この夜は始まりて
アルバイト先のコンビニエンスストアから、一歩外に足を踏み出すと生ぬるい空気がまとわりつく。
東京に越してきてから初めての夏を迎えようとしていた。
決して、東京に慣れたとは言えない。
未だに朝の通勤電車は、息苦しさを感じるし、渋谷のスクランブル交差点には目が回る思いすらする。
でも、自分の家から歩いて10分ほどに位置するこのアルバイト先への道だけは、慣れてきた気がした。
自分の最寄り駅にあるコンビニ。
時刻は、日付が変わろうとする少し手前。
駅前の普段は賑やかに人々が行き来する商店街も、今は疲れた顔のサラリーマンらしきスーツの男性や、化粧が崩れかけているだろうOL、酔っ払いがチラホラ歩いているだけだ。
僕は、この時間が好きだった。
東京という、全てのものが集まる場所の中、商店街というどこかノスタルジックを感じる場所を、お気に入りの音楽をイヤホン越しに流して歩くことが。
梅雨の時に、感じる雨の香りも嫌いじゃないけど、夏の始まるこのなんとも言えない香りの方が好きだ。
今、イヤホンにはAviciが流れていた。
夜道の、商店街はいつも同じはずだった。
着ている半袖は、少し汗ばんでいた。
街灯は、僕を照らしていた。
商店街を抜けて、高級住宅が立ち並ぶ道を歩く。
今、イヤホンの音は消えた。
夜道の、住宅街が何かが違った。
着ている半袖の下は、鳥肌で覆い尽くされた。
街灯は、“僕ら”を照らしていた。
見たこともないバケモノと、どう見ても服を着ていない全裸の黒髪の少女がそこにはいた。
住宅に囲まれた、決して狭いとは言えない道の真ん中で、街灯に照らされた生々しい者たち。
鳥肌は、冷や汗に変わり。
手足は、まるで自分のものじゃないかのように、震える。
目の前で、行われているナニカ。
自分の、理解が追いついた訳でもなく、冷静になれる訳でもないが、少ない語彙から出てきた言葉は、“戦い”
陳腐な言葉でしかないが、目の前で行われているのは、まさしく戦いであった。
スポーツマンシップを掲げているような、試合じゃないし、より良い結果を求めた稽古なんかではない。
もっと、血生臭くて、気持ち悪くて、現実的ではないもの。
ただ、恐ろしく現実だった。
繰り広げれているのは、まさしく殺し合いだった。
下半身がまるで蜘蛛のような茶髪の女性が、その両手に備える30センチほどの鋭利そうな爪を突き出せば、全裸にしか見えない小柄な少女は両手に抱える日本刀で弾く。
いつから、始まったことか分からないし、早くこの場を逃げ出したいという気持ちしかない。
ただ、この異常な状況に、足は普段の仕事を放棄してしまったようで、震えてしまって、座り込むしかできない。
目の前で、ただただ行われる殺し合い。
ただ、その異常な状況で思ってしまった。
考えてしまった。
感じてしまった。
綺麗だと。
それどころか、興奮してしまっている。
あの黒髪の小柄な少女に。
未だに、何故全裸なのかは謎でしかない。
ただ、日本刀を振るい、目の前の蜘蛛女に傷をつけ、微笑む姿を素敵だと思ってしまった。
その、小柄ながら綺麗に整った全身を、うっすらと紅色に染めた姿に、欲情してしまった。
下半身が、どくどくと波打つのを感じる。
ずっと、見てみたい。
それすら、考えてしまった僕は昨日までの自分とはナニカ違う気がする。
美しく続く、刀と爪の応酬。
互いの身体を、傷つけていく行為。
薄暗くよく見える訳ではないが、蜘蛛女のほうが劣勢そうで、表情は険しい。
明らかに、傷は増えてきているし、動きも散漫になってきている気がする。
それに比べて、少女は変わらない速さで刀を振り続けて、蜘蛛女に赤い花を咲かす。
少女の白いキャンパスに、赤い色が重ねられていく。
薄紅色と、ワインレッドで彩られるキャンパス。
もう破裂してしまいそうだった。
ただ、そんな時間も永遠に続くわけでは当たり前のように無く、終焉を迎えようとしているわけだ。お互いを切り刻んできたものは、一方的に蜘蛛女の爪のみが割れている。
それに対して、少女の刀はその表面を、まるで女性かのように濡らしていた。
そして、終にその首が落とされるかという、横に振られた鋭い斬撃の最中。
目が合ってしまった。
白いキャンパスを真っ赤に染め、刀までかその瞳さえ妖しく濡らした少女と交差する。
刀は自然とその速度をなくし、蜘蛛女はゆうにその軌道を避けてしまう。
「な、なんで……、きゃぁぁあああ、な、なんで目があ、合うの?見えてないはずなのに」
両手を胸を押さえて座り込む少女。
いつのまにか、あの蜘蛛女は姿を消していた。
残されたのは、全身を赤く染めて喚いている1人の少女と、未だに足が震え、股間を喚起させている1人の男子大学生だった。




