Ⅲ
3月15日。
卒業式にも、オレは会場に入れなかった。
他の保護者への配慮と、マスコミの混乱を避けるための処置だ。
校庭の東側に、体育館の屋根が見える。
担任と監督は、式には出られなくても、せめて雰囲気だけでも――と校長に掛け合って、オレを視聴覚室に招いてくれた。
精一杯の配慮で、教室内に体育館の音を流してくれている。
独り切りの卒業式だ。
ざわつく館内。厳かなアナウンス。在校生の祝辞と、卒業生の答辞。
滞りなく式は進み、卒業生が1人ずつ卒業証書を受け取っている。
『3組――徳長隆太郎』
『はい!』
懐かしい声に動揺が走る。
長年バッテリーを組んだ親友は、オレの謹慎後すぐにメールを送ってきてくれた。
『こんな誤解、長く続くはずがない。早く帰って来い! 待っているからな』
有り難かったし、涙が出た。
リトルリーグで出会った徳長……"リュータ"は、当初、オレと同じピッチャーだった。
あの頃は背がちっちゃくて、こんなチビに負けるかと、オレは奮起したものだ。
小5の秋にレギュラーを逃したオレは、翌春投手としてポジションを掴み、リュータは捕手に転向して、同じくポジションを手に入れた。
あの春から、オレ達は揺るぎないバッテリーになった。
幾度も苦い敗戦に涙して互いの肩を抱え、幾度も最高の勝利を手に抱きあった。
かけがえのない、最高の親友だ。
卒業証書の授与は続いている。
3年は5組まであるから、まだ当分続くだろう。
オレは椅子から立ち上がり、窓辺に進む。
視聴覚室は4階にあり、階下を覗くと、校舎沿いに並ぶ校庭の桜は、もう七分咲きだ。
青空の下、今日は卒業式日和だ……。
「――ハヤト」
ガラガラと音を立て、突然、教室の後方ドアが開いた。
振り返ると、やけに大人じみた顔つきのリュータが、制服姿で入って来た。
「卒業おめでとう、リュータ」
表情と言葉に迷って、何だか間の抜けた祝い文句が口をついた。
「……何言ってんだよ、お前も卒業生だろ?」
呆れたように笑って、リュータは教室の中ほどまで歩み寄る。
「……W大の推薦合格、おまえだって聞いたよ。進学、おめでとう」
監督が自宅に来て、迷いながら教えてくれたのは、先月のことだ。
葛藤がなかったといえば、嘘になる。
オレが進むはずだった、未来への招待状だ。悔しくないはずがない。
「――ハヤト、それ本気で言ってるのか?」
リュータは、制服の第一ボタンを外すと、ちょっと首を回した。
「昔から……お前って、ちょっと抜けてるんだよな」
「何だよ、いきなり」
「……努力すれば報われるって、本気で信じてるんだよな」
ガタン、と苛立った様子で椅子を引く。そこにドカッと腰を降ろして、オレを見据える。
マスクの向こうに見てきた、頼もしい目付きではない。
「おれ、W大では投手でレギュラー獲るぜ」
「え……? だって、おまえは」
「分かってんのか、ハヤト? おれは、ずっと投手のレギュラーが欲しかったんだ」
問いを遮り、リュータは声を荒げた。
「ガキの頃、お前よりチビだったせいで、おれは投手を諦めたんだ。おれの球だって悪くなかったのに!」
バン……と机を叩く。
その憤りに背筋がゾクリとした。
この10年、リュータはどんな気持ちでオレの球を受けてきたのだろう。
「――リュータ、まさか……まさか、お前じゃないよな……?」
『バカなこと言うな』と――嘘でもいい、否定して欲しい。
握っても、指先が震えるのを感じた。
「だから、おまえはニブイんだよ、ハヤト。1・2年を6人かな、金を握らせて抱き込んださ。写真部のオタク……4組の安堂に画像を造らせて、ネットカフェから流したんだ。――案外、簡単だったな」
『簡単だった』――オレの将来を踏みにじった行為を、リュータはその一言で片付けた。
淡々と、つまらなさそうに言い退けた。
「……六大学で、戦おうって……共にプロ目指そうって言ったじゃないかっ! どうしてだよ、リュータ?!」
「ガキみたいなこと言うなよ。W大の推薦枠は1つ、おまえだって分かってんだろ!」
リュータは、K大から声がかかっていた。しかし推薦ではないため、一般入試を突破する必要があった。
二次の面接試験は楽勝だが、センター試験で足切りに入らない成績が必要だった。
「――おれ、諦めるのは、あの春で辞めたんだ。欲しいものは手に入れる。おれたちが目指したのは、そういう世界だろ、ハヤト?」
徐にリュータは立ち上がった。
卒業証書授与は、ちょうど4組が終わり、あと5組を残すのみだ。
「そろそろ戻るわ。――これ、やるよ。いつか価値出ても売るなよな」
机の上に、白球を置いた。下手くそなリュータのサインが書かれている。
来た時と同じように、後ろのドアからリュータは出て行った。
深淵から暗い怒りがこみ上げていた。
オレは白球を握ると、開け放ったままのドアから廊下へ滑り出た。
10mほど先を、おおように遠ざかるリュータの背中があった。
マウンドからホームベースまでの距離は、18.6m。
狙うミットは、いつもの位置より高いが、その分距離は近い。
セットポジション――オレは大きく振りかぶって、渾身のストレートを投げた。
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足元に転がるリュータの頭を、足でつつく。
反応はない。
昨夏の甲子園で記録したMAXスピードは、152Kmだった。
あれから球速は落ちているだろうが、それでも距離が近い分、衝撃は増す。
もう一度頭をつつくと、顔が横を向いた拍子に、赤黒い血が溢れた。
ヘルメットを被っていたって、脳震盪ですまない事故になることがある。
後頭部を直撃すれば、頭蓋骨も砕くだろう。
リノリウム張りのペパーミントグリーンの床に、対照色の体液が広がっていく。
「いくらニブイオレだって――お前を疑わないように、努力したんだぞ、リュータ……」
呟いて、ゆっくり視聴覚室に戻る。
5組の授与が終わったところだ。
『卒業生が退場します。――卒業生は起立してください』
カラカラ……と、窓を開けると、少し肌寒い風が吹き込んだ。
少し湿った早春の香り。
スピーカーから、ショパンの『別れの曲』が流れてきた。
――ああ……本当に、今日は卒業式日和だ。
オレはヒラリと窓枠を乗り越え――七分咲きの桜目掛けて旅立った。
【了】