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いったい、どうなっているんだ。
犬?
ふざけるな。人間が犬に生まれ変わった?
ありないだろ。
だいたい、何もかもが理解できない。わからない。
どうしたらいい?
何をすればいい。
学校はどうなるんだ。
俺の生活は?家は?子どもたちは?家族は?
家に帰りたい…。このわけのわからないのを、どうにかしたい。
もう!なんなんだここはっ!どこなんだよ!
そうやって、自分以外のことに考えを巡らすことができるようになったのは、あれから随分と時間が経った頃だった。
とりあえず、落ち着こう。そんなことは、幾度となく自分に言い聞かせたが、できる話ではなかった。
とりあえず、歩こう。人を見つけて、話を聞こう。
自分の状況を無視した結論にたどり着くが、自分が考え抜いて出した答えを、疑うことすらできなかった。
それだけ、心の中で決まると、四肢に力を入れ立ち上がる。
不思議と4本足で歩くのには、困らなかった。最初から歩き方が分かっていたのかのように、違和感なく右前足、左後ろ足、左前足、右後ろ足、の順にスムーズに動いた。
なぜ。どうして。その答えが知りたくて、夢中になって走った。
何か思い出せそうな気がするが、犬になってしまったこのショックが大きすぎて、そのかすかな光が陰ってしまっていて、原因が見えそうでいて、でもどれだけ思い出そうとしても見えてこなかった。
頭を過るのは、このまま犬の姿のまま過ごさなければならないのか、人間の姿に戻れるのか、ということ。そして、子どもたちのこと。
もし、人間に戻れなかったら?
もし、誰も俺がこんな姿になっていることに気付かったとしたら?
もし、もう二度と子どもたちの笑顔を、守ることができなくなったとしたら?
考えれば考えるほど、最悪な方向へと嵌っていった。
動悸が激しいのも、その恐怖のせいで手足が痺れているのも、関係なくただ走っていた。
ときどき、苦しくて立ち止まるが、それもほんの数秒で、ほとんど休む間もなくただ走った。
その方向が、家に続いているのかすらわからない。当然、スマホなんてものは落ちていなかった。太陽も沈みかけている。
でも、現実は残酷で、いくら走っても、人を見つけることも、森の中から抜け出すことすらできなかった。
このまま、この道がどこにもたどり着かず、どこまでも歩かなければならないのかと考えると、それは恐怖でしかない。太陽もほとんど沈み、辺りの景色は、その様を大きく変え、闇を濃くさせた。
ただ走った。前だけを見て走った。足が痛む。血が出てるかもしれない。目が霞む、限界はとっくに越えていた。
いつの間にか休むことも忘れ、獣のようになって、ただ我武者羅に走った。
「はっ、はっ、はっ、はっ――」
息が上がって、のどが焼けるように痛んだ。
びっしょりと汗をかき、耳の中まで湿っている。汗が滴り、目に入る、目が染みる、鼻に入る、息苦しい。
それを確かに感じているはずなのに、気にならない。それらはもう、些細な問題でしかなかった。
瞬きすらしなくなり、目じりから涙が滴る。呼吸がだんだんと浅くなり、頭が痺れる。
でも、足は止まらない。
視界がぼやけ、焦点が合わなくなった。
それでも、ぼやけた視界を頼りにして、走った。
彼を突き動かすものは、恐怖心だけだった。
あれ?
そう思った時には、体が地面にぶつかり、もみくちゃになって、宙に投げ出された。
それでも、身体は前へ進もうともがく。
足が宙を掻く。
やがて、視界が黒くそまり、暗黒の世界がぐるりと回転するような、天地がひっくり返るような感覚と共に、意識が遠のいた。
その時、俺は分かってしまった。
もう、元の生活には戻れないんだと。