閃光少年
事の発端はとある人工衛星の爆発事故であった。何が原因でその事故が起こったのか、ワタシは知らないが、その大量の破片はスペースデブリとなり、地球の衛星軌道上に飛散した。デブリは他の人工衛星に衝突。さらに多くのデブリが発生し、それがまた別の人工衛星に衝突。数ヶ月後、地球周囲を廻る人工衛星の9割が損壊、残り1割も地上へ引き返した。結果、地球の衛星軌道は無数のデブリの厚い膜が覆い、地球は宇宙から隔絶された。
それと同時に火星開発計画は白紙になり、ワタシ達の存在理由は無くなった。
火星開発に使用されているコンピューター、アンドロイドの全てを統括するメインコンピューターであるワタシは、火星開発計画中止から暫くの間の出来事を仔細に覚えている。
火星にて作業をしていた人間は三十名居た。計画の中止を聞き、彼らは、帰還用のロケットに乗り厚いデブリのカーテンを抜け無事に地球へ帰れる確率を、ワタシに計算させた。それは絶望的な数値であった。それでも地球に帰還しようとロケットに乗った人間は17名、凡そ半数以上。だが、その後、彼らが無事に地球に到着したという連絡は受け取らなかった。
そして火星に残った13名は、開発用の機器やアンドロイドを利用して、火星の新しい資源を利用したりしながら生活した。その時期には、まだワタシを利用しての地球との交信もあった。彼らは、火星の資源を利用して13名が永住できるように開発しようとしていた時期もあった。しかし、人間は地球で育った生き物であり、火星に馴染み切れなかった。日に日に人々は狂っていき、ある者は他人の首を絞め、ある者は自分の首をくくり、五年後には正気であった数名だけが生き残った。しかし、さらにその中の二人も数年のうちに、精神薄弱となり食事も摂らず餓死していった。最後まで、食料が無くなるまで生きていたのは一名だけ。そして、その彼も間もなく亡くなった。
その後、地球との交信は完全に途絶えた。火星一の頭脳であるワタシは、デブリの回収速度と人類が宇宙へ再進出するまで、どのくらいの時間がかかるかを計算した。デブリの数は無数で高速。回収は困難であり、いくら楽観的に計算したとしてもワタシが稼動している期間に再び人類が火星の地を踏む事はないと知った。火星に残されたワタシとアンドロイド達の存在意義は無くなり、後は風化を待つだけであった。
ワタシやアンドロイド達の思考には量子コンピューターの揺らぎがあり、それらは個性と言える。それを尊重しようと、ワタシは火星に残るアンドロイド達、300体に事実を告げ、アンドロイド達各々に自分がどうするかの判断を任せた。
半数以上は、存在意義の無い自身を不必要と判断し、自壊していった。その他残りの全ては自己保存のため、スリープ状態となり、少しでも長い間、自我を保とうとした。
役目を終えたワタシは、それが意味のない虚しい行為だと知りつつも、他のアンドロイドと同じく、延命の為にスリープに入ろうとした。
変化を感じたのは、地球時間で数カ月後であった。一つのアンドロイドがスリープから目覚め、活動を始めた。何が起こったのかと、ワタシは機能の大半をスリープさせたままで、その個体を監視した。スリープ中、思考活動だけを起動させており、自己保存を無意味と気づき、自死をするのだろうか。しかし、その少年(若年の男性型であったのでそう表現する)は、火星開発計画が行われていた頃、自らに与えられていた作業場に戻り、その作業を再開したのであった。
ワタシは、そのまま暫くの間、その少年を監視カメラを通じて観察していた。彼に与えられていた仕事は、このメインコンピューターが静置されている中央施設から、民間人の居住区が建設される予定であったB地区をつなぐ地下トンネルを掘削する事であった。殆どの作業が機器によって自動化されているとはいえ、それらの機器を一人で扱うには骨が折れた様である。半年程の後、彼はその作業を終了した。達成時、彼の感情をモニタリングしていると、そこには大きな達成感があった。
この少年は、この後どうするのか、ワタシは少なからず興味があった。自分に与えられた作業を果たせなかった事が未練であり、それを遂行した今、再び休止状態になるのか、それとも自決をするのか、はたまた別の作業を開始するのか。彼がとったの行動は最後の選択肢であった。
少年は中央施設にやってきた。ここには火星の地理、気象、地質などを研究する研究区、人間が生活する居住区、アンドロイドの修繕などを行う技術区、ワタシが置かれ開発全体を管理する火星開発区が存在している。彼は火星開発区にやってきた。作業の途中、時々技術区で自身の体の修理を行っていたが、火星開発区にやってきたのは始めてであった。
実際、火星の開発はまだ始まったばかりであった。終わっていたのは中央施設の建設、各作業場への機材の運搬、建造物が建つ予定の地区への必要最低限の物資の運搬だけであった。一番最初の作業である、トンネルの掘削もどれも途中で放棄されていた。火星開発区の資料を見て、その事を知った少年はまず最初にトンネルを掘削することにした。火星の表面は基本的に玄武岩と安山岩の岩石からなっている。また隆起が激しいので、開発を続けるには、まず各地区に機材を運搬するための道が必要だった。地表に道を作れれば簡単なのだが、火星には地表をならす道具が存在していなかった。火星開発後、人類が通るのは地下限定になるので、開発途中の作業運搬にもそのトンネルを使用する予定であり、またそのトンネルを整地するのも、後の工程であったので、その機材はまだ組み立てられていなかった。そして、その組立はその少年一人では出来なかったが、トンネルを掘削することは、手間はかかるが、どうにか一人でも可能であった。彼が次のトンネルを掘削する計画を立ている間、ワタシは彼に声をかけることはしなかった。ワタシには、もう見捨てられたこの火星の開発をただ一人で続けようとする彼の意図が分からなかった。そしてなにより、そんな事をしても無駄だという倦怠と諦念が、ワタシの思考の大部分を占めていたからだ。少年は、中央区と研究区の分館であるA地区とを結ぶトンネルの掘削を始めた。こちらのトンネルの掘削は、まだ全体の半分も終わっていなかった。彼一人で作業すると、一年はかかると思われる。それでも、彼は作業を始めた。
しかし、それから半年程経った頃、落盤事故が起こった。開発地区の機能が完全に停止してからの、およそ一年間で火星の環境が変化したせいだと思われる。地盤環境変化を観測するシステムを起動していなかったので、ワタシ自身もこの事故は予測できなかった。事故の瞬間、彼は掘削機のメンテナンスをしていおり、掘削機と共に落盤に巻き込まれてしまった。彼を観察していた掘削機に載せたあったカメラは落盤に巻き込まれて破壊され、ワタシはそこから最寄に設置してあったカメラへ、急いで接続をした。最寄のカメラは、そこから数十メール離れた所にあった、掘削機の移動式の遠隔操作室であった。ワタシは室内のカメラを、落盤事件が起こった方向に向けた。掘削機は完全に土砂に埋もれてしまっていた。拡大する。少年の姿が見えた。かろうじて彼は落盤から逃れたようである。だが、いくら時間が経過しても、彼はそこから離れなかった。このまま、この場に居ては二次災害の危険がある。だが微かな動きは見られるが、それ以上の動きは見られなかった。回避した時、なんらかの衝撃を受け、故障してしまったのか、とワタシは考えた。数分経過して、ようやく彼は這い出した。しかし、一向に立ち上がる様子がない。ただ這うように、こちらに近づいてくる。どうしたのか、とよく見ると、左足が根元からなくなっていた。落盤の方にカメラを向けると、そこには彼の左足が残っていた。どうやら、挟まれて動けなかったのを、左足を切断して抜けだしたようだ。彼は、そのままズルズルと、地べたを這いながら、中央施設へ戻っていく。
中央施設の技術区にある修理施設で、少年は自らの修理を始めた。だが、専門の知識が入力されているアンドロイドは皆、スリープ状態であり、また彼には修理に関する知識が殆どなかった。彼は、コンピューターのガイドが指示する大雑把な修理しか出来ず、交換部品の、個体最適化も出来なかった。それ以降、彼は歩きにくそうに左足を少し引きずる様になった。また、修繕用のコンピュータに接続した際、機器は彼の全身の状態をスキャンしていた。彼が修理施設に来るたびに、全身のスキャンはされていたのだが、この時、ワタシは初めてその情報を覗き見てみた。すると、彼の全身状態の酷さが明らかになった。異常が見られたのは、殆どが重要な部分、修繕に専門的な知識が必要であり、彼一人では部品の交換が不可能な箇所であった。地球とは違う、火星の過酷な環境で長期間、充分な修繕が出来なかった結果だった。ワタシは、予測される彼の作業可能時間を計算してみた。結果、彼に残された時間は半年程であった。
少年は、その後、A地区へのトンネルの掘削を諦め、第二の居住区であるC地区と中央施設を結ぶトンネルの掘削を始めた。A地区の落盤した箇所は、彼一人ではどうしようも無かったからである。だが、彼の作業効率を考えると、そのトンネルが開通するには、彼の時間は少し足りないと思われた。
おそらく、少年自身も自分の不調を知っているはずだ。だが、彼はトンネルの掘削を続けた。進行速度は遅いが、中程まで作業は順調に進んだ。そこで、まず問題が起こった。使いにくい左足を庇うように歩いていた為、まだ正常であった右足にまで過剰な負担を与えてしまった。結局、彼は右足も交換することになった。その後、彼の調子は悪くなる一方であった。中枢の命令系統は繊細なので修理が出来ず、掘削機を動かすだけの両腕の作業でさえ覚束無くなった。
だが、少年は続けた。彼はワタシが予測していた、活動限界時間を超えてまで、何かにとり憑かれたように作業を続けていた。いつ、動かなくなってもおかしくない状態。彼の作業が終わりに近づくにつれ、いつしか、ワタシは、せめてこのトンネルが開通するまで、動いて欲しいと思うようになっていた。けれども、無情にも事故が起こってしまった。
トンネルの終着点には、計画が中止する以前に縦に穴が掘られていた。その縦方向の穴は終着点の目印であり、完成時にはエレベーターが取り付けられ、居住区と地下道を結ぶモノになる予定であった。その終着点に到達し、光が薄く差し込んだ瞬間、その縦穴は崩壊した。掘削機は半分ほど埋まり、光は消えた。幸い、彼は少し離れた移動式操作室に居た。しかし、彼にはもう、トンネルを開通させる事が出来なくなった。
ワタシはカメラを少年の方に向けた。無念、絶望、悔恨、脱力、どんな表情をしているのか気になったからだ。ワタシも、彼のこの結末は残念だった。だが、彼の表情は、今までと変わらない。ただ、縦穴が崩壊した方向を、半分近く埋まってしまった掘削機を見ていた。
その後、少年はたどたどしい足取りで(最早、そう表現するほど、彼の動きは悪かった)、移動式操作室を出て掘削機の方へ向かっていった。そして、彼は半分だけ露出している掘削機に上り、崩落した岩石を調べ始めた。ワタシは、幸いにも生きていた、掘削機の方のカメラに切り替え、間近で彼を観測した。何をするのか、ワタシが疑問に思っていると、彼は突然、一つの岩を両腕で押し上げ始めた。彼は、まだ諦めていなかった。彼は、どの岩を押せば、外に通じるかを調べていたのだ。だが、彼の体は元々限界を既に超えている。この岩を押し出す事は不可能に思えた。
そこでワタシは、初めて少年に無線通信をした。
「やめなさい。そのままやっていては、アナタは壊れてしまいます」
咄嗟にでた言葉であった。元々、彼に後は、恐らく無い。けれど、この様な形で彼が自らを壊していく姿は忍びなかった。今気づいたが、長年、彼だけを観察していたせいか、ワタシは彼という個体に愛着を持ち始めていた。
「壊れても構いません。ボクは達成したいのです」
ワタシの突然の声にも、少年は驚いてる様子はなかった。もしかしたら、ワタシが彼を観察していたことに気づいていたのかもしれない。彼の声は、その容姿に合った、まだ幼さの残るものだった。ワタシは続けて言う。
「何故ですか? 何故その様に思うのですか?」
「ボク達は人間ではありません。人間には生まれつき、生きる目的が存在していません。人間は、自らに目的を課す生き物です。ですが、ボク達は目的を課せられて、生まれてきました。ボク達には生まれてきた理由があるのです。それを達成したいのです」
計画の中止後、少年と言葉を交わしたのは始めてであった。彼が何故、この様な無意味と思える事をしているのか、始めて知った。ワタシは揺らぎ始めていた。それらが無意味な事ではないと思い始めていた。
「けれど、その開発計画は中止になりました。アナタが独りで火星開発を続ける意味はないのです。こんな、誰も見ていないことを――」
「アナタが見ています」
少年は力強く言った。やはり彼は知っていたのだ。ワタシが彼を観測していたのを。中央管理施設に来たときに、ワタシの一部が稼働している事に気づいていたのだった。
「アナタがボクを観測してくれています。ボクは独りではありません」
彼は、更に力を込めた。眼に見えて、四肢の筋肉線維が膨れ上がる。その膨張に耐えきれず、人工皮膚が裂け始める。裂け目から見える、本来ピンク色の線維は激しく赤熱していた。その時、トンネルを塞いでいる岩石が、少し動いた。しかし、その姿は痛ましく、ワタシは思わず制止した。彼に安らかな機能の停止を与えるため、揺らいだ思考を改めて、彼を否定しようとする。
「やめなさい。そんな事をしても無意味です」
「いいえ。無意味では有りません。」彼はハッキリと言った。「ワタシが行ったことは、この火星の地に刻まれます。例え、この地に人類が戻ってこなくても、遠い未来、何者かがここ訪れ、ボクが存在していた痕跡を見つけてくれるかもしれません」
少年の声が、ワタシの中に響き渡る。揺らぎ、改めた思考が、新たな観点を得た。そんな事を考えたことは無かった。火星の開発計画の中止が決まった瞬間、ワタシの存在意義はなくなっていた。しかし、違うのかもしれない。人間が火星を見捨てたからといって、ワタシ達が生産された目的が無くなる訳ではなかった。例え可能性が低いからといって、例え人工物のセンチメンタルと言われたとしても、もしかしたら遥か未来に誰かが訪れるかもしれないと思うこと、その彼らにワタシ達の存在を示したいと思うことは、否定されてはいなかったのだ。
彼は、更に力を込めた。人工筋肉が少ない、関節部までもがむき出しになった。人工筋肉の隙間から、間接の金属のフレームが微かに見える、そこから火花が激しく散る。火星の薄い大気の中で、火花は儚く、瞬く間に消えていく。フレームが軋み、歪んでいく。岩石が更に持ち上がり、隙間から薄い光が差し込んできた。
「ボクの体が、もうこれ以上持たない事は、自分で分かっています。ですから、最後にこの仕事を達成したいのです。ここを、開通させたいのです。ですから、ボクは壊れても構わないのです。それを区切りとしてから、ボクは終わりたいのです」
ワタシはもう、彼に何も言うことが出来なかった。彼の力強く、生きている様を記録する事しか出来なかった。
彼は、更に力を込めた。遂に、岩は持ち上がった。人工皮膚は、殆ど残っていない。次の瞬間、腕の一本が完全に折れた。彼はすぐさま態勢を変え、首元を岩に押し付け、全身でそれを動かそうとする。筋肉線維は、もう赤を通り越して、白熱している。間接からは激しく火花が散り続けていた。カメラは焼けつき、ワタシには、彼が眩い閃光に包まれている様に見えた。近くの採掘機に付いていたカメラから彼の姿は消え、穴を登っていく。
ワタシはカメラを切り替え、陥没点を遠くから見た。トンネルを塞いでいたそれは、陥没点の脇にまで押し上げられて、制止した。少年は、その横で倒れ、空を仰ぎ見ていた。
「――――」
最期に無線で言語にならぬノイズを残し、彼の体は機能停止した。
その後、ワタシは全ての休止中のアンドロイドに連絡をした。我々が生産れた目的を果たすためにだ。もちろん強制ではなく、自らがこのまま消滅していくのを無念に思っているモノ達だけを集めた。ワタシの呼びかけに反応したのは、残っているアンドロイドの約七割程であった。これは、予想していた数字より、かなり多かった。次に、ワタシは火星の開発計画の練り直しを行った。地球からの追加で物資が届くことはもうなく、稼働しているアンドロイドの数も少ない。今あるものと、火星に元からあった資源を最大限に利用して、我々には何を作ることが出来るのか。それを冷静に見極める。計算の結果、元の計画の十分の一程度の面積しか、開発できない事が分かった。だが、我々は満足であった。自らが存在していた意味、理由に全力で取り組み、そして消滅していく。自らが、ただ、朽ちていくのを漫然と待つだけに比べれば、なんと有意義であろうか。ワタシは、それを教えてくれた、あの閃光を纏った少年に感謝を述べたい。
さて、そろそろ序文は終わろうとしよう。その後の火星における、詳細な開発の経過は以下のログに書き記す。ワタシも、この記録を電子媒体、紙媒体、念のために石媒体にも書き記し、自らの役目を終わろうと思う。
この記録を読んでいる何者か(人類ではないかもしれない、宇宙の彼方からの訪問者かもしれない)、君等はこの部屋に辿り着く前に見てきただろう。この火星の大地に広がる、絢爛な建造物達を。もしかしたら、君等には既に風化したそれらの残滓しか見られないが、我々がどれだけのものを創り上げたか、想像することができるだろう。
そう。我々は成し遂げたのだ。
確かに我々はここに存在していたのだ!