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炎鎖のアシェイラ ~剣の輪舞  作者: なりちかてる
剣光の章
3/21

黒檀の城壁

 角笛が吹き鳴らされた。戦闘の開始の合図だ。あちこちで喚声があがり、剣の刃が陽の光を反射した。

 アシェイラは喉のつばを飲みこんだ。背筋をのばす。

 ——いよいよ、はじまりだ。

 鞘をつかむが、剣はまだ抜かなかった。戦いは長いものになりそうだったからだ。剣の腕には自信があるが、体力はなるべく温存しなければならない。

「もうすぐ——もうすぐだよ」

 声をかけられた。振り返ると、すぐそばにエルカが立っていた。肩に手をかけてきた。「うん」

 アシェイラは深呼吸をした。戦士の背中ごしにのぞく、サードレード市の高い城壁を見つめた。

 サードレード市の城壁は黒色の岩を積み上げていることから、黒檀の城壁(エボニーウォール)と呼ばれていた。この黒色の岩は加工しずらいことでも有名で、サードレード市をこの岩ですっかり囲むのに数十年の時がかかっていると、アシェイラはペールシードから聞かされていた。それだけに城壁としては最高のもので、ファルファレル軍がこの都市を包囲するだけで攻め落とすことができなかったのは、この城壁があったからだった。

 城壁はところどころ、二重になっている部分があって、手前の城壁は奥に比べると半分ほどの高さしかないのだけど軍隊を収容することができるようになっていた。数週間前は神官軍もその城壁から戦士たちを繰り出していたのだけど、包囲を崩すことはできなかった。戦いはどちらも身動きがとれない状態になっており、この数日間、両方に死者はひとりも出ていなかった。

 一応、攻城戦の用意は整っていて、城壁に対して傾斜路をつけたり、石や燃える油、槍などを投げつけるなど、しきりに攻撃を行っていたのだけど、それがどのくらい効果をあげているのかはさっぱり、わからなかった。

 城攻めとしては城門を破るのが一番なのだけど、それも難しいようだった。サードレード市に出入りする唯一の門は、都市の城壁が引っ込んだ狭い通路の先にあり、さらにその外にも城壁があるので、分断される危険を覚悟しなければならなかった。

 ファルファレル軍の盟主、ユーリスはサードレードを落城させた後のことを考え、激しい攻城戦を展開させることを控えていたのだが、ついに決断を下した。

 剣と楯をぶつけ合わせ、戦士たちが音を鳴らしていた。その戦士たちの間を抜け、リースヴェルトが前に出た。列をなす戦士たちから少し離れたところで、足を止めた。左腕を上げると、戦士たちが剣で楯を叩く手を止めた。音が小さくなり、やがて完全に消えてしまった。風の音以外、何も聞こえなくなる。

 リースヴェルトが杖で地面をついた。足もとのローブが、はためいていた。

 リースヴェルトが背中をそらした。声をあげはじめた。

「意によりて、言葉は迸り出る。稲妻が雷雲より放たれるが如く。大いなる蒼穹(そうきゅう)よ、我に自在なる心を与えよ。解放の力は激励(げきれい)によりて進み、金属からなる城壁をも超えたり——」

 呪文の声は耳に意識を集中させないと聞こえないくらいだったが、それはだんだんと大きくなっていった。大声になる。

 アシェイラは全身の肌がぴりぴりとするのを感じた。リースヴェルトの声はただの大声を超えて、何人もの人間が叫び声をあげているのよりもさらに、大きくなっていった。耐えられなくなり、アシェイラは耳をふさいだが、その声は頭のなかに直接、響いてきた。

 城壁の上に、神官軍の戦士が現れた。弓の弦を引いて、リースヴェルトに狙いをつけた。

 それに、ファルファレルの戦士たちが動いた。リースヴェルトの前に楯を構え、槍や弓の矢を投げつけた。

 矢がまわりに降りそそいでいったが、リースヴェルトは呪文を唱えるのを止めなかった。地面に下ろしていた杖をゆっくりと頭上に掲げた。

「——()が力を()は讃う。撃て、諸物に宿れし御力よ。舌の槍は急所に致命の一撃を加えたり」

 呪文を唱えおわったリースヴェルトが、杖を振り下ろした。すると、城壁にひびが入っていった。黒い線が次々に走り、そしてアシェイラはきれいに積み上げられていた城壁の、一番上の岩が崩れるのを見た。落ちてくる。

 と同時に、土煙があがった。下から舞い上がり、城壁のまわりは何も見えなくなってしまった。

 小石が頭の上から落ちてきた。正面からも飛んでくる。エルカがアシェイラを抱きよせ、守ってくれた。

「ヤー、ヴィゼ・ファルファレル!」

「スーレディーア! リースヴェルト」

 ——リースヴェルト、リースヴェルト!

 ——ファルファレル、ファルファレル!

 興奮に満ちた力強い声が聞こえてきた。アシェイラはその声に目をあけ、エルカのマントから顔をのぞかせた。

 土煙はかなり薄くなっていた。茶色のカーテンを透かして、向こうを見ることができる。

 アシェイラはまばたきをした。

 ——城壁が、ない。

 巨人がハンマーを振り下ろしたみたいに、目の前に大きな穴があいていた。細かく砕けた岩が地面にいくつも、転がっていた。がれきをつくりあげている。

 その穴めがけて、ファルファレル軍の戦士たちが突進していった。角笛が何度も何度も、吹き鳴らされる。

「わたしたちは、こっちだよ」

 エルカがアシェイラの手を引っぱった。

 眠りから目覚めたみたいに投石機が槍や石を投げはじめるその横を通って、ふたりは城門へと向かった。

 城門の手前には、楯のように短い城壁があった。そしてその近くでも、戦闘が起こっていた。神官軍とファルファレルの戦士たちが、剣を交えている。が、そちらは加勢しなくてもいいみたいだった。神官軍のほうが一方的に押されている。

 城壁の横を抜けると、都市を包む外壁が、目に入ってきた。そこから先は狭い通路になっていて、城門はその奥にあった。城門は扉も含めて石で組んであり、門の上には向かいあうカラスの彫刻がはめこまれていた。アシェイラとエルカは数十人の戦士たちといっしょに、その城門めざして走った。

 アシェイラは城壁の上を見た。が、そこには戦士の姿はなく、攻撃を受ける心配はないみたいだった。

 と、通路に足を踏み入れた時にはぴったりと閉ざされていた石の門が、外側にゆっくりと開いていった。城壁の内側がのぞく。

 都市の内部にいた神官軍の戦士が撃って出てきたのかと思ったが、そうではなかった。ファルファレル軍の戦士がアシェイラたちを招き入れてくれたのだった。

 門をくぐり抜けると、そこから先は大通りだった。石畳がまっすぐに続いている。

 走りながら、アシェイラは首から下げているいる、さびだらけになっている鍵に触れた。胸もとから取り出すと、それに口づけをした。

 その鍵はアシェイラが赤ん坊だった時、お包みに入れられていたもの、らしかった。おそらくその鍵は、アシェイラと生みの親とのつながりを示すものなのだが、そのこととは別に戦いの前に触れておくと、不思議と力を出せるような気がするのだ。

 アシェイラとエルカは都市のなかを走りぬけ、十字路に差しかかった。エルカに目配せをすると、うなずきを返してきた。アシェイラは剣の柄に手をかけた。

 十字路の手前で、アシェイラは足を止めた。同時に神官軍の戦士がふたり、飛びだしてきた。

 剣を斬りつけてきた。アシェイラはそれをかわすと、腰の剣を抜いた。

 アシェイラは舌打ちをした。踏み込みが甘かったようだ。革よろいを浅く、切り裂いただけだった。

 戦士が反撃してきた。剣を振り上げる。

 アシェイラは剣で、その攻撃を受けた。重い衝撃を感じた。しびれに似たものが走る。

 アシェイラは後ろに一歩、下がると、剣を握った。腹の上あたりに構える。

 戦士がからだごと、ぶつけるようにして剣を叩きつけてきた。また、しびれのようなものが手のひらに走ったがアシェイラは何とか、踏み止どまった。

 アシェイラは相手の顔を見た。まだ、若い。少年ではないが、中年でもない。二十代半ばくらいだろうか。が、それでアシェイラの剣が止まることはなかった。

 アシェイラは相手の剣ごと、上に払った。胴ががら空きになる。その胴へ、アシェイラは剣を振り下ろした。今度こそ、手ごたえがあった。剣の刃が肉を切り裂く感覚だ。

 アシェイラは剣を引いた。相手のからだがぐらりと揺れた。石畳の上に横たわった。

 エルカはすでに、敵を倒し終えていたようだった。剣を下げている。

 と、エルカがアシェイラの後ろを見た。あ! という声が聞こえてきそうなくらい大きく、口を開けた。

 アシェイラがそちらを振り返ろうとした。すると、目の前を灰色をした何かが横切っていった。

「グレイ!」

 後ろから、アシェイラを槍で攻撃しようとしていた戦士に、グレイが噛みついたのだった。うなり声と悲鳴が聞こえてくる。

 戦士は激しく抵抗していたが、腕が下に落ちた。身動きしなくなる。

「グレイ。もう、いいよ。死んでる」

 アシェイラが声をかけると、口のまわりを血に染めた灰色狼が、戦士から離れていった。アシェイラの足もとまで走りよってきた。頭や首の毛をなでてやると、金色の瞳を細めた。「命びろいをしたね、アシェイラ」

「う、うん」

 アシェイラは大きく息を吐き出すと、地面に転がっている槍を見下ろした。

 あとほんの少し、グレイが駆け出してくるのが遅かったら、アシェイラはその槍で串刺しにされていてはずだった。それを思うと、急に背中と肩が冷たくなってくる。

「だから、言ったじゃないか。あんたは単純なんだから、あまり考えるんじゃないって」

「それ、どういうこと?」

「だからサ、流れに身をまかせてみなって言ってるの。見たまま、感じるままに動いていれば、いつもの自分を取り戻せるはずだよ」

 エルカは言うと元気づけるようにか、アシェイラの肩をちょっと乱暴に叩いてきた。


     ◇   ◇   ◇


 都市のあちこちで、炎があがっていた。空が陰っている。風がこちらのほうへ流れてくると、灰と黒煙とで息苦しいくらいだった。

 アシェイラたちがサードレード市に侵入したばかりの頃は神官軍の戦士たちが徹底抗戦する場面なども見かけられたのだけど、それが一時間、二時間と時間が経過するたびに変わってきた。三時間後には戦闘も散発的になり、降伏する者も出てくるようになった。城壁や見張りの塔、砦、地下貯水池などの都市の要所をファルファレル軍たちは次々と押さえていった。そして——。


       ◇ ◆   ◇


 剣と剣がぶつかる音や喚声、悲鳴などが聞こえてきた。

 神殿の奥殿の中庭——ぐるりと見渡しても、そそりたつ建物と四角く切り取られた空しか目に入らないその場所に、ファルファレル軍と神官軍の戦士たちが集まり、最後の戦闘を行っていた。

 その場所はちょっとした砦になっていて、中庭を封じてしまえば奥殿には入れないつくりをしていた。

 奥殿に入る方法は、ただひとつ——右手の建物にある階段をあがって塔に入り、中庭を横切る形になっている渡り廊下を通り抜けるしかなかった。

 その中庭だがさっきまでは乱戦状態で、肩をぶつけた相手が敵とわかり、改めて剣を向けあう、ということがあちこちで起こっていたのだけど、今ではファルファレル軍の戦士たちがほぼ優勢に、戦いを進めていた。

 が、問題なのはここから先だった。

 中庭に面した、奥殿へと続く階段——その踊り場を、アシェイラは見上げた。そこには黒い金属鎧に頬当てをかぶり、両手用の戦斧を構えた男が立っていた。

「はぁっ!」

 ファルファレル軍の戦士がその男に、剣で斬りかかった。が、その攻撃を男は斧の柄で難なく、受け止めた。

 男が斧を押すようにすると、戦士が上半身をよろめかせた。後ろにさがり、なんとかバランスを保った。

「聞け、上天の支配者。大地と河と森、獣、そして空のなべてを統べる者よ。我が唱える讃歌(さんか)()がために捧げられたり——」

 男が呪文を唱えはじめた。

 と、ファルファレル軍の戦士は猛然と剣を振いはじめた。防御も構えもなく、剣を叩きつけた。が、男は呪文を唱えるのをやめなかった。すべての攻撃を斧で受け流した。

 周囲にいた戦士たちが槍や矢、ナイフなどを投げつけるが、男に当たることはなかった。命中しそうになっても、その手前で見えない壁のようなものにぶつかり、弾きかえされてしまうのだ。

「——その息吹は輝きつつ、天の道に至れり。ならば、大いなる者よ。相応しき力もて()が武器を振り下ろせ。地の上にも空の下にも、汝より力強きものは存在せず」

 男が右手を上げた。指先が複雑な仕草をを描く。

 と、戦士のからだが吹き飛んだ。階段から落下し、下の石畳に叩きつけられた時はもう、戦士は息をしていなかった。手も足も頭もあるけれど、ただ血の色に染まった、肉と骨の塊と化してしまっている。

 男が斧を階段の上に置いた。にらみつけるようにして、中庭にいるファルファレル軍の戦士たちを見下ろした。

 ……神官のなかにも、剣の腕がたつ者はいるようだった。

 何人もの戦士がその神官に挑みかかっているのだけど、踊り場から先に行くことができずにすべて、退けられていた。

 アシェイラは空を見上げた。戦いがはじまったのは午後早い時間だったのだけど、夕暮れはもう、すぐそこまで迫りつつあった。あと一時間もしないうちに夕闇があたりを包み、何も見えなくなってしまうのだろう。しかし——それまでに、この戦いは終わりそうになかった。

「そこまで! そこまでです」

 アシェイラはその声に、振り返った。見ると、門のところからふたりの人物が中庭へ、入ってくるところだった。

 リースヴェルトとペールシードだ。ふたりのために、ファルファレル軍の戦士たちが道をあけた。

 ふたりがここにいるということは、王の城の攻略は終えてしまったのだろう。戦士たちは剣や槍、拳などを振り上げてリースヴェルトとペールシードを迎えた。

 が、彼らは神官たちに降伏をすすめるために、ここにやって来たのではなかった。神殿の制圧をもって、このサードレード市の戦いを終えるつもりのようだった。

「ちょっと遅いんじゃないかい、リースヴェルト。待ちくたびれちまったよ」

 エルカが言うと、リースヴェルトは肩をすくめた。

「おや、待たせてしまいましたか。短気な貴方のことですからてっきり、わたしのことなど構わずに、戦いを終えてしまったと思っていたのですがね」

 それにエルカは、笑みをうかべた。

「言うようになったじゃないか」

「お互い様にね」

「それじゃ——」

「ええ」

 エルカが傷だらけになっている胸当てを脱ぎ捨てた。剣を抜き、階段をのぼっていった。

 エルカは相手が攻撃してくるのを、待ったりしなかった。先に、斬りかかった。

 神官が斧の柄で受けた。それが、戦闘のはじまりとなった。

「やぁっ!」

 エルカが剣を振り回した。次々と剣をくり出す。

 まるでエルカのその攻撃は、神官の斧の柄を叩き切ろうとしているみたいだった。息をつく暇すら与えずに、六度、七度と斬りかかった。

 呼吸を十五回ほど数えた時に、エルカは神官から離れた。後ろに下がる。

「しびれるねぇ」

 エルカが笑みを浮かべた。からかうように左の手首を軽く、振った。

「あんたぐらいの剣の使い手が戦場にいれば、退屈しなかったんだろうがね。……じゃ、リースヴェルト」

「わかってますよ」

 エルカが階段を踏み出していった。剣で斬りかかった。

 今度は神官は一方的に、防御にまわったりしなかった。エルカの剣を受けたり払ったりしながら、斧を振り下ろした。

「——吹きもたらせ。風は天の炉をも破砕しせり。()の声は雷鳴を生み、雨水をもたらす。来れ、風の主よ。祝福の讃歌を授与するがために」

 リースヴェルトが呪文を唱えた。するとエルカの剣のまわりに、風が巻きついた。時々、銀色の光がひらめく。

 エルカは剣を下に構えた。胸もとをねらい、振り上げた。

 剣に巻きついていた風が、大きくなった。神官を飲み込もうとする。

 剣を受けようとせずに、神官は胸をそらせた。剣の先をかわす。

 風圧で、神官の顔に細かい傷が現れた。血の滴を含んだ風が散った。

 今度はエルカは剣を上に構えた。斬りかかった。

 神官が斧の柄を両手で持った。胸の前で剣を受ける。

 エルカは剣を、左のわきに引きよせた。踏み込むと、剣を突き出した。

 神官は斧で剣を受け流したが、完全にはかわしきれなかった。剣の先が肩口を捕らえた。

 それほど深くはないが、エルカは神官に傷を負わせることには成功したようだ。神官の左肩から血が流れている。

 戦士たちがよろこびの声をあげた。エルカ、エルカ、と足踏みをさせた。

「地の彼方にありて、水より生じせしものよ。()が名を我は讃う。一切は見渡したり。地と水と風とを。祭祀は援助するがため——」

 神官が呪文を唱えはじめるが、リースヴェルトはそれにかぶせるように、声をあげた。「我、今()らん。()(いさおし)を。大波が河をさかのぼるが如く、()の奔走をさえぎる者はなし。天と地に頂礼(ちょうらい)せし玉座に、汝よりも相応しい者がありや。されど、彼の姿は何処(いずこ)にと問う声は天の下に満ちぬ。なれば、復讐者よ。暁紅を退け、七河の民が讃える声に答えよ」

 先に呪文を完成させたのは、リースヴェルトのほうだった。杖を掲げると、その先端かまぶしく光った。

 エルカが右にからだを傾けた。そのすぐそばを、稲妻が走っていった。

 神官が正面から、呪文の攻撃を浴びた。が、彼は倒れなかった。背を丸め、雷撃に耐えた。からだのあちこちから、白い煙が立ちのぼっていった。

 アシェイラはふたりの攻撃の連係に、目を細めた。まるで、前もって相談していたかのような見事さだった。が、そうではないことをアシェイラは知っていた。

 ふたりが戦場に出れば、いつもそうだった。どんな強敵を前にしても、どちらかが相手に合わせるのではなく、呼吸をぴったりとひとつにして、敵を倒してしまうのだ。

 そのふたりのことを恋人同士のようだと、噂しあう者もいた。

 リースヴェルトにあこがれていたアシェイラはその噂を耳にするたびにひどく胸を痛めたのだけど、こればかりはどうすることもできなかった。それに、あの時はまだ、アシェイラは少女だったのだ。

 頬当ての奥で、神官が目をあけた。エルカを見ると、彼女はそれに笑った。

「無口な男は好きだけどねぇ、会話のできない男は嫌いだよ。人の知らないところでこそこそと、陰口を叩く男もね」

 言うと、エルカは剣で斬りかかった。足もとを攻撃する。

 雷撃を食らい、肩にけがをしているとは思えない動きで、神官が斧を振り下ろした。斧の刃と剣がぶつかり、火花が散った。

 剣を払うのと同時に、神官は左肩のそばに斧を構えた。エルカめがけて、叩きつける。

「がっ、あ!」

 エルカが階段に、片足をついていた。背を低くしている。

 エルカは剣で斧の柄を受けていたのだけど、刃を完全にかわすことはできなかったようだった。斧の刃がエルカの右肩に食い込んでいる。

「エルカ!」

 アシェイラは悲鳴に近い形で、叫び声をあげた。

「大丈夫です」

 耳もとで声がした。ふわりと、アシェイラの頭に手が置かれる。

 アシェイラは相手の顔を見上げた。

「ペールシード師……」

 ペールシードはにっこりと、アシェイラに微笑みかけてきた。

「ふたりの実力なら、あの男に負けることはありません」

 ペールシードはアシェイラを落ち着かせようとして、気休めを言っているのではなかった。エルカとリースヴェルトの師としての誇りが、彼女にそう言わせているのだった。

 ペールシードは戦士でも魔術師でもないのだけど、彼女が有望と認めた者——たとえば、エルカやリースヴェルトなどに、その広範囲に渡る知識と技術を授けるようにしているようだった。

 アシェイラもペールシードから教えを受けていたのだけど、魔術に関しては才能がないみたいだった。呪文が記された古文書や古代語などは理解できるのだが、魔術を使いこなす時の基本となる魔力がどうしても、芽生えることがなかったのだ。

 が、そのペールシードがエルカとリースヴェルトが負けることはないと言っているのだから、それに間違いはないのだろう。アシェイラは足もとでおとなしくしているグレイをなでてやりながら、戦いを見守った。

 神官が斧を振り下ろした。

 エルカは斧の攻撃を、すれすれのところでかわした。彼女の右の足もとにずしんと、斧の刃が落ちた。

 エルカが剣を振った。その攻撃は神官の金属よろいにはじかれてしまったが命中した瞬間、ふたりの間で銀色のまぶしい光が奔った。

 光が見えなくなっても、エルカと神官の位置は変わらなかった。でも、神官は少しよろめいているようだった。足もとが安定していない。

 エルカがもう一度、神官に斬りかかった。

 神官が身を引いた。何とか斧で、剣を払う。

 しかしエルカはそこで、剣を引かなかった。さらに前へと踏み込む。斧の柄にそって、剣を走らせた。胴をなぎ払うと、エルカは神官の左横を抜けた。

 エルカの背後で、神官が斧を落とした。派手な音をたてて、階段の下へとすべり落ちていく。

 神官は二歩、三歩とよろめきながら、からだを回転させた。そして、背中から引っぱられるようにして、階段の踊り場から落下した。石畳に叩きつけられた。

 しばらくその場は、時間が止まったようになった。だれも、ひと言も口にしなかった。「お見事」

 ペールシードが拍手をすると、それをきっかけにして中庭にいる戦士たちが声をあげた。

「ガーグセーフ・エルカ!」

「ヤー、ヴィゼ! ヤー、ヴィゼ・ファルファレル!」

 それまで、戦いを見守っていた神官たちがいっせいに階段を駆け降りてきた。エルカに襲いかかる。が、すぐにファルファレル軍の戦士たちがエルカに合流した。たちまちその場に、戦いの音が満ちていった。

「終わりましたね」

 ペールシードが長いため息のあと、つぶやくように言った。アシェイラの肩を軽く叩くと、中庭から引き上げていった。

 アシェイラはペールシードの背中を見送ると、神殿を振り返った。

 神官たちにはもう、ファルファレル軍の戦士たちを押しとどめるだけの力は残っていないようだった。戦闘は階段からかかかその奥にある塔、そして回廊へと移っていた。

 ——終わりましたね。

 ペールシードのことばがアシェイラの耳に長く、残っていた。

 アシェイラは額の上に手をかざし、暮れかけの血のように赤い太陽を見上げた。風はほとんどなく、塔の上ではためいていた神官軍の旗がだらりと、垂れ下がっていた。

 アシェイラは額の上にかざしていた手で剣の柄をつかむと、鞘から走らせた。グレイとともに、アシェイラは階段を駆け上がっていった。

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