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『――窪田、職員室まで来なさい』


 秋の県大会の地方予選を快勝した翌日。

 昼休み中に、担任の佐々木から校内放送で呼び出された。

 いつもと違う硬い声。


 それでも、クラスメイトからの『いよいよプロからのスカウトか?!』なんて冷やかしさえ背に受けて、オレは教室をあとにした。


 職員室に入ると、明らかに妙な雰囲気だった。

 普段、頑張れよ、なんて笑顔を見せる諸先生達が一様に険しい表情をしている。


「――窪田、ちょっと来い」


 担任と吉田監督、更に八木沢教頭までが立ち上がり、オレを『進路指導室』に導いた。


「単刀直入に言う。推薦合格は、取り消しになった」


「――――え……?」


 担当の言葉の意味が解らず、オレはぼんやり答えた。


「W大の推薦枠は、別の者に決まった。お前をスポーツ推薦することは、無理だ」


「……ど、どういうことですか?!」


 遅まきながら、漸く飲み込めた途端、今度は身体中の血が引き潮のように薄くなるのを感じた。


 既に内定していた大学の推薦合格が取り消された。

 それは進学できないことを意味し、――つまり、野球を続ける場所が無くなるということだ。


「理由は、お前が一番分かっているはずだ」


 佐々木は、拳を握っていたが、小刻みに震えていた。


「窪田。どうして……何で、あと2年、我慢出来なかったんだよ?!」


 監督はずっと無言だったが、開いた言葉は涙声だった。

 どんなに試合でボロ負けしても、叱咤すれこそ、涙など見せない鬼監督が、男泣きをしている。


「……先生、監督。オレ、本当に何のことなのか解らないんです」


 正直に言ったのに、パァンと平手が飛んで、椅子から転げ落ちた。


 びっくりして見上げると、教頭と担任が監督を押さえつけていた。


「……窪田くん、先月末、野球部みんなで合宿に行ったね?」


 教頭が僕に右手を差し出したが、借りずに独りで椅子に座り直した。


「……はい」


 喋ると右頬が痛んだ。

 監督は、まだ佐々木に押さえられている。


「君が使った部屋と、使っていたバッグから、煙草が見つかった」


「……ええっ?!」


「正解には、手のついた煙草1箱と、吸殻だ」


「馬鹿野郎!!」


 監督が再び張り手をする構えをみせたので、両隣の2人がまた押さえ込んだ。


「待ってください!! オレ、煙草なんか吸いません!」


「……お前、この期に及んで!」


「本当です、監督!! オレ吸ったことも買ったこともないですよ!」


 『無実の罪』――そんな言葉が脳裏を掠めた。


「……私達も、モノだけで決めつけている訳ではないんだ」


 声を低くして、八木沢教頭が口を開いた。


「他にもまだ、あるんですか」


「そうだ。目撃者がいる」


「――嘘だ……」


「窪田!!」


 監督の平手がもう一度、今度は左頬を打った。

 担任も教頭も止める間を失った一瞬のことだ。


 不意を食らって、再び床に転がる。口の中を切ったのか、生臭い鉄の匂いがした。


「大丈夫か、窪田くん」


 全く大丈夫ではなかった。ジンジンと鈍い衝撃が広がる頬よりも、口の中の血の味よりも、自分が置かれた立場の深刻さに比べれば、砂埃みたいなものだ。


「先生、監督、教頭先生、信じてください。オレ、煙草なんて興味ないんです、オレ……野球できなくなったら……――」


 声が詰まった。もう、立ち上がれない。床にへたり込んだ切り、嫌な汗だけが、後から後から顎を伝って床を濡らした。

 途中からは、涙も混じっていたかもしれない。


「窪田……」


「先生、誰なんですか……誰が、オレのことを……」


 『嵌めたんですか?』――言いかけて、言葉を飲み込む。


「――それは、言えない。だが、部員に聞き取りをした。目撃者は複数いた」


「まさか……嘘だ! 嘘だ!! オレはやってないのに!!」


 信頼していたチームメイトに陥れられるなんて。

 世界がバリバリと一瞬で崩壊した。


 その日は、もう教室には戻らなかった。

 授業に行った担任と、来客が来た教頭が部屋を出て、監督と二人切りになった。


 吉田監督は、幾分冷静になり、床の上のオレを抱え、椅子に座らせた。


「――窪田。叩いて悪かったな」


 オレは涙目のまま、監督を見つめた。


「……監督。オレ、本当に煙草なんて吸ったことないんです……」


「……」


「W大には行けなくても、いいです。でも、どこでも構わないので、野球を続けさせてください……!!」


「――お前も解っていると思うけど、喫煙は高野連に報告しなきゃならない」


「いずれ、世間にも伝わる。そうなったら、いくら甲子園出場投手でも、ルールを守れない人間を迎え入れる大学はない」


「監督。助けてください。オレ、こんな……やってない罪で辞めたくありません!」


「俺だって悔しい。お前はプロになれると思って指導してきた」


「監督……」


「合宿の夜、宿舎したホテルの自販機で煙草を買っている姿を目撃されている。まずいことに、誰かがネットに画像を流したそうだ」


「――違います……! そんな……何かの間違いです、監督!!」


「……俺だって、お前がそんなことする奴だなんて思っていないさ」


「じゃあ……!」


「分かるだろう、窪田! ……物的証拠が出ちまったんだ。言い訳できないんだよ!」


「だから、違う! それは、オレのじゃないんだ!!」


-*-*-*-


 在学中の喫煙は、停学処分だ。

 オレは、当分の自宅謹慎を言い渡された。


 ――無実の罪で。


 学校側は「十分な調査をする」と言ったが、インターネットに画像を流した人物を特定できなかった。


 今時、画像なんて素人でも加工できる。ましてやチームメイトなら、オレの写真くらいすぐ手に入る。


 刑事事件でもないのだから、調べると言ってみたものの、学校ができることには限界があった。


 学校は、緊急保護者会を開き、経緯とこれからの生徒指導について説明した。


 一部の保護者が、監督の責任問題を追及したが、これまでの実績を考慮して、解任は留保された。

 担任からの連絡を聞き、オレは心の底から安堵した。


 喫煙問題が高野連を通じて公表されると、これまでの注目が仇になり、掌を返したようなバッシングが始まった。


 身に覚えのない罪を、見ず知らずの他人が非難した。


 夏にはあんなに持て囃した地元の情報番組では、会ったこともないカウンセラーとかいう肩書きの大人が、したり顔でオレの内面的歪みとやらを解説していた。


 エースとしての責任の重圧とか、マスコミに取り上げられた傲りだとか、勝手な推論は後を断たなかった。


 カメラを抱えた人間が、家の周りを彷徨いていたこともある。

 父が警察の生活安全課に相談して、巡査がパトロールするようになって、漸く怪しい人物の姿は消えた。


 せめてもの救いは、身内が信じてくれたことだ。


「お前のことは、ちゃんと見てきたつもりだ。いつかは誤解が解ける日が来る」


 謹慎が言い渡されたあの日、高校に呼び出された父は、オレの両肩を掴んで静かに言った。


 昔――投げても投げてもレギュラーが取れなかった小5の秋。

 落ち込んでいたオレに真正面に向き合って、同じように両肩を掴むと諭した。


颯斗(はやと)、真面目に正直に努力するんだ。今、結果が出なくても、誰かが必ず見てくれるものだ』


 父は、野球少年ではなかった。


『野球のことは教えてやれないが、他のことならいつでも相談しろ』


 そう言って、オレを励ましてくれた。


 5人兄弟の真ん中で育った父は、特に目立つことのない平凡なサラリーマン人生を送っているが、オレは心から尊敬している。


 母もまた、リトルリーグ時代から弁当に洗濯に応援に――全面的にバックアップを続けてくれた。


 野球を始めて約10年。


 オレは、1日の大半を白球に費やし、野球のことばかり考えてきた。

 親や、監督や周りの仲間に対する感謝を忘れたつもりはなかったが……謹慎期間の数ヶ月間、こんなに野球以外のことを考えたことはなかった。

 皮肉なものだ。


 担任が何度か訪ねて来て、面談を繰り返した。

 進路についても、改めて考え始めていた。


 時期的に、これから一般入試を受けるのは厳しい、という結論になり、浪人して進学を目指す方向で固まった。


 野球には、関わっていたい。

 でも、それを世間が許してくれるかどうかは――まだ分からなかった。


 12月に謹慎期間が解けたが、オレは登校しなかった。


 担任と監督が尽力し、卒業まで通常の登校をしないことになった。

 代わりに、冬休みに登校して、出席日数を補った。


-*-*-*-



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