鉄の花
ある高名な科学者が、その地位と名誉を捨てて、鉱物しか存在しない不毛の惑星に移り住んだ。
住人は彼しかいない。水も食料もまったく望めない辺鄙な星で暮らそうなんて人間は皆無だった。
そこで彼はある研究に没頭しているとの話だが、詳しく知るものはいない。僕にも分からない。
人が訪れるのは地球暦で年に一度。五十を過ぎても独り身の伯父が、ただひとり心を許した僕だけだった。
水と食料とよくわからない研究資材を満載した宇宙船で、今年も僕は彼の住まいにやってきた。
「おじさん、レオンです。開けてください」
辺り一面に灰色の景色が広がっている。それはぞっとするような光景だった。救いは大気の改造をしてあることくらいだ。
自動機械にコンテナを倉庫へと運ばせておき、僕はおじさんの無愛想な小屋の前で通信をいれた。灰色をした長方形のそれは、個人用宇宙船の居住区よりはわずかに広いくらいで、彼はそこで不自由なく暮らしていた。寝るとき以外は帰らないからだ。地下にはずっと広い研究スペースがある。
おじさんはまるで、彼が大好きだったお話の主人公を真似ているようだと思うことがある。ひとりでこの星に暮らすなんて、僕にはとても考えられない。
「あれ……」
どうも、おかしい。
いつもは通信を入れればすぐに扉が開き、出迎えてくれた。
嫌な予感がした。緊急の信号をつかい、ロックを解除する。
「おじさん!」
そこには長いこと人が生活した形跡がなかった。ほこりなんて発生するはずはないが、ベッドや食器はずっと前に使ったまま放置してあった。
部屋は外の風景にも似て、命の気配がなかった。
「どうしたんだい、おじさん!」
僕は急いで階段を下りて、立ち入ったことのない研究室へと踏み込む。施錠ははされていなかった。
灰色の、無菌室のようになった部屋の扉を勢いよく開けた。
白衣を着た死体がそこに転がっていた。
「……そんな」
彼はそこでミイラのように干からびていた。
心臓のあたりを掻きむしったような格好で、灰色の床に仰向けに寝そべっている。
「こんなところで、ひとりで死ぬだなんて」
大好きだった彼の、そのさびしい死を僕は涙で弔った。
――どれくらい時間が経っただろう。
涙をぬぐい、遺体をどうするか考えていると、白い机の上に奇妙なものが載っているのに気がついた。
「これ、おじさんの?」
それは薔薇だった。
しかしただの薔薇ではなく、鉄と思われる金属でできていた。伯父にこんな趣味があっただろうか。
小さな鉄の欠片からのびた一輪の花。それはまるで命があるかのように精巧につくられている。
日誌があった。
地球時代を愛した彼は、しばしばアナクロな行動を好んだ。白い表紙のそれは薔薇のすぐ隣に置かれていた。
日誌に書かれていたことは僕を驚かせた。
彼の研究は、非生物に生物としての特性を与えることだった。命をもつ金属の創造、その成功例があの薔薇だと記されている。
しかし、厳密な管理を必要とするあの花に、もはや命はなかった。
鉄の薔薇は死んでいた。
永遠にしおれないその花、それは鉄くずだろうか。それとも芸術だろうか。
子供のときの思い出がふっとよみがえった。
伯父は、小学生になったばかりの僕に一冊の本を買ってくれた。
『星の王子さま』というその本は科学者の彼には似つかわしくないように思えて、素直にそう伝えると、伯父は苦笑しながら言った。
「王子さまは、心に一輪の薔薇を咲かせている素敵な人なんだ。でも僕は、人間の心に咲いている花を見ることができなかった。世界のどこかに花を求めて科学者になった、そんな気がするんだよ」
そのときの青白い繊細そうな横顔は、ずっと目に焼きついていた。
見ることができないはずだ。
「おじさんは、自分の心に花を咲かせていたんだね」
僕は、机の上の花を手に取ると、そっとおじさんの胸に置いた。
自動機械に彼を運ばせようとして、部屋を出る。
階段に足をかけてそっと振り返る。
「おやすみ、王子さま」
そうつぶやくと、僕は階段をのぼった。
これは某所で練習のために書いたもので、短く簡潔に、それでSF風味を目指してみました。ジャンルはSF?ですが。感想お願いします。