ねぇ、交換しましょうよ!?
その昔、緑溢れ豊かな水源を持つ美しい国で一人の魔女が間もなく嵐が来そうだと闇深い森の中、家路を急ぎ馬を走らせていた。
ふと、道端に大きなカゴに入った白い包みが置いてあり気になって馬を止めるとカゴの中から笑い声がした。
カゴの中には生後間もない双子の赤ん坊が布にくるまれ入れられていて、赤ん坊は親に捨てられてしまったとも知らずに二人でキャッキャと笑っていた。
「おや、人間の赤ん坊か…可哀想にこんな森の中に捨てられて」
魔女は一人を抱き上げると考えた。すでに魔女として生きること300年、日々の暮らしには満足していたが少し刺激がほしかった。
「二人は…無理だけど一人は連れて帰るとするかね。…置いていくあんたにはこれを渡しておくよ。…ん? あんたいい種を持っているね!いつか再び会う日も来るだろう。楽しみだよ」
魔女はカゴに入る赤ん坊の上に金色に輝く一輪の花を置くと、抱き上げた赤ん坊を連れて森の奥深くへ消えてしまった。
しばらくして一台の馬車が通りかかり道端で金色の光を放つ何かを見つけ止まった。
「あら、あなた! 見て赤ちゃんよ。それも女の子! 可哀想に捨てられてしまったのね…」
馬車から降りた伯爵夫婦は先月産まれたばかりの赤ん坊を亡くしたばかりだった。二人は輝く花を持った赤ん坊は神の思し召しに違いないと連れて帰り娘として育てることにした。
◇◇◇◇◇
それから15年の歳月が過ぎた───。
「申し訳ございません! ソフィアお嬢様!」
「ふんっ、まともに髪も結えないの!? けっこうよ、もう顔も見たくないわ!」
朝からこの屋敷は騒がしい。また今日も伯爵家の一人娘ソフィアお嬢様が侍女をいじめて楽しんでいる。今日は髪を結わせておきながらリボンの結び方が気にくわないと威張り散らしてる。
昨日は部屋の窓に小さな汚れが残っていたからだったかな?
あぁ、この美しいお嬢様がこんなにも我が儘に育つなんて誰が想像しただろうか?伯爵夫婦はいつも胃を痛めている。
どんなに愛情込めて育てても産まれもった性格はどうにもできないみたいだ、お気の毒だね。
「お母様!! ご準備はできまして?」
「ええ、できたわよ」
「では参りましょう?」
ふぅん、今日は街へ演劇を観に出掛けるのか。最近好みの俳優がいるとかでずいぶんと熱心だな。おや、しかし今日は運命が動きそうだ…。俺も準備をするかな。
「ソフィア、今日も侍女を叱りつけていたけれど、あまり威張り散らすのはよろしくないわよ?」
「あら! あんな失敗をする者を側に置いていて私に何の利益がありまして? 私は当たり前の事をしたまでですわ!」
「でもソフィア、いくら何でもこんなに何人も気に入らないと言っていたらあなたのお世話をしてくれる侍女がいなくなってしまうわよ?」
「そうしたらお父様に頼んで新しい者を雇っていただきますわっ!」
今までにソフィアが顔も見たくない!と言った侍女はこっそり夫人がソフィアの目の届かない場所で働くよう配置異動をしているが、そろそろパンクしそうで伯爵夫人は娘の強情さにため息をついた。
「そういえば、またお父様が持ってきたお見合いをお断りしたそうね?」
「ええ! だって容姿端麗で最低でも侯爵家くらいのご子息でなければ嫌ですわ! やっぱり王都の夜会にでも出席したほうがよろしいのかしら?」
そろそろ娘に社交界デビューをさせようか?それで本人が満足するのであれば…と夫人が考えていると、街へ向けて急ぐ馬車が突然ガタガタと大きく揺れ乗っていた二人は椅子から転げ落ちそうになった。
「キャア! ソフィア、大丈夫!? どうしたのです?」
「すいません! 奥様方お怪我はありませんか!? 突然の落石が車輪に当たり脱輪してしまいました。すぐに修理しますので少し外でお待ちいただけますか?」
開演時間に間に合わなかったらどうしてくれるの!?とソフィアはご立腹だったが馬車が直らなければ街へはたどり着けない。大人しく馬車を降りると日傘をさして頬を膨らませた。
すると、ソフィアの瞳は木々の隙間から見えた1羽の青い鳥に釘図けとなった。
「お母様!見ました? 今綺麗な青い鳥が羽ばたきましたわ! 素敵! きっと良いことが起こるに違いないわ。少し追いかけてきます!」
「危ないわよ! 遠くへ行かないでちょうだい?」
「大丈夫よ! すぐに戻りますわ!」
母の忠告も聞かずソフィアは鳥を追いかけ森の中へ入って行ってしまった。伯爵夫人はふうっとため息をつきハンカチを敷いた岩の上に座った。
「はぁ、森で拾ったあの子に愛情を注ぎ育ててきたつもりよ。時にソフィアの為だと突き放しもした。素晴らしい経歴の家庭教師をつけたりもした。でも、ソフィアは手に負えない娘に育ってしまったわ。私の育て方が間違っていたのでしょうか…? 神よ、私達はこれ以上どうしたらよろしいのでしょうか?」
ソフィアは青い鳥を追いかけて気付かぬうちに馬車から遠く離れたところまで来てしまった。すると突然、目の前に真っ白な小さな家が現れた。家のまわりにはささやかだが畑もあり、水をやったばかりなのかキャベツについた滴が真珠のように光っていた。
「まぁ、まるで物語に出てくるような可愛らしいお家ね!」
ソフィアが物珍しさに家のまわりを見ていると鈴の音が響いて玄関が開き、中からは美しい金髪を腰まで伸ばした女性が出てきた。小さな顔には空色の瞳、縁取られた長い睫毛は太陽の日を浴びて輝いている。すっと通った鼻筋に薔薇色の小さな唇…。ソフィアは驚き大きな声を出した。
「「私がいるっ!?」」
それは家から出てきた女性も同じで二人の声は重なり森にこだました。
「ど…どちら様ですか?」
「私はソフィアよ! 青い鳥を追いかけてここへたどり着いたの!
あなたはどなた?」
「私もソフィアと言います! …私達、見た目も声も身長も…何もかもそっくりね」
二人は近づき手をかざし合わせた。着ている洋服と髪型が同じであれば正に鏡を見ているようだと二人は思った。
『ソフィア!』
すると、家から出てきたソフィアの肩に一羽の青い鳥が止まり声を発した。
「幸せの青い鳥! 私、この鳥を追いかけてきたのよ」
「この子は"ブルー"よ。私の友達であり魔女の使い魔なの」
「魔女!?」
「ええ、この家の主人で私の育ての親なのよ。今は出掛けているのだけれど…よかったらお茶でもいかが?」
「いただくわ! ソフィアさん、あなたがとっても気になるもの!」
家の中に入ると、魔女の娘のソフィアは「お湯をお願い。それとティーカップをふたつ、中にはダージリンティーを。それとチーズケーキを二切れ出してもらえる?」と、声を発した。すると勝手に火がつき、ポットから湯気が出てひとりでにティーポットに注がれた。食器棚から飛び出した皿にはチーズケーキが宙を舞い着地した。
「みんな、ありがとう」
「何これ!? すごいわね!」
「この家は魔女の魔法によって生きているのよ。だからお願いすると色々とやってくれるの」
「すごーい! いいなぁ、ずるーい!」
我が儘令嬢のソフィアは出された紅茶を飲み、チーズケーキを食べ終えると試しに「片付けていただける?」と言った。すると、食器は自らキッチンへ帰っていった。
「わぁぁ! 本当に物語に出てくるようなお家ね。ずるいなぁ、こんな暮らし憧れるわ!」
「そうかしら? 私はここでの暮らししか知らないからお嬢様暮らしに憧れてしまうわ」
魔女の娘のソフィアは物心ついた時から魔女と二人きりの生活で外の世界を見た事がなかった。
魔女は自身の仕事を、ソフィアは魔女の魔法が及ばない庭仕事や洗濯などを一人でこなしていた。なので、本読んだ外の暮らしに密かに憧れを抱いていたのだ。
「ねぇ、その魔女はいつ帰ってくるの?」
「そうねぇ…出掛けたのが二日前だから…あと一週間くらいかしら?」
「それなら! ねぇ、交換しましょうよ!?」
「え? 交換?」
「そう! 私と、あなたの生活を! こんなに瓜二つで名前もソフィアでしょう? 絶対にバレないわ!!」
我が儘令嬢のソフィアは躊躇する魔女の娘のソフィアに「ね?
しましょう? ねぇ?」としつこく迫った。
『面白そうだな、やってみればいいんじゃないか?』
突然、天窓に止まって二人の様子を見ていたブルーが我が儘ソフィアの意見を後押しした。ブルーもそう言うならば…と魔女の娘のソフィアは了承し、互いの洋服を交換し髪型を同じにした。
「わぁ、まるでどちらが私なのか分からなくなるわ! じゃあお嬢様になったソフィア、このあとはお母様と観劇の予定よ! 楽しんできてね? 私もこの家で楽しませてもらうわ!」
「はい、わかりました。では何かあればブルーが互いの声を届けてくれると言う事で」
二人は入れ替わると、手を振り別れた。魔女の娘のソフィアがブルーの案内で馬車へ戻るとすでに馬車の修理は終わっており、夫人が心配そうに待っていた。
「ソフィア! 遅いから心配したのよ!」
「ごめんなさい、…お母様」
魔女の娘のソフィアはこの日初めて"お母様"という単語を口にした。なんだか心の奥がむずっと痒くなり恥ずかしくなって頬を赤く染めた。
また、ソフィアを抱き締めた伯爵婦人はやけに素直に謝ったソフィアに少し驚いていた。
それからの一週間、二人のソフィアは各々今までとはまるで違う生活を送っていた。
◇◇◇◇◇
魔女の娘のソフィアは初めて観た演劇に大変感動し終演後も席で涙を拭いていると、一人の男性に声をかけられた。
それは主役を演じていた男性俳優のマネージャーと言う者で、俳優がいたく真剣に涙しながら観劇していたソフィアが舞台上からでも目につき一度話をさせてもらえないか?と楽屋への招待にあずかったのだ。
喜んで伯爵夫人と楽屋を訪ねるとソフィアは素晴らしい演技に心揺さぶられ感激したと懸命に感想を述べた。そんなソフィアの素直で懸命な様子に俳優は心奪われぜひお茶へ誘わせてもらえないかと申し出た。そこで伯爵夫人は「我が家においでくださるのでしたら」と条件を出し、俳優は喜んで受け入れたのであった。
「ようこそいらっしゃい、ロバート君。私はソフィアの父です」
「本日はお招きにあずかりありがとうございます」
二日後、俳優のロバートはソフィアの家の門をくぐった。
伯爵夫人から娘に男性の客人が!と話を聞いた伯爵は今まで見合い話が気に入らないと受け入れなかった娘にとうとう春が来たのかと喜んでロバートの到着を待っていた。
観劇から帰ってきたソフィアは見違えるようにおしとやかで心優しい、まるで令嬢の見本のような娘に生まれ変わっていた。
これには伯爵夫婦及び家に仕える者達は驚き喜んだ。
これがロバートとの出逢いがきっかけであるならば丁重におもてなししなければと考えていたのだ。
「ロバート様ようこそいらっしゃいました。本日はいいお天気でしょう?お庭にお茶を用意しましたからこちらへどうぞ」
瞳と同じ空色のドレスに身を包んだソフィアの笑顔はロバートの心に突き刺さった。
「ソフィアさん、今日は一緒にお茶をする時間をいただきありがとうございます」
「いいえ、私こそお声を掛けていただいてありがとうございました。嬉しかったです!」
「あの、勘違いしないでいただきたいのですが…ソフィアさんのように楽屋に誰かを招き入れたのって初めてなんです」
「誤解…?」
「あぁ、ほら演者ってモテるとか女性が好きだとか、そんなイメージが付きやすくて…」
「では、ロバート様はそのような方ではないと信じて宜しいのですね?」
「…はい。神に誓って」
真剣な眼差しでこう言うロバートの事をソフィアは舞台上で見せた役に打ち込む様子とは全く違って見えて可愛らしいとすら思った。
「えっ! では、間もなく演劇を辞められてしまうのですか?」
「そうなんです。父との約束で二年間のみと決められていたので…。再来月には家に戻る予定です」
「ロバート様の演技は本当に素晴らしかったですから残念ですわ…でもお家も大事ですし、難しいですね」
二人の会話は弾んでいた。お茶を飲みながら長く話した後に庭の花を案内していると、木の下でうずくまる小鳥に気づきソフィアは慌てて駆け寄った。
「あら、翼の骨が折れてる…! 誰か、包帯を持ってきていただけますか?」
ソフィアは家の者に包帯を持ってこさせると「ありがとう、あとは自分でやるわ」と言い添え木をして羽を固定し、治るまでは自分の部屋で面倒を見ると言いクッションを敷いたカゴに入れた。
「ソフィアさんはお優しいですね」
「そうですか? 私が役に立てるようであれば当たり前の事ですわ」
ロバートはソフィアの誠実で清らかな性格に心うたれていた。そっとソフィアの手を握ると、空色の瞳を見つめてこう話した。
「ソフィアさん、また二日後に大切なお話をしに伺っても宜しいでしょうか?」
ソフィアは初めて男性に手を握られ、その温かさとロバートの熱い視線に頬を赤らめ恥ずかしさと驚きで声が出ずこくりと頷いた。
「ブルー、今日はロバート様と夕方までたくさんの話をしたのよ! 彼は演劇の傍らご実家のお仕事の勉強もされていて、休日は慈善団体の活動にも参加されているのよ! 優しいのにお仕事を語る様子はキリッとしていて…いくらお話ししても楽しくて話題が尽きなかったわ!
ただね、ロバート様の瞳を見つめるとこう…胸が熱くなって心臓が早鐘を打って、顔が真っ赤になってしまうのよ。私、おかしいのかしら?」
その夜、ソフィアの様子を見にきたブルーに今日の出来事を話し、相談した。するとブルーは毛繕いをしながらサラリと答えた。
『それは"恋"ってやつだな? 俺が調べたところだとあのロバートは王都にある侯爵家の次男坊だそうだ。性格も問題ないし、年も5つ上だ。優良物件ってやつなんじゃないか?』
「やだ! いつの間にロバート様の事を調べたの?」
『俺は魔女の使い魔だぞ? 何でもお見通しだ! それに、留守中のソフィアをよろしくと魔女に言われてるしな』
「そうなの。でも身分なんて私には関係のない事だわ。はぁ、この生活が終わったあとでもロバート様は私に会ってくださるかしら?」
『そんな事俺に聞くなよ』
「つれないわね! あちらのソフィアさんの様子はいかが?花や野菜にきちんとお水をあげてくれているかしら?」
『俺も魔女の用事を言いつけられて忙しいんだ。そのうち見てくるよ』
「忙しいのにごめんね、ブルー」
ソフィアが楽しみにしていた二日後、ロバートは大きな花束を持って屋敷へやってきた。そして、伯爵夫婦が見守る中ソフィアにその花束を差し出した。
「ソフィアさん、私達はまだ出会って日が浅い。しかし私はあなたの心の美しさ、可愛らしさにすっかり魅了されてしまいあなたと共に王都へ帰りたいと思いました。ぜひ、私と結婚をしていただけないでしょうか?」
伯爵夫婦は事前に聞いていたようで今にも泣き出しそうな顔で二人を見守っていた。
しかし、ソフィアは自身が本当は伯爵令嬢のソフィアではなく、魔女の娘のソフィアだと彼に伝えていないので戸惑った。
「えっと…ロバート様、とっても嬉しいです。ただ、いきなりで驚いてしまって…」
戸惑いうろたえるソフィアにロバートは優しく手の甲に口づけた。
「ご両親の元を離れるのは心細いでしょう。いきなり驚かせてしまって申し訳ありません。また二日後にやって来ますので、良いお返事をお待ちしています」
ロバートは嫌な顔などせずにこりと笑って帰って行った。彼からの突然のプロポーズに驚いたソフィアは胸の鼓動を抑えきれず、顔を真っ赤にして緊張からか、幸せからか…寝込んでしまった。
◇◇◇◇◇
一方、令嬢のソフィアは二日もすると小さな家での暮らしに飽きはじめていた…。
「違うっ! 私が食べたいロールキャベツはトマトスープで煮込んだロールキャベツなの!」
机の上に並べられた夕食のメニューを見るなり声を張り上げて怒りだした!しかも「サラダにレッドオニオンは入れないで!」「氷菓子の用意もないの!?」と家に文句を言うと「今すぐ作り直して!」と叫びナイフとフォークを放り出してしまった。
家は喋ることはできないが、しょんぼりとした様子で料理を回収すると渋々作り直しをはじめた。
「もうっ! 最初は楽しかったけど、洗濯は自分でやらなくちゃだし、お風呂に使う水も自分で川まで汲みに行かなくちゃいけないし…! 聞いてないわよ! 何で私がこんな事しなくちゃいけないの!?」
すっかりご機嫌ななめになったソフィアはクッションをバシバシと叩き八つ当りしはじめた。
それから更に二日、ブルーが小さな家を空から見ると水をあげていない庭の花はしおれ、野菜達は悲鳴をあげていた。
『よぉ、来るのが遅くなっちまった。この家の暮らしぶりはどうだ?』
「ブルー! やっと来たわね! どうもこうもないわよ! 楽しいと思ってたのに全然楽しくないわ。騙された気分よ! 喋る相手もいないしつまらなくて一日も早く帰りたいわ! あちらのソフィアの様子はどうなの!?」
『騙されたって…。そうだな、あっちは面白い事になってるぜ───』
ブルーは魔女の娘のソフィアにロバートが求婚した事を告げると、令嬢のソフィアは顔を真っ赤にし目を吊り上げ息を荒らげた!
「何これ!? ずるい!! あの子私の立場を利用して何様のつもり!?」
『何様…つっても、もしお前がロバートと話をしていたらここまでの仲になっていたと思うか?』
「当たり前じゃない! 見た目も声もそっくりなのよ! 違うのは身分だけ!! ねぇ、今すぐ私を連れて帰ってよ!」
ソフィアは怒り狂って天窓に止まるブルーへ向かって手元にあるありったけの物を投げつけた。
本が飛び、スプーンが飛び、ほうきまでもが宙を舞った。
『おっと、厄介な娘だな。俺はこの辺で失礼するぜ!』
ブルーが飛び立ってしまってからも怒りは収まらず、ソフィアは家の扉を開き外へ飛び出そうとした!が、外はすでに闇が支配する時間だ。到底飛び出して屋敷に辿り着けそうもない。
するとソフィアは家の机をひっくり返し、椅子をなぎ倒し、鍋を床にばらまいた!
「ちょっと!! ここは魔女の家なんでしょう!? どうにかして私を屋敷まで連れて帰りなさいよ!! さもないと…家に火をつけるわよ!!」
灰カキ棒を手に取ると、火のついた暖炉に突っこみ薪を取り出そうとした!
家は慌ててソフィアのまわりにある家具をどかし、開かれた扉を一旦閉じて再び扉を開いた!
すると、扉の先にはソフィアの見慣れた屋敷が建っていた。
「ふんっ! できるなら始めからやりなさいよ!」
ソフィアは灰カキ棒を放り投げると屋敷に向かって歩き出した。
◇◇◇◇◇
真夜中、屋敷の中はシンと静まり返っている。
魔女の娘のソフィアも大きなベッドに横になり、夢を見ているのか幸せそうな顔で寝息をたてていた。
「憎たらしい…この泥棒猫っ!」
真っ暗な部屋は窓からの月明かりのおかげで辛うじて部屋の中が見渡せた。
令嬢のソフィアは侍女が裏口に隠している勝手口の鍵を使い屋敷に入り込むと、足音をたてないように慎重に自分の部屋に入った。
そして、キッチンから拝借したナイフを両手に持ち、すやすやと眠る魔女の娘のソフィアを睨んだ。
令嬢のソフィアがナイフを高々と上げると月明かりにナイフは怪しく輝いた。
そのまま、眠るソフィアの左胸目掛けて、渾身の力を込めてナイフを降り下ろした───!!
「──っ !!?」
確かにナイフは降り下ろされた!が、次の瞬間令嬢のソフィアは月明かりもない真っ暗な空間におり両手に握りしめていたナイフは消えていた。
「えっ!?」
「よくもうちの子を殺そうとしてくれたね?」
真っ暗な闇の中、ぼんやりと足もとが赤く光るとすぐ後ろから女性の声がした!
振り返ると紫色の髪の毛をひざ元まで伸ばし、真っ黒なマーメイドドレスを身にまとった美しい女性が立っていた。
「だ…誰!?」
「私? お前が過ごしていた家の主だよ」
「…という事は、あなたが魔女!?」
令嬢のソフィアは魔女といえば老婆の姿をしているものだと思っていた。
しかし目の前には年の頃25才前後の美しく艶かしいオーラを放つ女性が立っていた。
魔女の背後には黒い闇のようなものがうごめいており、体が恐怖のあまり動かないでいた。
「家が勝手に転移魔法を使ったから何かと思って来てみれば…。ふふっ、あんたの仕業かい」
魔女は固まるソフィアの耳もとでそう呟くと、怯える顔を覗きこんだ。
「わっ…私はただ家に戻りたくて…!」
「それで人を殺そうとしたのかい?」
「私のせいじゃないわ!あの子がロバート様と恋仲になるから…。だから私は取り戻そうと…」
「あんたがそのロバートに会ってどうなるんだい?"ありがとう"も"ごめんなさい"も言えないあんたに求婚するとでも?」
「…! 私は…ただ、自分のために…」
魔女はふっと鼻で笑うと口元だけで怪しく笑った。
「うちのソフィアは真っ直ぐな良い子に育っちまってね。魔女はそんな人間を喰らうと魔力が落ちてしまうのさ。反面、低劣で我が儘で、憎悪にまみれた人間を喰らうと大きな魔力を得る事ができるんだよ」
魔女はそのまま、ソフィアの左胸に顔を近づけ花の香りを楽しむように大きく息を吸った。
「あんたの胸にあった小さな邪心の種は大きく開花したね。美味しそうだ…」
「ひっ…!」
魔女はソフィアの肩に手を置くと、にやりと笑った。
◇◇◇◇◇
『よぉ、ソフィア! 寝込んじまってどうしたんだ?』
翌朝、ブルーは伯爵夫婦の屋敷へ行くとソフィアの部屋の窓に止まった。
「ブルー! よく来てくれたわ。お願いよ、私を今すぐロバート様のところへ連れていっていただけないかしら? 私、きちんとお話ししようと思うの! 私はここのご令嬢ではないただの娘だという事を…」
『あぁ、それなら問題ないぜ! 魔女からの伝言だ。"ソフィア、私は強い魔力を手に入れたから家を移動するよ。お前はそこの伯爵令嬢として残りの人生を歩むといいさ。"…だってさ!』
「え…? だって私と入れ替わった彼女は?」
『あぁ、あいつは魔女と一緒さ。心配すんな』
「私には素質がないと何も教えてくれなかったけれど、彼女には素質があって魔女の弟子になったって事…?」
『まぁとにかく! 俺も後片付けに忙しいんだ! ソフィア、短い間だったがお前の事嫌いじゃなかったぜ!』
ブルーは話の途中で羽を広げると空へ舞った。ソフィアは急いで窓に駆け寄ると身を乗り出してあっという間に高く飛んでしまったブルーへ大きな声で叫んだ。
「お願い! 魔女に今まで育ててくれてありがとうって伝えて! 本当は会ってきちんとお礼がしたいの、いつかきちんとお礼をしたいって伝えて!」
『魔女は礼なんて望んでないさ!』
ブルーはくるりと旋回すると一度大きく羽を振りソフィアに向かって大きな風をおこした。ソフィアの髪の毛はその風に触れ美しくなびいた。
「あら…私なんで窓に身を乗り出して…? あっ、幸せの青い鳥だわ!」
◇◇◇◇◇
それから半年後、初夏の日差しのもとロバートとソフィアの結婚式が行われた。
ロバートの両親も穏やかで素直なソフィアを大変気に入り、可愛がられていた。
一方、結婚式の参列者の影の中からその様子を見守る者がいた。
『よかったのか? あの子の中の魔女との記憶を消してしまって』
「いいんだよ。万が一私の事が外に漏れたらまた魔女狩りだなんだって騒がしくなるからね」
『ふぅん、ソフィアを巻き込みたくないって事か。こんな影からこっそり見てないで、素直に祝福してやればいいのに』
「ブルー、お前は使い魔のくせに主人にひと言多いんだよ!」
あぁ、うちの主人は回りくどくてめんどくさいったらありゃしない。本当は自分が育てたソフィアが可愛くてしょうがないんだろうに。
『なぁ、どうして最初っから種を持ったソフィアを自分で育てなかったんだ?』
「お前はバカだね!あんな我が儘娘、開花する前にムカついて喰っちまうに決まってるじゃないか!」
なるほどね。伯爵夫婦もお気の毒って事だな。まぁ、これからはうちの素直なソフィアが娘になったんだ、苦労することはないだろうな。
それにしても、夫人は心の中で神に感謝を捧げてるけど…滑稽だねぇ。
「あー! 暇つぶしはたった15年で終わっちまったよ。また面白い事を探さなくちゃね! 行くよっ」
『ちょっと、待ってくれよ!』
うちの主人は気まぐれで困っちまう。おまけに人使いも粗いときた。
…次はどんな暇つぶしをする気なんだかね。