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炎鎖のアシェイラ ~剣の輪舞  作者: なりちかてる
剣光の章
2/21

春陽の午後

 朝の眠りは浅く、深い眠気を払っただけ、というものだった。それでも、戦が近づけば気分が高まり、頭のなかがはっきりとしてくる。

 それでも意欲が出ない時は馬に乗ったり、戦士仲間と剣を振ったり、食事をとったりすれば自然と気分がほぐれてくるのだけど、今日ばかりは何をしても、落ち着くことはないみたいだった。

 もちろん、それは最後の戦いが迫っているからなのだけど、頭ではそれがわかっていても、彼女にはそれをどうすることもできなかった。

 そして、今。アシェイラはゆるやかな斜面にかかる岩のひとつに腰を下ろし、剣の手入れをしていた。

 アシェイラは十七歳で、まだ幼い顔つきをしていた。が、剣に注ぐまなざしは真剣で、あまりその年齢を感じさせなかった。くすんだ茶色のチュニックとズボンに包まれたからだは背の高さの割にほっそりとしていて、そのせいで少女というよりは少年のような印象を与えていた。黒い髪を首筋が見えるか見えないところで切りそろえているのでますます、その印象を強いものにしていた。

「……よし」

 アシェイラは剣を一度、鞘に収めると、軽やかな立ち上がった。柄に手をかけると流れるような動きで、すらりと剣を抜いた。

 ——右手は剣の重さを支え、左手はそっとそえるだけ。

 それはアシェイラがはじめて剣を握った時、エルカから教えられたことだった。基本中の基本だけど、今日が最後だからこそ、確認することに意味がある。

 アシェイラは目を閉ざすと、敵の姿を想像した。自分とそう違わない年頃の戦士だ。が、アシェイラのような女性ではない。男の子だ。

 目を開けても、その戦士は消えることはなかった。アシェイラが剣を構えると、鏡でも見ているみたいに相手も剣を構えた。斬りかかってくる。

 剣が正面からぶつかる。火花が散った。が、アシェイラは下がらなかった。剣ごと、からだをぶつけるようにする。

 相手がたまらず、後ろに下がった。アシェイラは、その時を待っていた。剣を振り上げ、そして肩口から脇腹へと、斬りつけた。

 アシェイラは剣を下げると、息をついた。

 不意に、後ろから拍手の音が聞こえてきた。びっくりして、アシェイラは背後を振り返った。そして、微笑みかけた。

「——リースヴェルト」

 リースヴェルトは鎧を身につけず、剣を腰に帯びていないことからもわかるとおり、魔術師だった。が、ただの魔術師ではない。部隊と行動を共にする魔術師たちをたばねる立場にあり、軍議ではいつも、中心的な役割を果たしてきた。魔力もかなりのもので、彼の呪文の力がなければアシェイラたちは今日この日、この場所に立つことすらできなかったはずだった。

 魔術師というと黒いローブを頭からかぶったおじいさんを頭の中に浮かべてしまうのだけど、リースヴェルトは違っていた。三十七歳とアシェイラより二十近く年上なのだけど、その年齢よりずっと若く見えた。

 背は高く、戦士ほどではないのだけど鍛えぬかれたようなからだつきをしている。そこにいるだけで華があり、特にその声には人の注目を集めずにはいられない響きがあった。肌は白く、アシェイラがうらやましくなるほど艶があり、たまごの薄皮と同じくらいの透明感があった。

 今日のリースヴェルトは足もとまでの長さがある銀色のローブを身につけ、様々な色の飾りひもで腰のところを巻いていた。肩にかけているのは袖なしのマントで、ひじが隠れるくらいあった。

「驚かせないでよぉ」

 アシェイラはそう言うと、剣を鞘に収めた。ちょっと怒った顔で、リースヴェルトをにらみつける。

「すみません。つい、感心してしまったものですから」

「感心? 感心って?」

「ここまで貴方の剣の才能を育て上げた、エルカの手腕にね」

 エルカとは、アシェイラの育ての親がわりの女性だった。

 アシェイラに、親はいない。ものごころがついた時、そばにいたのがエルカで、アシェイラに生みの親に関する記憶はいっさいなかった。

 エルカの話によれば戦場で泣き叫んでいた赤ん坊がアシェイラで、その時から今日まで、生みの親のことは何も知らずに育ってきた。けど、そのことをこれまで、不満に思ったことはなかった。

「えー? あたしじゃなくて、エルカに感心してるの? ひどいなー」

 アシェイラがそう言うと、リースヴェルトはあはは、と笑った。

「でも、どうしたの? 戦いの前はいつも忙しそうにしているのに、今日はのんびりとしているんだね」

 アシェイラはわざとまじめな顔をして、そう聞いてみた。

「のんびりとは、していないのですけどね」

 すると、リースヴェルトは苦笑めいた表情を浮かべた。

「どうですか。エルカやペールシード師が貴方のことを呼んでいるのですが、こちらへいらっしゃりませんか」

「エルカやペールシード師が? うん。行く、行く」

 アシェイラはリースヴェルトについて歩き、丘のゆるやかな斜面を横切っていった。

 午後の日差しは暖かだった。一面の銀世界は消え、斜面は緑の葉で覆われている。けど、風はまだ少し、冷たいようだった。風が吹くたびに、ひんやりとしたものを感じてしまう。でも、長い冬の末にやっと訪れた春だ。斜面を駆け回って、歌声を張り上げたい気分になる。

 ——こんな時でなければ、だけど。

 もうすぐ、戦いがはじまる。そして、その戦いはこれまで以上に激しいものになる。そのことだけは、疑いようがなかった。

 リースヴェルトが通りかかると、斜面のあちこちにいる戦士たちが声をかけてきた。戦士たちは様々で、壮年の男もいるし、老齢の古参兵、少年と呼んでいいくらいの年頃の若者もいた。そのなかにはアシェイラの知っている人もいるし、数回、話をしただけの人も、または見たこともないような者もいた。だけど、その人たちが皆、リースヴェルトにあいさつをしてくるのだ。そのことに、アシェイラは自分のことのように誇らしい気分になった。

 エルカたちがいるところはすぐに、見つけることができた。そこだけ、あまり人が集まっていない。エルカとペールシードのために、場所をあけてくれているのだ。

「連れて来ましたよ」

 リースヴェルトのことばに、ペールシードがうなずいた。アシェイラに座るよう、手を差し出した。

 ペールシードは足首まであるチュニックに短いコートを着て、腰のところに帯を巻いていた。マントは肩を包む形のもので、喉の下あたりで円板型のピンで留めていた。

 ペールシードのことを紹介しようとすると、アシェイラはどう説明していいか、困ってしまう。とにかく、謎めいた存在なのだ。

 リースヴェルトも外見から年齢がわからないところがあるのだけど、ペールシードはそれよりさらに上をいっていた。確実なのはエルカやリースヴェルトよりも年上、ということだけで、性別すらはっきりと言い切ることができなかった。アシェイラは女性と思っているのだけど、今までそのことを正面から聞いてみたことはなかった。

 軍のなかでも特別な地位にあり、その発言は常に重要視されていた。ペールシードに反感を抱いている者はひとりもおらず、意見が衝突している時もペールシードのひと言で話し合いがまとまる、ということも一度や二度ではなかった。時々、姿を消してしまうことがあるのだけど、それにも何か意味があるのでは、と思わせることがあった。

「何をしてたんだい、アシェイラ」

 草の上に腰を下ろすと、エルカが話しかけてきた。肩に腕をかけ、よりかかってくる。

 エルカは——こういう言い方をすると怒られてしまうかもしれないけど、外見や気質について言うと、リースヴェルトやペールシードよりもずっと、わかりやすいものを持っていた。というより、リースヴェルトやペールシードのほうが特別なのだけど。

 エルカは三十九歳。軍と行動を共にする人間としては中堅を飛び越えて、かなり上の年齢に属することになる。が、体力は若い者と比べても決して負けていないし、戦士としても頼りにされているところがあった。

 女性としては大柄で、男性と並んで立っていてもまったく、違和感がない。顔立ちは濃く、目も鼻もはっきりとしていて、殴っても崩れたりしないのではないか、と思わせるところがあった。いつも、どんな時も陽気で、彼女といっしょにいると元気を分けてもらえるような気になってしまう。髪はアシェイラと同じで黒く、それをポニーテールにしてまとめていた。

「なーに、エルカ。もしかして、お酒飲んでるの?」

 アシェイラはエルカのからだを押しのけた。エルカは腰まであるチュニックに、詰めものをした上衣と革よろい、それに胸当てを身につけているので、かなり重かった。

「わたしだって、酒くらい飲むさ。これが、最後の戦いなんだからね」

「そんな酔っぱらって、戦えるの? そのくらいにしておいたら」

 アシェイラは手をのばし、エルカの手から杯を奪った。

「はいはい。アシェイラはわたしの母親より、うるさいね」

 エルカがそう言うと、リースヴェルトが咳払いをした。エルカをにらみつける。

 親のいないアシェイラの前で、母親なんてことばを使うな、ということなのだろう。だけど、アシェイラはそんなことをされると逆に、悲しくなってしまう。

 親がいない、ということがどういうことなのか、アシェイラにはよく、理解することができなかった。

 いつだってエルカがそばにいてくれたから、さびしい思いをしたことはなかったし、最初から親がいないのだから同情されても、比べようがないのだ。

 そのことについてアシェイラを一番、わかってくれるのはエルカだった。気兼ねされたことが、ほとんどなかった。

 アシェイラはエルカが口にしていた杯が、ちょっとおかしいことに気がついた。杯に満たされていたのは透明な液体で、ぶどう酒でも麦酒でもなかった。

「あれ? これって——もしかして、水?」

 アシェイラがそう言うと、エルカが豪快な笑い声をあげた。手を叩く。

「な? だから言っただろ。絶対、だまされるって」

 エルカがリースヴェルトにウインクした。

「もう! そんなことをするためにわざわざ、あたしを呼んだの?」

「そうですよ。あまり、趣味がよくありませんよ。エルカ」

 ペールシードが口調は静かながら、とがめるように言った。

 エルカが肩をすくませた。

「ペールシード師。そうではありません」

 リースヴェルトが言った。アシェイラの顔をじっと見る。

「アシェイラ。貴方、朝からずっと、感情を高ぶらせていたでしょう」

「え——あたしが?」

「ごまかしても無駄ですよ。といっても、それに気づいたのはわたしではなく、エルカなのですがね」

 目が合うと、エルカは笑いかけてきた。

「これでもわたしは、あんたの母親がわりだからね」

「父親の間違いじゃないの?」

 アシェイラがそう言うと、エルカが腕をのばしてきた。首を腕でがっしりと締められ、頭と頭がごつん、とぶつかった。

「あんたの気持ちはよく、わかるよ。わたしだって、落ち着かないんだからね」

「……そんなに繊細には、見えないんだけど」

 エルカが腕を解いた。顔を離すと、指でアシェイラの額をはじいた。

「ちゃかさないの。いいかい? こういうことはね、頭で考えたってどうにもならないんだ。それは、あんたにもわかるだろう?」

「う、うん」

「だったら、この状況を楽しむんだね」

「状況を楽しむ?」

「普段ならどんなに努力したって、こんな落ち着かない気分にはなれないだろう」

「それは——そうだけど」

 アシェイラがそう言うと、エルカに背中を思いっきり、どやしつけられた。

「あとは——流れに身をまかせることだね。それと、自分の存在はちっぽけだと思うこと。無理せず、自分のできることを果たせば、きっと生き残れるはずさ」

「そう。一番重要なのは、生き残ることですからね」

 ペールシードのことばに、アシェイラはこくりと、うなずいた。


   ◇     ◇   ◇


 サードレード市をめぐる戦乱はもう、二十年近くに渡っていた。

 そもそもの戦いのきっかけは王が後継ぎを決めることなく亡くなったことなのだが、それ以前から争乱ははじまっていた。

 サードレード市はネスキア同盟の都市国家としては珍しく、神官の力が強い都市だった。歴代の王ですら、神官たちに意見することができず、名目上のものでしかなくなっていた。

 が、その神官たちから権力を奪取し、サードレード市を本来の姿に戻そうとした王がいた。それが、ウーリアス王だった。ウーリアスは考えを同じくする仲間たちを集め、神官たちを市から追放しようとした。その動きはサードレード市が支配する周囲の町にも伝わり、武力闘争へと拡大していった。いくつかの町では神官たちの影響力を完全に取り除くことに成功した。

 しかし、ウーリアス王の命運もそこまでだった。王が病で亡くなったのだ。さらに王には妃と生まれたばかりの子供がいたのだが、そのふたりも王の死と同時に、行方不明になっていた。

 公式にはそうなっていたが、サードレード市の人間は誰ひとりとして、そのことを信じる者はいなかった。王は神官たちに毒殺され、妃と子供もどこかに連れ去られ、暗殺されたのだと。

 王の死により、神官たちに対する武力闘争も終息するように思われたが——そんなことはなかった。王の個人的な相談役だったペールシードはその遺志を受け継ぎ、武力闘争を継続させたのだ。

 そして、現在。ペールシードたちは戦いを有利に進め、サードレード市を完全な包囲下に置いていた。


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