように言われてね。ベリーもそれだけあれば十分だろう。こっちにおいで」

「……でも、母さんが“自分が迎えに来るまでまっていなさい”って言ったわ」


 その様子が恐ろしくて、私は思わず嘘をついた。母さんが言ったのは、「待ってなさい」という言葉だけ。でもそれが嘘だと知っているはずがないから、ばれないはず。

 ……だったのに。


「嘘をつけ。いいから来るんだ」

「や、やだ!」


 伸びてくる汚い腕を思わず振り払って後ろに下がる。途中でかごを蹴飛ばしてしまい中のベリーが転がる。

 男の眼が瞬く間に吊り上がった。怖い、と思うと同時に後ろへ逃げ出した。と数秒後には腕をぐいっと引っ張られて宙づりになる。痛みを感じるよりも恐怖が勝った。悲鳴を上げるが、「うるせえ!」と怒鳴られて飲み込むしかない。


「お前の親にはもう金を支払ってるんだ、いいからこい!」


 恐怖とは違った意味で、背筋が凍った。私の動きが止まったのをよいことに、男は私を抱えてそのまま道に出る。腕を縄で縛られてから、そこにとめてあった箱馬車の荷台に放り込まれた。

 窓がないその馬車は暗く、饐えた匂いがした。すぐに扉は占められて、しばらくして馬車が動き出す。そのころには目も慣れて、中には自分のほかにも小さな子供がいることに気づく。暗い目をして、腕を縛られて膝を抱えていた。こちらには見向きもしない。


 私も、同じように馬車の隅に座り込んで膝を抱えた。


 ……そうか。私は売られたのか。

 こころが震える。けれどその事実に、すとんと納得もしてしまった。それだけ、私と母さんのこころは離れていたのだ。そのことにも、気づいてはいたのだ。

 期待は、最後まで捨てきれなかったのだけれども。


 村ももうすぐ冬を迎える。

 食い扶持が一人減って、臨時収入が少し入る。私みたいな子供にどれだけの値が付いたのかはわからないけれど、それはあの家の助けになっただろうか。

 そう、家のためになるならよい。そう、きっとよかったのだ。


 そう自分に言い聞かせながらも、その心の奥が別のことを叫ぶのを止められない。私は捨てられたのだ、どうして私は捨てられなくちゃいけなかったの、私がいったい何をした! ちょっと他と違うからといって、私だって別に好きでこんなところに生まれかわったわけじゃない!! ぐるぐるとした気持ちが渦巻いて、私は膝に顔を伏せて目を閉じる。

もういやだ。かえりたい。あの、幸せだった聖女だったころの、あの時に、かえりたい!



 ああ、女神様。

 何故、私から幸せを取り上げて、こんなひどいことをするのですか。

 私が、いったい何をしたというんですか。

 悪いことをしたというのならば、それを正すよう努力をするから。

 だから、どうか。私に、私の幸せを、かえして。


 返してよ!


 ……涙は出ない。声は女神に届かない。

 私はひとりぼっちだ。

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