剣戟の森
エルカは歯を食いしばった。そうしないと、彼女の怒りは呪いの言葉となり、目の前にいる相手に向かって噴き出して来そうだった。
「リースヴェルト!」
が、エルカはついにこらえきれず、男をにらみつけた。剣を握る手に力を込めた。
「何故だ! 何故、このようなことをする!?」
リースヴェルトは数歩先の岩の上にいて、エルカを見下ろしていた。が、その顔に表情はなかった。恐れも嘲りも、憎しみすらもない。黒の瞳はただ静かで、エルカのすることを汚らわしいものでも見るように、見つめていた。それがさらに、エルカの怒りを増した。
岩の上にいることが、リースヴェルトにとっては救いであった。そうでなければ、エルカは今すぐにでも彼を切り捨てていたはずだった。
「知れたこと」
リースヴェルトはいつもの柔らかな、静けさのなかで鈴のように響く声で言った。
「こうなることは最初から、決められていたこと。わたしはただ、その決められていたことを実行しているに過ぎません」
「しかし!」
エルカは怒りのあまり、自分の頭がどうにかなってしまいそうだった。言葉がなかなか、出てこない。
「どうして今さら、アシェイラを巻き込む?彼女はもう——」
「戯言は聞きません。エルカ、わたしは以前から貴方と、正面からやり合いたかったのですからね。その楽しみを奪わないでくださいよ」
エルカは首を横に振った。
「……わかった。これ以上は、何も言うまい。だけど、わたしも全力を出させてもらうよ。アシェイラを守るためなら、たとえあんたでも」
そこで、エルカは口もとを引き締めた。リースヴェルトを見上げる。
「……殺す」
そのひと言で、エルカはふっきれたみたいだった。
目の前にいる男は敵。彼女はそれだけを、考えた。剣を握る手に、かつての感覚が戻ってきた。——何人もの人間を死に追いやってきた、その感覚が。
「いやぁぁぁぁぁああ!」
エルカは叫び声をあげながら、走った。リースヴェルトの立っている岩まで迫ると、手にした剣で足元を払った。
リースヴェルトが跳んだ。後ろに下がる。
エルカは舌打ちをした。岩を乗りこえると、リースヴェルトを追った。
黄昏時を過ぎ、そろそろ日が落ちる頃といっても、森の中の暑気はまだ、完全に去っていなかった。葉を揺らす風も、湯につかっているように生暖かい。
——いた……!
風の中を泳ぐようにして走りながら、エルカはリースヴェルトを見つけた。
夕方の、煙るような日の光が地面の上に、まだら模様を作り上げているところだ。どういうつもりか、木を背後にしている。
「風の中を行く駿馬は空界の諸々の道を駆ける。全天を覆う雲海すらも、風は吹き払う。曙光を地上に届けるがために。なれば——」
リースヴェルトが呪文を唱えはじめた。
エルカは足を急がせた。
ふたりの戦いに決着がつくのだとしたら、それは長々とした戦いの末ではない。剣による一撃か、呪文による攻撃か、そのいずれかが相手に叩きこまれた瞬間に決まる。
「はぁあああああ!」
エルカは剣を振り上げた。切りかかる。
——かわされた!
エルカは剣を振り下ろしたが、逃げられた。切っ先がリースヴェルトのローブを切り裂いたが、かすり傷を負わせた程度だろう。手ごたえがない。
木のせいだ。剣が勢いで木に食いこまないように、力を加減してしまったのだが、リースヴェルトはそれを狙っていたのだろう。ふだんのエルカの力なら、剣はリースヴェルトに重傷を負わせていたはずだった。
「風の駿馬よ、雄々しきその力を我の前に示せ。雷が悪魔を撃ち据えるが如く」
リースヴェルトの呪文が完成した。手をさっと振る。
突然、風が吹きつけてきた。息ができないほどの風だった。その風にナイフもいっしょに舞っているように、エルカの体に傷が次々にできていった。痛みが全身に走る。
「が! あぁあああああ!」
エルカは声を張り上げ、剣を振った。すると、風が止んだ。木の葉や枝、草をくっつけたままの土などがいっせいに下に落ちる。
エルカは肩で息をした。リースヴェルトの呪文を払うのには成功したが、エルカ自身は立っているのがやっとの状態だった。
鎧を身につけずに、リースヴェルトの呪文を正面から受けたのだ。見下ろさなくても、どれほどの怪我を負っているのか、エルカにはわかった。靴は血でぬるぬるとしているし、肩や背中、腕はちょっと動かすだけで鋭い痛みが突き抜け、チュニックも血を吸って重くなっていた。
リースヴェルトが右手を上げた。
「闇の王よ、汝が鍛えし鋼の魔力を我は呼ぶ。冷えたる黒鉄の力をいざ、示せ」
リースヴェルトの手の中で、稲妻が光った。その稲妻が黒くなり、剣の形になるのをエルカは絶望的な思いで、見つめていた。
彼が召喚した剣は上古の魔術師が邪神の落とし子と戦った時、その強大な魔力をもって封じた、伝説の武具だった。エルカはその剣のたったひと振りで、津波のように押し寄せてくる騎士団を全滅させたり、強固な砦の鉄の門を打ち破っているところを、実際に目にしていた。その剣が出てくれば戦いが終結することから、友軍からは終局の剣、敵軍からは呪われた殺戮剣と呼ばれていた。
——その剣を、このわたしが向けられるとはね。
エルカは痛みを顔に出さないようにこらえながら、足を前に進めた。剣を構えなおす。
「ほう……」
と、エルカは感心したように、灰色の瞳を細めた。口笛を吹くように、唇をすぼめる。
「魔術師のあんたが剣での勝負を挑んでくるとはね。わたしの得意技に跳びこんでくるってことは、わかっているんだろうね」
「今の貴方になら充分、勝負になると思いますが」
……すべて、お見通しってことか。
エルカは苦笑した。それから、剣を頭上高く掲げた。
「甘く見るんじゃないよ。これでもわたしは、剣士だよ。どんなに優れた剣を使っていたって、剣はただの道具。それをどう使いこなすのか、見せてもらおうじゃないか」
しかし、エルカが今言ったことはすべて、こけおどしだった。この状況をひっくり返せるような秘策はないし、剣を頭の上に構えていることだって、特に意味はなかった。
——それでも。
エルカは歯を食いしばった。
——ここから先には行かせない。アシェイラを守るためにも。
エルカの足の下で、木の葉がざりっと音をたてた。そのまま、ゆっくりと体重を移動させた。深呼吸をする。
その時だった。背後から、だれかがこちらへと駆けてくる音がした。
「エルカ!」
息が止まった。それは今一番、聞きたくない声だった。
「来るな! ……来るんじゃない」
振り向かずにアシェイラにそう言うのが、エルカにできるやっとのことだった。
「エルカ! エル——」
エルカからそう離れていないところで、アシェイラの足が止まった。見ないでも驚いているのが、気配から伝わってくる。
リースヴェルトが動いた。切っ先をこちらに向け、エルカに走り寄って来る。
考えるより先に、体が動いていた。剣を振り下ろす。
が、それはリースヴェルトの肉体を捉えることはなかった。地面を叩く。
悲鳴が聞こえた。視界が真っ暗になる。後ろに足をついた。
エルカは目を開けた。と、剣が目に入ってきた。リースヴェルトの剣。それが、エルカの腹部を貫いている。
痛みはなかった。苦しくもない。ただ、眠気を強く感じた。まぶたが今にも、落ちてきそうだった。
目を上げると、すぐそばにリースヴェルトの顔があった。リースヴェルトは目を見開いて、彼女を見ていた。とどめを刺すでもなく、その場にじっとしている。
エルカは自分の分身である剣を捨てた。からん、と乾いた音をたてた。
「リース……ヴェルト」
抱きつくと、エルカは彼の耳元にささやいた。リースヴェルトが彼女を抱きとめようとしたが、エルカはそれに構わず、体を預けていった。共に倒れた。
「アシェイラ! 逃げろ」
エルカは最後の力を振り絞って、そう叫んだ。リースヴェルトを逃がすまいと、しがみつく。
返答はなかった。が、すぐにアシェイラがその場から駆け出していく音が聞こえてきた。
——これで、いい。
エルカは乱暴に、体が放り出されるのを感じた。目を開けても、もう何も見えなかった。指先をのばしてみても、感じない。
アシェイラを最後まで守ってやれなかったのは悔いが残るが、それでもやるべきことはやった。
エルカは意識を失う前に、遠く離れた故郷の小川のせせらぎの音を耳にしたような気がした。
どうも、はじめまして。趣味で小説などを書いている、なりちかてるです。もともとは、オフラインの同人サークルなどで作品を発表していたのですが、サークルがなくなるなどしてしまいましたので、「小説家になろう」に流れてきました。書いているジャンルはライトノベル中心ですが、その他のジャンルにも手をのばしてみようかな、と思っているところです。はじめは、以前サークルに投稿していたものや、サークルに中途まで投稿していたものが中心になると思いますが、読んでいただけると、幸いです。それでは、また。