魔女の呪い
僕は人間が嫌いだ。……いや、嫌いは言い過ぎた。
僕は人間に飽きていた。朝起きても人間がいて、朝食を食べるときもその後外出した時も、昼食時も、午後の剣術の鍛錬も、夕ご飯でもお風呂にも、果ては夢の中にまで出てくる。
僕の周りに人が多いわけではない。
僕の住む村の人口は百名足らず。
他の村人は朝起きてもそばに人間はいない者が多いだろうし、朝食を1人で食べる者もいる。外出すればさすがに他人に出会うかもしれないけど、どこに行っても人間がいるという事態にはならないだろう。
家に帰れば1人になれるし、ベッドの中で目を閉じればそこは自分だけの世界。夢の中では思う存分1人を楽しめる。
そもそもで夢の中で人間がいるってことがどうなのだ。これは普通ではない。
僕が人間に飽きている理由は人間が常にそばにいて、人間を見続けてきたせいではあるが、これは僕の周りに人が群がっているわけではない。村人は至って普通の人だ。
僕の精神がおかしくなったわけでもない。……このままならおかしくなりそうだけど。
これは呪いなのだ。僕の昔の罪が生み出した呪い。罪には呪いという罰が下ったのだ。
あれは僕が4歳だか5歳かだった頃。
僕の村に1人の旅人が訪れた。
昔の記憶過ぎてどんな人物であったかは分からないが、その旅人には獣の耳と尻尾が生えていた。
「どうしてみんなとすがたがちがうの?」
僕はその当時、素直に旅人に尋ねた。
人見知りなんて言葉を知らないくらい人懐っこかったらしい。
今はその面影もないくらいに他人と関わることを苦手としているけど。
「そうねぇ……それは私が魔女だからよ。私も昔は人間だった。だけどね、私はただの人間として生きるのは嫌だった。もちろん、人間は好きよ? でもね、好きなものでい続けるのと、好きなものを傍から見ているのとでは私は後者を選びたかったの。私は人間ではない存在として人間と関わりたかったのよ」
その話は僕には難しくて半分も理解できなかった。
でも、自分のことを話す旅人の目はどこまでも真っすぐであったことは覚えている。
「私みたいな存在はとっても少ないの。そもそも魔女というのがこの世界では数えるくらいにしかいないからね。その中でも人の姿を捨てるのは本当に稀。寿命を超越した魔女もいるそうだけど、それでも人間であり続けているらしいし」
旅人は苦笑する。自分を世界から見ても本当に異質であることが分かっているのだ。それでもその生き方を止められない。自分の信念がその生き方を選んでしまったから。
「坊やもね、自分がこうして生きたいと決めたらそれを絶対に曲げては駄目よ。坊やの人生はどうやっても坊や以外には決められないの。他人がちょっかいを出して曲がってしまっても自分でどうとでも修正できるわ。私もそうしてきた」
「たびびとさんはつらくないの? だって、みんなとちがうんでしょ?」
「辛いこともある。でもね、それ以上にこうして私を受け入れてくれる人達がいる。それを知っていれば少しくらいの辛さなんてどうとでもないわ」
僕の記憶はここで止まっている。それ以上の会話は覚えていなかった。
これ以外に覚えていることは、僕がこの旅人さんに恋をしてしまったということだろう。
彼女の真っすぐな目と辛くてもなお生き方を変えないその姿勢に僕は彼女を好きになってしまっていた。
ここまでなら良い話で終わっていた。村の少年が旅人を好きになった話。その後の別れも感動的に話せるであろう。
だけど僕は素直であったが同時にひねくれてもいた。いや、年相応に恋や好きという感情に対して無知であったのだ。
彼女を好きになり僕はひたすら彼女の気を引こうとした。
村を歩けば後ろについて回り、彼女の泊まる部屋によく遊びに行った。
朝ごはんはさすがに両親と一緒にだったけど、昼食はなるべくその旅人と一緒に食べ、
周辺を散策しに行くと言ったら案内を買って出たものだ。
両親はあまり近づくなと言っていたが、僕は構わず彼女の下に通い続けた。
そして僕は彼女から呪われた。
そこまで懐いていてなぜ僕は呪われたのか。
好きな人にはちょっかいを出したくなる。子供であれば、男の子であれば共通認識のこの現象が僕にも起きていた。
そして質の悪いことに僕は加減を知らなかった。力加減もしつこさにおいての加減も。
僕が行ったちょっかいとは彼女の尻尾を執拗に引っ張るということだった。
ちょうど目の前に、後ろをついていく僕の前に彼女の尻尾が垂れ下がっていたからというのもあるが、やはり普通の人にはない珍しいものを触りたかったのだろう。
彼女の尻尾をまるで他の子どもとおもちゃを取り合うかのような力で引っ張った。
「ギニャッ⁉」
今までに聞いたことのない叫び声を彼女は上げた。
驚いた様子から一変、彼女は僕を睨みつけた。
「な……何するの!」
僕は驚いた。彼女がここまで怒るとは思わなかったから。
僕は気を引きたかっただけなのだ。少しばかり注意されたかったのだ。
「その……ごめんなさい」
怒らせるつもりはなかった。
だからすぐに謝った。
悪いことをしたらごめんなさい。それくらいは知っていた。
怒気を孕んでいた彼女の声はすぐに穏やかな声に変わり、僕の頭を撫でる。
「いいのよ。怒鳴っちゃって私もごめんなさいね? でもね、尻尾を強く引っ張っちゃだめよ。すっごく痛いんだから」
強く引っ張ると痛い。それを聞いて僕は二度と強く引っ張らないと決めた。
決めた僕は軽く引っ張ることにした。
優しく、柔らかく、撫でるように。
「ふやっ!? ちょ、駄目よ」
彼女は特に痛がっている様子は無かった。
だから、これはやっても良いことだと思ってしまった。何より彼女が心の底から嫌がっているようには思わなかったのだ。
毎日毎日出会う度に、彼女の背後に立つたびに彼女の尻尾を軽く引っ張り続けた。
引っ張れば彼女はこちらを向いてくれるから。
引っ張り続けること5日間。ついに彼女の堪忍袋の緒が切れた。いや、今から思えば昔の僕は何やってんだって本気で思う。いい加減しつこいし、よく彼女も5日間我慢してくれたな。多分、3日目あたりから結構本気で嫌がっていたのだとは思うけど、最初に嫌がっていなかったから僕は続けてしまったんだろう。
「ああもう、しつこい子ね! 私の尻尾がそんなに好きなの⁉ それならあなたには尻尾のない世界を見せてあげる!」
次の瞬間、僕の視界内には多くの人で溢れかえっていた。
触ろうとしても触れない。視界内にただ存在するだけ。
「これは呪いよ。私は魔女って言ったでしょ? 魔女は祝福と呪いを使う存在。私は見た目を象徴とする魔女。見た目、つまりは見ることと目を操作することに長けているの。これはあなたが再び私に出会うまでは決して解けない呪い。あなたはもうまともに世界を見ることはできない」
……と、そこで彼女の怒りが少し和らいだのか、咳を1つし、
「とはいえ、まだあなたは子供だし、一生をその目で暮らすのは辛いものね。……すぐに頭に血が昇ってしまうのは私の悪いところなの。でもこれで呪いはすでに完成されてしまっている。あなたが15歳になったとき、私の拠点として住んでいる山に来なさい。そこで私に会えばこの呪いは解けるわ」
「もういちど、ぼくにあってくれるの?」
「……あなた、私が怖くないのかしら? 呪いをかけた張本人なのよ?」
「こわくないよ。だってこれはぼくがわるいことをしたからそのおしおきなんでしょ?」
「お仕置き……そうね、お仕置きね。また私に会いに来て頂戴。私は何時までも待ってるわ」
翌日、彼女は村を出て行った。僕に一枚の地図を残して。
僕は彼女から受けた呪いを誰にも話さなかった。これは僕と彼女だけの秘密。僕が彼女を愛してしまったがゆえに受けた罰であり呪いなのだ。
明日で僕は15歳になる。10年余り、僕は彼女を訪れるための準備を欠かさなかった。
両親からは自立し、別の家に住み、食事や洗濯などを自分でできるようにした。旅に出れば自炊が続くのだ。このくらい出来なくてどうする。
旅に出ることはすでに両親には伝えてある。
この村からは少なからず旅人が出る。
僕はお嫁さんを連れてくるために旅に出ると両親に伝えた。両親は泣いて喜び僕の旅路を祝福してくれた。
「では、行ってきます!」
村中からの祝福を一手に受け、僕は村から出て行った。
旅に出てから約半年。色々なことが起こった。
見たこともない6つ足の獣から妙齢の女性を救い、山賊の長から少女を助け出し、無限に増え続ける食虫植物を燃やして子供たちから感謝された。
そうして旅は続き、ようやく終わりが見えてきた。
「この山か……」
思えば長かったようで短かった。
今までの旅も全てこの時のために用意されており、彼女に会うための試練であり、僕をより強くしてくれるものであると考えれば納得できそうだ。
山を駆け上がり山頂を目指す。一刻も早く彼女に会いたかった。話したかった。
「旅人さん! いますか?」
山頂にあった一軒の小屋に飛び込むように入り、部屋を見まわす。
そこには1人の獣の耳と尻尾を持つ人物が立っていた。
「ようやく……来てくれたわね。この時を待ちわびていたわ」
この時の僕の感情は何だったのだろう。
彼女に会えたことによる喜び?
ここまでの旅を終えたことによる安堵?
僕をここまで強くしてくれた者たちへの感謝?
他にもいくつもの感情が浮かび上がったが、一番強かったのは……恐怖だった。
「誰だ……あんた」
目の前の人物に問いかける。
獣の耳と尻尾。それは間違いない。記憶の中のものと一致する。
「誰って、やあね。私よ、あの時の旅人よ?」
耳と尻尾は一致する。
だけど、それ以外は何も一致するものがなかった。
髪の毛の一本も生えていない頭。
よく引き締まっている大木のような両腕と両足の筋肉。
身体中の筋肉はどれも鍛え上げられていそうだ。
それなのになぜかフリフリのスカート。たまに村で見かける女の子のものとは比べ物にならない程のフリルの多さだ。
だけど、一番の違いは……
「男じゃねえか! いや、むしろ漢だよ! え? 僕、昔こんな人の後ろ付いて行ってたの?」
何で誰も止めてくれなかったんだ。いや、両親は止めていた。よく考えれば他の大人たちも止めていたんだ。僕は無視していたけど。
「さあて、もう呪いは解けたはずよ。ふふっ、わざわざ私に振り向いてほしくてちょっかいをかけていたときの坊やも可愛かったけど、今のあなたもかっこいいわよ」
目の前の彼女……いや、彼はゆっくりと僕に近づいてくる。僕はそれに合わせてゆっくりと後退する。一気に下がっては駄目だ。それで万が一刺激してしまったら大変なことになる。
「じゃあ行きましょうか」
「ど、どこにだ?」
「どこってあなたの村よ。お嫁さんを連れて行くんでしょ? あ・な・――」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
限界であった。
僕はやつに背を向けて一目散に走って山を駆け下りた。途中で転んで転がり落ちた。
山から降りるとそこからは村に戻らず、世界中を駆け回った。幸いというか、僕はそれなりの強さがある。考えたくはないが、やつに会うために強くなろうとした成果だ。
僕の旅はここで終わらない。むしろここから始まるんだ。
一か所には留まらない。何時、やつが追い付いてくるか分からないから。
僕はその日から夢で人間を見なくなった代わりにやつの夢を見るようになった。
これも呪いなのだろうか。だけど、僕はいつか克服してみせる。他の魔女を探して呪いを解いてもらうんだ。
「ふう……ようやく山を降りたようね」
魔女は――獣の耳と尻尾を持つ見目麗しい魔女は椅子に腰かけ水晶玉を覗いていた。
「あの時の坊やが来るのは分かっていた。だからあの時の、尻尾を引っ張られた復讐をすることができるということが分かっていたからあんな姿に変身したけど……もううんざりね。あんなのになるくらいなら幼女か老婆にでもなっておけば良かった」
水晶玉に映る少年は逃げるように走っている。
それを見て魔女は笑う。
「ふふっ。可愛いわね。また私のところに来なさい。次こそはちゃんと呪いを解いてあげるから……その時は私に一生を捧げてもらうけどね」
数年後、少年は見事魔女に出会い、呪いを解いてもらった。
少年はその魔女があの時の魔女とは知らずに、その見た目からまたもや恋をし、彼女の傍から離れることはなかったという……。
眠気さ100%で書きました