第四話
その後、ミールと無事合流できた僕は、今までにないくらいきつく叱られた。そして、無事で良かった、とミールに抱きしめられた。
「心配かけて、ごめんなさい」
しかし、なんとなく、助けてくれた少年のことはミールに言えなかった。転んだときに痛んだ膝は、すりむけてはいなかったが少し赤くなっていたので、それも後で叱られた。
「あなたは女の子なんですよ、痕が残ったらどうするんです」
心配してくれるのはとてもうれしいが、未だに女の子扱いには若干違和感を覚える。それでも、多少は慣れてきた自分の順応性の高さが少し嫌になった。流されて生きている、と自覚はあるが、なんの知恵も力もない自分にはどうしようもないのだ、と心の中だけで言い訳をした。
安宿を見つけ、簡単な食事を取った後、部屋でくつろいでいた僕をミールは自分の隣へ呼んだ。
「ここへ座ってください」
ベッドに座っていたミールが自分の隣をぽんと叩いた。僕は言われるままに、ミールの隣に座った。
「これをあなたに」
ミールが小さな袋を取り出し、僕の手に握らせた。長い紐がついている。
「首に下げて、いつもつけているようにしてください」
「これは、なんですか?」
「お守りですよ」
にっこりとミールが微笑んだ。お守り、ということは、中をのぞいたら効能がなくなってしまうんだろうか。それとも、こちらの世界のお守りは、そんなことはないのだろうか。しかし、中身はなんですか、と聞くほど、気になるわけでもない。結局僕は、ありがとうございます、とだけ言った。
その日は早めに眠ることにした。特に、数日間、ほとんど寝ずに火の番をしていたミールは、すぐに眠ったようだった。しかし、僕はなんとなく眠ることができなかった。こちら、と言っていいのだろうか。こっちの世界に飛ばされてから初めて、大勢の人間を目にしたからか、妙に頭が冴えていた。ミールに買ってもらった花は、夜には萎れてしまった。
「摘んでしまうと、一日しかもたないんですよ」
ミールがそう言ってがっかりする僕を励ましてくれた。
「花祭りの間には、あの花はどこででも売られているんです。・・・そんなに気に入っていたのなら、明日また買ってあげますから」
しかし、僕はいりませんと答えた。綺麗だった紫の花弁が、茶色く縮れていくのを、もう一度見たいとは思えなかった。
宿で出された簡単な食事を取った後、荷物を取りに部屋へ戻った後、ミールが言った。
「今から、私の家へ行きます」
「ミールの?」
「ええ」
そう言ったミールは複雑な顔をしていたので、僕は首を傾げた。家ということは、ミールには血のつながった家族がいるということだ。その家族に会いに行くのに、なぜミールはこんな顔をしているのだろう。僕は不思議に思ったが、なにも言わなかった。
「あなたには、才能があります。ならば、それを正しく扱えるように、きちんと学べる場へ行くべきです。・・・入学するには学校へ手続きをしなくてはいけませんからね」
そこには、あまり気が進まない、と言うニュアンスが混ざっているような気がした。僕は言った。
「ミール、わたし、学校へなんて行かなくてもいいです。ミールに教えてもらいたいです」
休み時間は一人で本を眺めていた、あのだだっ広い教室。戻りたいとは到底思えない、懐かしい風景。ミールがちょっと困ったように首を振った。
「いけません。わたしでは、教えられることに限界があります。それに、学校にはあなたと同じくらいの子どもがたくさんいるんですよ。あなたはいい子だから、すぐにお友達がたくさんできますよ」
ミールがそう言って僕の頭を撫でた。僕は友達なんていらなかった。ミールがいればいいと思った。でも、そのミールが僕に必要だから学校へ行くように、と言うのなら、僕は学校に行かなくてはいけない。
僕とミールは荷物をまとめ、宿を出た。ぴりぴりはしていないが、どこか緊張した面持ちのミールにつられ、なぜか僕まで緊張してきた。そして、今更になって、どうしてミールはあんな森の中に住んでいたのだろう、と思った。町中の喧騒を通り過ぎ、屋敷が並ぶ閑静な通りの石畳の上を歩きながら、僕はミールを見上げた。ずっと朝から歩き度押して、少し疲れていた。普通なら、疲れていませんか、とミールが僕に問いかけてくる頃だった。しかし、そんな余裕もないのか、ミールは黙々と歩き続けてきた。
――家出でもしていたのかな。
家出と言うと、わがままが過ぎた子どもが無計画に家を飛び出す光景しか思い浮かばない。そもそも、こんなに穏やかなミールが、家族とうまくやれていないというのが想像できない。じゃあ、なぜ?疑問は尽きない。
ミールが足をとめたのは、立派な屋敷の前だった。薔薇のような多弁な花々が咲き誇る庭を入って行って、屋敷の扉のノッカーを叩く。ややあって、扉が開かれる。出てきたのは黒い服に身を包んだ、壮年の男の人だった。ミールと同じ、青灰色の瞳に、年齢を感じさせる深いしわが刻まれた顔は柔和そうだった。
「・・・ミール」
男が親しげに呼ぶと、ミールも嬉しそうに言った。
「父様、お久しぶりです」
「ああ、おかえり」
ミールがどれほどの期間、この家から離れていたのか、僕は知らない。しかし、このミールの父親らしき人の反応を見ると、かなり長い間、ミールがこの家に寄りついていなかったのがわかった。ミールが僕の肩に手をまわして、言った。
「・・・折り入ってお話があります」
「ああ、中で聞こう。・・・こんにちは」
「はじめまして、レイと言います」
目線を合わせるように体をかがめながら男が言ったので、僕も頭を下げた。とりあえず中へ、と促され、僕とミールは屋敷の中に入った。すると、玄関の正面にある大きな階段から、妙齢の婦人が僕たちを見下ろしていた。正確には、ミールを見ていた。
「・・・随分、久しぶりに見る顔がありますが」
男とは正反対の、冷たいと表現できるような顔立ちだった。おそらく男と同じくらいの年齢だろうが、すらっとした体型が、年齢を若く見せているようだった。
「ご無沙汰しています、母様」
「・・・そちらの子は?」
「まあお前、とりあえずはどこかに座って落ち着いて話さないか」
男が階下から、夫人をなだめた。
「あなたは黙っていらっしゃってくださいな」
夫人の言葉は鋭い。いつものことなのか、男は肩をすくめた。ミールが僕の肩を抱いて、言った。
「この子を、精霊魔術学校に通わせてやりたいのです。この子には、才能があります」
「突然出て行って、突然帰って来て、いきなりなにを言いだすのかと思えば」
「・・・わかっています」
僕の肩に置かれたミールの手に、ほんの少し力が入った。ミールの顔を見上げると、ミールは夫人の方を見ていた。その顔はつらそうだった。肩に置かれた手に、自分の手をそっと重ねると、ミールが僕を見た。僕はとりあえず名乗るだけ名乗っておかないと、と声をあげた。
「あの、はじめまして。わたし、レイと言います」
「誰があなたの名前を聞きました?紹介もされていないのに、口を開くのははしたないですよ」
「まあ、まあ、お前、そんなにけんけん言うものじゃないよ。とりあえず、ミールも・・・レイも疲れているだろう」
夫人が不愉快そうに言うのを、男がなだめた。夫人は不愉快そうな顔をしたまま、階段を上っていてしまった。ミールが僕を見下ろした。それが僕が傷ついていないか確認されているのだと思って、僕は笑って見せた。
僕とミールは、男に促され、立派な部屋の中に通された。
「お前が出て行ったのは、何年前だったかな」
お茶を用意しながら、ミールがさあ、五年ほど前ですかね、と答えた。
「ああ、そうだった、そうだった」
まるで軽い調子で男は言うが、僕にしてみれば五年なんて気が遠くなりそうな年月だった。自分が五年後なにをしているかなんて、想像さえつかない。
「それで、ええっと、レイ。君は、どこの子なんだい?見たところ、大陸の人間ではなさそうだけれど」
「――父様、この子は森の中に倒れていて、身内もないようなんです」
「・・・ほう」
気の毒に、という様が男の顔にはありありと浮かんでいた。男はタール・シュタインと名乗った。ミールの父親だよ、と僕の頭を撫でた。その名で肩は、確かにミールそっくりだった。そして、話しをしていると、ミールのように穏やかで、ミールよりユーモアがあった。なぜこの家へもどってくることになったのか、ミールが話をすると、学校への手続きは私がしよう、とタール・シュタインがうけおってくれた。