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第一話

朝、目が覚めると僕は起きて台所にある桶を持って外に出た。家は森の奥深くにあり、朝の澄んだ空気と鳥のさえずりしか聞こえない。玄関から出たところで、空を見上げる。ぬけるほど青く、雲は白い。が、太陽が三つ、輝いている。


僕、神木伶は森で行き倒れているところをミールというこの家の家主に男に助けられた。なぜ森なんかにいたのかはわからない。僕は夜はきちんと屋内で自分にあてられたベッドで眠っていたのに、朝、目が覚めると森の中だったのだ。混乱してろくに飲み食いせずに森の中を一日さ迷い歩いて、空腹と疲れで倒れていたところを、たまたま通りかかったミールが見つけて介抱してくれたらしい。助かった、と思えたのは一瞬で、ミールと僕とが使う言葉はまったく通じないことにショックを受けた。更にパニックを起こしそうだった僕を落ち着かせるためか湯あみをさせてもらったら、体が女になっていた。・・・服を脱がなきゃわからなかったのだ。二重の意味でショックを受けながら用意された服を見てみると女ものだった。僕は女ものの服を着ることに抵抗がない。だから用意された服を借りた。

身振り手振り、ジェスチャーでなんとか自分の名前と、帰る場所もわからないことを伝えると、ミールは困ったように眉尻を下げてしまった。この時点で得体が知れないと放り出されても文句は言えないのに、言葉の通じない僕にミールは根気強く向き合い、食事を与え、言葉を教え、その上家族のように僕を扱ってくれた。いくら感謝しても足りないくらいだ。僕がおそらくこちらの常識ではありえないようなことをしても、ミールはけして気味悪がったり叱ったりしなかった。



暦は日本と似ており、三十日で一月、十二カ月で一年。違うところといえば一月はどの月も三十日で数える。ここの数え方で三か月ちょっと、ミールと暮らして理解したのは、ここは日本じゃないということ。正確に言うと、地球でもなく、精霊が存在する、ということだった。



玄関から出てすぐ目に入る井戸の前で立ち止まり、深呼吸する。井戸の淵にそっと手を置いて、水の精霊に呼びかける。

「おはようございます。水を分けていただけますでしょうか」

現れた精霊は、トカゲのような形をしている。力の弱い精霊の姿は、小型の動物の姿のものが多い。トカゲのような姿が空中でくるくると宙がえりをしながら桶の中に水を分けてくれた。位の高いものになってくると人型に近いらしいけれど、たかだか井戸から水を分けてもらう程度ならばそんな高位の精霊を呼びだす必要はない。抱えた桶の中に水を満たしてくれた精霊に、俺がありがとうございますと礼を言うと、返事のかわりか、頬に桶の水が跳んできた。


家の中に戻り、台所で汲んできた水をポットに入れて、火の精霊を呼びだしてお湯を沸かす。その間に、果物籠の中から見た目はオレンジのような、リプと呼ばれる果物をひとつ取り出す。皮が硬いのでナイフで剥き、皮は取っておく。この皮は乾燥させてお茶っぱの中に混ぜると風邪の予防にもなるからだ。みずみずしいピンク色の果肉を切り分け皿に二等分する。お湯が沸いたのでポットの中にお湯と茶っぱを入れ、パンを四切れ、火であぶる。ぎし、と床の鳴る音がして顔を上げる。いったん朝食をつくる手を休め、階段に立つ人物に声をかけた。


「おはようございます、ミール」

「おはようございます、レイ」


眠そうに目を細めたミールは、日本人では絶対にあり得ない銀髪に青灰色の瞳をしている。一見すると冷たそうにも見える容姿だが、浮かべる表情は柔らかく、人を安心させる。


「朝食、もう少しかかる、えっと、かかり、ます?」

「かかります」

「朝食、もう少しかかります」


僕が繰り返すと、ミールは良くできましたよというふうに微笑んだ。それがうれしくて僕も笑みを浮かべる。半年で簡単なあいさつと会話はできるようになった。

お茶をカップに注ぐ。ミールが台所までやってきていつもの席に着いたので、お茶とあぶったパン二切れと剥いた果物をミールの前に並べた。ミールの向かい側に自分の分も置いて、椅子に座る。


「精霊王よ、今日の糧をお与えくださり、感謝いたします」


ミールが厳かに手を組んだので、僕も同じように両手を組んで目を閉じる。日本にいたころには、食事の時にいただきますもごちそうさまも、あまり口にすることはなかったが、ここで暮らすにつれ、毎日食事がとれるということはとてもありがたいことなのだと僕は痛感した。ミールが「さあレイ、食べましょう」と声をかけてくれたので手をほどいて目を開けると、ミールがほほえましそうに僕を眺めていた。


「なんでしょう?」

「レイ、あとで髪をとかしてあげましょう。・・・寝ぐせがついています」

言われて髪を触ろうとして、やめた。今から食事なのだ。はい、と返事をするにとどめ、パンに手を伸ばした。









鏡を覗き込むと、そこにいるのは黒髪黒目、顔は多分中の中、至って普通の少女の顔が映り込む。年のころは十二、三。


「どうしたんですか?」


後ろで髪をすいてくれているミールが不思議そうに鏡越しに俺を見た。鏡と言っても、鉄を綺麗に磨いて薄ぼんやりとわかる程度にしか映らない。

「いいえ、なにも」

「そうですか」

性別は変わっても、顔と年齢自体はあまり変わっていない。体が変わってしまっているのなら顔も変わっているかと思っていたのだが、顕著な変化は見られない。なにもかもが変わってしまった中で、唯一変わっていないものがすぐ目に入ることに僕はひそかに安堵していた。

日本にいたころから伸ばしていた髪をリボンでひとつにまとめられ、ミールに礼を言って洗濯をするために外へ出た。


「流れゆくものよ、留まらぬものよ、我に与えたまえ」


今度は喚起呪文を唱え、精霊に水を桶の中に入れてもらい衣服を踏み洗いする。汚れがひどいものは洗濯板でこする。石鹸は貴重だから使わない。しかしそれでも結構綺麗になるもので、僕はある程度汚れが落ちた衣服をもう一度水ですすいで絞り、木と木に張っている紐に干した。濡れた手を手拭いで拭って、家の中に戻り抱えていた籠を元の場所に戻して、二階のミールの部屋をノックした。

「どうぞ」

すぐさま返事が返ってくる。僕は失礼しますと扉を開けて中へ入った。ミールの部屋は家の二階にあり、二階には他に部屋が三部屋あるのだが、薬草でほとんど埋もれている。ミールが寝室として使っている部屋も、半分ほど薬草に浸食されてしまっている。しかも、壁のあちこちに乾燥させた薬草が入れられるように棚が打ちつけられており、独特な臭気に最初は気分が悪くなったけれど、今ではかなり慣れた。しかし、ミールは気を使ってくれているのかいつも窓の扉を開け放しておいてくれる。部屋の中にある唯一の椅子に座ると机を挟んでベッドの上に腰掛けたミールと向かい合うようになる。薄い銀色の硬貨をミールは取り出して机の上に置いた。

「では、先に昨日のおさらいをしておきましょう。これが一セス硬貨です。一セスが十二枚で一リンになります。では、リンが三十枚ではいくらになりますか?」

「一パリになります」

ミールが今度は赤茶色の硬貨を取り出してみせた。

「そうです。一パリが十四枚では?」

「・・・一リラと二パリになる、です」

「なります、ですよ。もう大丈夫ですね」

ミールが満足げに頷き、硬貨を布の袋の中にしまった。

「では、今日は精霊の系統について勉強しましょう」

「はい」

昼食の準備までの間、僕はミールにこの世界について教えてもらう。ここでは科学というものがあまり発展しておらず、かわりに、精霊の力を借りていろんなことができる。といっても、力を借りることができるのはごく一部の人間だけで、そのごく一部、に僕も含まれているらしい。けれど科学の普及していないこの世界で精霊の力を使えるというのは便利なもので、火をおこすのも精霊を呼びだしてしまえばすぐだ。魔法が使える、なんて、まるでゲームのような話だし、実際今でも実感がわかない。


「いいですか。なによりもまず、喚起呪文なしで絶対に精霊と言葉を交わしてはなりません」


ミールは精霊について教えるとき、必ずこの言葉から始める。初めて聞いた時、僕がなぜ、と尋ねると、ミールはただ一言「あちら側に連れて行かれるからです」と答えてくれた。

――あちら側って、なんですか。

浮かんだ疑問は口には出せなかった。その時のミールの瞳が、悲しみに打ちのめされた色をしていたから、僕ただ頷いた。



ミールの話は殆ど基礎の話だ。



「精霊は水、風、火、土、に分けられます。精霊たちは私たちが供物、あるいは魔力を生まれつきもつ者が、呪文でもって命令すれば、その力を借りることができます。精霊というのは、万物の記憶そのもの、と言われています。更に精霊にはそれぞれの属性に長がいて、更に万象をつかさどる精霊王がいます」


この世界に神という概念はない。その代わり、人々は精霊王を心の支えにしており、自然界の恵みは精霊王がもたらすものと信じられている。魔力を持たないものでも、純度の高い宝石や水晶などを糧にすれば高度の精霊を呼びだすことができるし、逆に魔力を持つ者もその量には個人差がある。


「魔力というのは体力と同じです。使えばなくなりますが、回復もします。寝たり食べたり、といったことでも回復しますが、純度の高い結晶石などである程度回復することも可能です」


ミールが懐から大粒の翡翠色の石を取りだした。


「結晶石は様々です。大きいからといって回復が早いわけではありません。このように、透明度が高ければ高いほど、素早い回復が可能です。また、この結晶石は精霊を呼ぶための供物にもなります」


その後、いくつかの呪文を教えてもらい、ミールは昼から出かけるための支度をはじめ、僕は昼食の準備のために台所に降りた。











簡単に作った昼食をミールととった後、パンとチーズを布で包んでミールに手渡した。


「それでは、行ってきます」

「はい、お気をつけていってらっしゃいませ」

「レイも、留守中は気を付けてください」


基本的に、この家は自給自足だけれど、調味料などどうしても自分たちで補えないものは買うしかない。ミールは家の裏に栽培している薬草から薬を煎じて町で売り、その売り上げで調味料やその他の日用品などを買ってくる。しかし、この家からいちばん近い町まで大人の足でも二日はかかる。自分がついて行っても足手まといにしかならないのをわかっているから、僕はいつもおとなしく家で留守番をしている。ミールが荷物を背負って木々の合間に消えて行くのを見届け、僕は家の中に戻り、いつもは踏み台に使っている椅子と台所から火かき棒を持ちだして、文字の練習をするために家の外へ出た。


聞きとりだけならなんとかできるようになってきたが、文字は未だに半分も単語が覚えられていない。

この世界で紙は貴重品で、書き取りのためになんてもったいなくて使えない。だから綺麗に石を取り除いてならした地面を紙代わりに、火かき棒をペン代わりにする。ならした地面の真ん中に椅子を置き、片手でミールがお手本として書いてくれたものを手に、地面に書き写していく。ならした場所いっぱいに書いてしまったら、足で消す。こちらの世界の文字は漢字やアルファベットとは全く違って、象形文字のような形をしている。あたりが薄闇に包まれ始め、僕は椅子と火かき棒を持って家の中に入った。パンをかじって夕食をすませ、ずっとうつむいていたせいでこってしまった肩を叩きながら、台所の傍にある道具入れのような隙間に押し込んであった木切れや蔦状の植物を乾燥させたものをとりだす。そして、手もとが闇で完全に見えなくなるまで、籠を編む。最初はミールに教えてもらってつくってみたのだが、これがなかなか難しかった。けれど、籠があるとミールの薬草を分けるのに便利だ。部屋の棚にも限りがあるので、ミールはしまいきれなかった薬草を紐で束ねて床に転がしている。なので、夕食後、就寝するまでの間に底が深めの篭を、鋭意作成中なのだが。


「・・・うまくいかない・・・」


思わず日本語で呟いてしまった。誰もいないのに思わず口を手で覆って、あたりを見回す。しかし、しんとした沈黙が帰ってくるばかりで、そっと胸をなでおろした。気を取り直して籠を編み始める。手元の蔦で編んでは解き、違う太さの蔦で編んでみるが、どれも目があき過ぎたり詰まりすぎたりした。今まで作り上げたものも見た目が不格好で、とてもじゃないが使えるようには思えなかった。しかし、ミールは「上手にできていますよ」と言って使ってくれている。けれど、網目が粗いところから薬草がこぼれ出ていたりして、もっと綺麗なのをつくろうと思って頑張っている。もくもくと編み続け、どうにかこうにか半分くらいまで編みあげた。目がつかれたなと目頭を揉んで蔦と編みかけの篭を隙間に押し込んで、水甕の水で手を洗い、一階の自分にあてられた部屋に戻った。部屋は古く狭いが窓が大きくとられていて窮屈な感じはしなかった。そこに大きなベッドと小さな箪笥が置かれている。ため息をついてベッドに腰掛け、靴を脱ぎ、ベッドに入って目を閉じた。けれど、ベッドの下は藁をシーツの中に来るんでいるだけなのでごわごわするのが気になってなかなか寝付けない。仕方なく眠るのは諦め、僕は目蓋の裏にミールの顔を思い浮かべた。この森に大型の肉食獣はいないというし、事実見たことはないが、どこかで怪我をしていないか心配になってきた。もちろん、明後日の朝にはミールはちゃんと帰ってくるだろう。でも、万が一ということがないわけではない。布団をかぶった胸のあたりで両手を組んで、僕は祈った。




「どうか彼に精霊王のご加護を」




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