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 3月は、別れの季節だ。


 卒業生に取っては、旅立ちの季節、とも言う――。


-*-*-*-


「――違います……! そんな……何かの間違いです、監督!!」


 目の前が、真っ暗だ。

 いや、世界から色彩が消えている――という方が正しい。

 そして、足下がブヨブヨと崩れ、沈み込んでいくようだ。


「……俺だって、お前がそんなことする奴だなんて思っていないさ」


「じゃあ……!」


「分かるだろう、窪田!」


 正面からオレを見つめる吉田監督は、苦し気に表情を歪めた。

 もしかしたら、当事者のオレより苦悶していたのかもしれない。


「……物的証拠が出ちまったんだ。言い訳できないんだよ!」


『だから、違う! それは、オレのじゃないんだ!!』


 絶叫して、目が覚める――。

 この夢を、何度繰り返し見ただろう。


 ポスターを剥がされたばかりの白木の天井が、滲んでいる。

 また、泣いていたらしい。

 仰向けの姿勢のまま瞬きした拍子に、左右の目尻から熱い液体が、切り揃えた揉み上げと、その先の五分刈りの頭髪の中を伝った。


 すぐに起き上がる気になれず、壁の時計を探す。


 ――4時15分。


 やはり、いつもの時間だ。長年身に付いた習慣は、恐ろしい。

 もう朝練に行く必要もないのに、馬鹿みたいだ。


「……もう、行けないんだな……」


 呟くと、塞がり切らない心の傷から、鮮血が吹き出した気がした。

 ドクドクと、心拍の度に溢れだす感覚。


 1滴残らず流れ出してしまえば、いい。


 そうして、気づかぬうちにカラカラに干からびて、あのマウンドを吹き抜ける浜風に砕けて消えてしまえばいい――。


-*-*-*-


『やりました!! 県立栄高校! 18年振りの県大会突破の勢いそのままに、ついにベスト8進出を決めました!!』


 興奮した放送局のインタビュアーが声を張り上げると、カメラのフラッシュが一斉にたかれた。

 その中に囲まれたオレは、隣の吉田監督と、主将の徳長に挟まれて、マイクを向けられる。


『今の気分はいかがですか?』


『はい、監督さんとチームの仲間、支えてくださった地元の皆さんのおかげでここまで来れたと思います』


 汗を拭いながら、テレビカメラの中のオレは笑顔だ。

 かいた汗すら、爽快だ。


『地元では、梅坂投手以来の怪物、と囁かれてますが?』


『いえ、まだまだです』


『今大会も二桁奪三振が続いていますね?』


『……はい、徳長のリードに助けられています』


『その徳長くんとは、リトルリーグ以来のバッテリーなんですってね?』


 マイクとカメラが隣の"古女房"徳長に向けられた。


『はい。窪田の球種は、全て把握しています』


 オレより5cm低い徳長は、それでも181cmはある。

 捕手にしては大柄で、その体格を活かして強打者になった。


『徳長くんは、大会1号に続いて、今日も2打席連続HR、見事な活躍でした』


『浜風が運んでくれたんだと思いますが、嬉しいです』


 ニキビ痕の残る額の汗を拭い、丸顔を綻ばせた。

 また、フラッシュがたかれる。


『――ベスト8進出一番乗りを決めた、○○県立栄高校の吉田監督と、投打のヒーロー窪田投手、徳長主将でしたー!』


 結局、オレたちはベスト4で敗退したが、スポーツ紙や地元の情報番組を賑わせ、ちょっとした"旋風"を巻き起こした。


 見知らぬオバチャンや小学生からも、応援のファンレターが高校に届いた。

 放課後の堤防ランニングでは、ただ走っているだけで、どこからともなく黄色い声が聞こえた。


 あまりのフィーバー振りに、学校や両親が心配したほどだ。


 あれを『この世の春』と呼ぶならば……今のオレは氷河期だろう。


-*-*-*-


 カーテンの隙間から朝日が射し込む。


 天井のコントラストが一層明確に際立ち、痛々しい。


 色褪せた枯葉色の木目の中に、白木の肌色が長方形を描いている。


 無くしたポスターを偲ぶが如く、そこだけ穴が開いているみたいだ。


 それは写し鏡で――オレの胸の空白を象徴している。


 幼い頃からのヒーロー、梅坂投手のポスターを、この手で丸めて捨てた。

 破り捨てることが出来なかったのは、まだ憧れが燻っているからだろう。


 憧れた舞台を目指して、小2から白球を追いかけた。


 友達が興じた流行りのゲームも、長期休暇中の家族旅行も、何もかも諦めて、練習と試合に明け暮れた。


 どんなに辛い練習も、勝利の歓喜の味のためなら、苦にはならなかった。


 高校生活最後の夏、ヒーローが活躍した同じグラウンドまで届いた。

 あくまで噂の域だけれど、プロからも、多少なりとも注目を浴びていたらしい。


 いつかプロの舞台で、カクテルライトを受けて、オレの背番号がマウンド上に浮かび上がる。


 決して、手が届かない夢には思わなかった。


 それが――急転直下、いきなり幕が下ろされた。


 『悪夢』と呼ぶような出来事なんて、本当にあるんだと、思い知らされた。




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