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女王さまのチュッパチャプス

前書き 

 よく来たわね、迷える子羊たち。あたしがこの箱庭を統べる魔王、黒木(クロキ)舞桜(マオ)よ。


 今回のログは、市ヶ谷のシャレオツな通りから、完璧にセキュアな茶室へとトラフィックを移動させたあたしたちの、極上のブレインストーミングの記録よ。


 時代遅れのクラウド依存や、見掛け倒しの量子コンピュータなんて、あたしたちのスマートなアーキテクチャの前じゃただのポンコツ仕様に過ぎないわ。


 物理層から社会インフラをハックする、最強のローテクと最新のエッジコンピューティングの融合。その完璧な同期処理のプロセスを、とくと網膜ディスプレイに焼き付けなさいな。


 それじゃあ、ストロベリー味のチュッパチャプスでも舐めながら、あたしたちの無双っぷりを存分に楽しんでちょうだい。


 2020年9月下旬。あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、市ヶ谷の近くのシャレオツな通りで、防大組の4回生である倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんと落ちあった。

 

 今日の琴葉ちゃんは、いつもに増して完璧だった。

 

 艶やかな黒髪を後ろでまとめ、自信に満ちた笑みを浮かべている。琴葉ちゃんが身に纏っているのは、裾や袖口に繊細な黒レースがあしらわれた、漆黒のベルベット調テーラードジャケットだ。インナーにはシャンパンゴールドのレースキャミソールを覗かせ、ボトムスは足首にレースの装飾が施されたタイトな黒のアンクルパンツ。足元は黒のレザーショートブーツで引き締め、手にはブラウンのレザーハンドバッグとべっ甲柄のサングラス。首元には重厚なゴールドのレイヤードネックレスが輝いている。

 

 ヨーロッパの石畳を思わせる、カフェやブティックが立ち並ぶ陽光眩しいストリートの景色に、琴葉ちゃんの凛としたアライメントは完璧に同期していた。

 

「琴葉ちゃんって来年任官するじゃない? どこに配属されるの」

 

 あたしが問いかけると、琴葉ちゃんは歩みを緩め、涼しげな瞳をこちらに向けた。

 

 あたしの最近のマイブームは、琴葉ちゃんだ。だから琴葉ちゃんが保全(ホゼン)学部保全(ホゼン)学科から抜けるのが、少し寂しい。

 

 まあ、一生学徒でいられるわけもなく――

 

「魔王対策課の技官です」

 

 魔王対策課?

 

「なによ、それッ」

 

 あたしが眉を顰めて尋ねると、琴葉ちゃんはバッグの持ち手を握り直して凛とした声で応じる。

 

「自衛隊の組織は、防衛省の内部部局をはじめ、陸海空の各幕僚監部、そして統合幕僚監部などで構成されていますが、この課はそれらの既存の指揮系統から完全に独立した特務機関なんです」

 

 琴葉ちゃんは、少しだけ声を潜め、周囲のノイズから情報を切り離すように言葉を続けた。

 

「新設されました。最高司令官の肝煎りです」

 

 シレっと宣う琴葉ちゃん。

 

 自衛隊の最高司令官といえば、内閣総理大臣だ。一国のトップが、あたしたちの規格外のバグを監視・制御するために、直轄のファイアウォールをビルドしたってわけね。

 

 青みがかった黒髪のショートボブを風に揺らし、不敵な笑みを明滅させるあたしのテクスチャはこうだ。光沢のある漆黒のレザースーツのセットアップ。そのタイトなジャケットの胸元を大胆に開け、深いスリットから黒いシースルーレースのビスチェを露出させている。絶対的な自信を誇示するタイトなレザーパンツに、足元は鋭いピンヒールの黒いショートブーツ。首元には深いサファイアブルーのティアドロップ型ペンダント。夜のネオンが濡れたアスファルトに反射するサイバーパンクのストリートにこそふさわしい、過激で挑発的な仕様のアライメントだ。最高司令官だろうがなんだろうが、この魔王の威圧感は1ミクロンの狂いもなくレンダリングしてやるわ。

 

佐伯(サエキ)も魔王対策課ですよ。と言うか、スクラムされて、成果を挙げている以上、解散させてもらえませんよ」

 

 琴葉ちゃんは、あたしの威圧感などどこ吹く風で、サラリと追加のパケットを送信してきた。宣う琴葉ちゃんにあたしは、思わずポカンとしてしまう。

 

「お待たせッ」

 

 そこへ、いつものメインノードたちが続々とログインしてきた。プラチナブロンドの白井(シライ)勇希(ユウキ)、長身の斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)、ゼネコンの御曹司であるボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)、そしてサブリナこと福元(フクモト)莉那(リナ)だ。

 

 合流したあたしたちは、市ヶ谷のストリートから、付近に確保してある防音セキュア・スペースへとトラフィックを移動させた。

 

 今回のコンセプトは『茶室』だ。

 

 仄暗い照明に照らされた四畳半の空間には、イグサの香りを放つ真新しい畳が敷き詰められている。床の間には、電子ペーパーで動的に水墨画をレンダリングする掛け軸が鎮座し、中央の炉には、炭火の赤い揺らめきを完全に再現したホログラムヒーターが静かな熱を放っていた。

 

 静寂と高度なセキュリティがマージされた和の空間で、あたしたちは車座になって座布団に腰を下ろす。

 

 話題は当然、先日あたしが提案した、生成システムのボトルネックを打破するためのアーキテクチャについてだ。

 

 あたしは、ホログラムの炭火にかざした手を引き、手元の扇子をパチンと鳴らしてロジックを展開する。

 

「LLMの最大のバグは、一度出力されたコンテキストが確定してしまえば、物理的に書き換えて推論をやり直すことができない非可逆性にあるわ」

 

 勇希が、プラチナブロンドの髪を揺らし、湯呑みを両手で包み込みながら深く頷く。

 

「だからこそ、観測前の潜在空間から、別の推論の分岐であるパラレルワールドを複数生成してバックグラウンドに保持しておくんだよね」

 

 あたしは不敵な笑みを浮かべ、扇子の先端で畳をコツリと叩いた。

 

「ええ。アプリ側でレイヤーを何重にも重ねて、不適合な過去だけ消しゴムで透過するのよ。そして、裏で待機させていた最適解の推論オブジェクトと合成するの」

 

 ボッチが、赤い髪を掻き上げながら、ゼネコンの視点でリソースの懸念というエラーログを吐き出す。

 

「でもさ、その重たい推論オブジェクトをVRAMにずっと抱え込んだら、電気代のバグとメモリのオーバーフローでシステムがクラッシュしねえか?」

 

 あたしは、運ばれてきた抹茶の椀を手に取り、優雅に一口含んでから獰猛に笑う。

 

「そこが腕の見せ所よ。できたそばから軽量なファイルとしてストレージへ吐き出して、VRAMを爆速で解放するの」

 

 あたしは椀を置き、全員の顔面ディスプレイを順番にスキャンした。

 

「ストレージを仮想コンテキストスペースとして使えば、メモリ不足も電気代もゼロにキャンセルできるわ。ファイルとして保存されている間は、消費電力がほぼゼロになるんだから」

 

 拓矢が、長い脚を窮屈そうに崩し、腕を組みながら感心のシグナルを発行する。

 

「なるほどな。必要な瞬間にだけ、消しゴムレイヤーを介してファイルから数ミリ秒で読み出すわけか」

 

 サブリナが、膝の上に置いた手をパチンと叩いて目を輝かせた。

 

「これなら、過去のトークン数制限に縛られずに、ファイルとして眠っていた過去や未来の最適解へ自由にアクセスして合成できるね」

 

 あたしは満足げに頷き、再び扇子を広げて口元を隠した。

 

「ええ。OSの仮想メモリの知恵を、AIのコンテキスト空間にマージするの。まさに過去と未来を自由にハックする、完全体シュレディンガー空間の完成よ」

 

 茶室という極めてアナログで静謐なセキュア・スペースの中で、あたしたちメインノードは、国家の監視プロトコルすらも置き去りにするような次元の違うシステム構築に向けて、深い同期処理を完了させたのだった。


★ ◆ ★ ◆ ★


 部屋の中に茶室のスペースが設けられている。サブリナこと福元(フクモト)莉那(リナ)以外のノードは、基本的に規格外に近い。日本人の平均身長から大きく外れている。

 

 当然、茶室の外は人工芝だ。もちろん、ボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)の意向で土足厳禁となっている。本当であれば、館内のすべてを土足厳禁にしたかったようだ。

 

「だいたい、日本の気候で靴を履きっぱなしなんて非効率の極みだぜッ。館内すべてを土足厳禁にして、クリーンなインフラを保ちたかったのによぉッ」

 

 ボッチが、忌々しそうに赤い髪を掻きむしる。

 

「有事の際、ガラスの破片や瓦礫が散乱したフロアを裸足やスリッパで逃げられるわけがねえだろって、防災担当の親父にボツにされたんだよッ。チクショウ、安全基準のファイアウォールめッ」

 

 こいつ潔癖なのかしら。あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、ボッチにジト目を貼り付ける。

 

「自分、御曹司ですんでッ」

 

 ボッチが、胸を張ってドヤ顔をレンダリングしてきた。

 

 そう言えばあったな。そんな属性。あたしは白井(シライ)勇希(ユウキ)とボッチを見比べる。どっちも御曹司って言えば御曹司だ。

 

「そんな大層なもんか?」

 

 あたしは、残りの庶民ノードたちに問い掛ける。

 

「いや、ただの金持ちのボンボンでしょ」

 

 サブリナが、肩をすくめてあっけらかんと宣う。

 

「ああ。兵站を親の資本に依存してるだけの、初期装備チート野郎だな」

 

 長身の斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)が、腕を組んで冷徹な分析パッチを当てる。

 

「ちょっとッ、僕まで巻き込まないでよ」

 

 勇希が、プラチナブロンドの髪を揺らして慌てて防衛プロトコルを起動させた。

 

★ ◆ ★ ◆ ★

 

 あたしたちは、茶室から人工芝のエリアへと移動し、野点を楽しむことにした。

 

 驚いたことに、サブリナが赤い毛氈の上に正座し、完璧なアライメントで茶道具を扱っている。

 

 細い指先で棗から抹茶をすくい、茶筅を振るうその仕草には、1ミクロンの無駄なノイズも存在しない。

 

「おまえ、なんでそんな完璧な茶道のプロトコルを実装してんのよ」

 

 あたしが目を丸くして尋ねる。

 

「ふふん。だって拓矢って歴史好きだし、戦国時代に思いを馳せるかも知れないじゃんか」

 

 サブリナは小悪魔的な笑みを浮かべ、見事に点てられた鮮やかな緑色の抹茶を、あたしの前へと差し出した。

 

 あたしは、温かい茶碗を手に取りながら、先日の多次元並走アーキテクチャの議論の続きをコンパイルする。

 

「裏で複数の可能性を並走推論させて最適解をマージする構造だけど、これって現代のウェブアプリベースで、すでに実用段階のサービスとして存在しているのよ」

 

 あたしがロジックを展開すると、勇希が目を輝かせた。

 

「ええっ、本物の量子コンピュータを使わずに、ウェブアプリのレイヤーで量子の真似事を実現しているってこと?」

 

「その通りよ。主に3つのアプローチでウェブアプリ上に実装されているわ」

 

 あたしは、抹茶を一口飲んでから扇子を開く。

 

「1つ目は、量子クラウドサービスね。ブラウザのUIやAPIを通じて、バックエンドの量子実機やシミュレータへ非同期ジョブを投げ、複数の量子回路をスレッド並列処理させる仕組みよ」

 

 ボッチが、ゼネコンの顔つきでアゴに手を当てる。

 

「なるほど。超大型のインフラにフロントエンドからアクセスするわけだな」

 

「ええ。2つ目は、量子インスパイアード最適化よ。物流のルート最適化や金融ポートフォリオ選択などを、ウェブAPI経由で数百万の組み合わせを並列探索するの」

 

 あたしは、扇子の先端で人工芝を指し示す。

 

「実機ではなく、量子のアニーリング現象を古典コンピュータで模倣したシステムをウェブのバックエンドで走らせているわ」

 

「実機じゃなくて、既存のハードウェアで量子の重ね合わせとトンネル効果をシミュレートしてるのか」

 

 拓矢が、軍事的な戦術予測のシステムを思い浮かべるように頷いた。

 

「そして3つ目が、ウェブブラウザ内での擬似量子並列シミュレーションよ」

  

「ブラウザ内ってことは、あたしたちの端末で直接計算するの?」


「勘違いしないで。ブラウザはあくまでシステムを覗き込む『窓』よ。窓そのものが重たい計算を直接こなすわけじゃないわ」


 あたしは、手にした茶碗を置いて、ピシャリと修正パッチを当てる。


「ウェブワーカーなどを利用して量子ビットの状態ベクトルをリアルタイムに可視化するウェブライブプログラミングツールもあるけれど、それはあくまで窓に映し出された情報を描画しているに過ぎないわ。本質的な推論や並走処理はバックエンドに任せて、フロントエンドであるブラウザは、その結果を受け取ってUIとして展開するだけなのよ」


 あたしは、茶碗を置いて不敵な笑みを明滅させた。

 

「つまり、高価なハードウェアを持ち出さなくても、既存のウェブアプリの工夫だけでパラレルワールドの重ね合わせと観測っていう最高の体験が作れちゃうってことよ」

 

 人工芝の上の野点という極めてアナログな空間で、あたしたちメインノードは、現代のフロントエンドに潜む最先端の並走アーキテクチャに、深い同期処理を完了させたのだった。


★ ◆ ★ ◆ ★


 人工芝の上に敷かれた毛氈の上で、あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、サブリナこと福元(フクモト)莉那(リナ)が点てた二服目の抹茶を堪能していた。

 

「ねえ、もしあの多次元並走アーキテクチャと、擬似量子並列のウェブ処理が社会インフラとして完全に実装されたら、世の中どうバグると思う?」

 

 あたしは、空になった茶碗を置き、メインノードたちにクエリを投げた。

 

「まず、開発コストと消費電力の概念が根底から書き換わるな」

 

 ボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)が、赤い髪を掻き上げながらゼネコンの顔つきで即答する。

 

「莫大なVRAMを積んだスーパーコンピュータを常時フル稼働させる必要がなくなる。都市のトラフィック制御や物流の最適化ルート計算なんかも、軽量な中間言語とバックグラウンドの並列処理で、信号機ひとつ、交差点ひとつごとに瞬時に最適解がマージされるようになるぜ」

 

「医療の世界でもパラダイムシフトが起きるよ」

 

 プラチナブロンドの白井(シライ)勇希(ユウキ)が、膝の上で両手を組みながら目を輝かせた。

 

「新薬の開発や遺伝子解析で、何百万というタンパク質の折り畳みや治療の分岐パターンを並列で走らせる。患者の容態が急変しても、消しゴムレイヤーで不適合な過去のデータを透過して、瞬時に最適な治療ルートの推論オブジェクトを引っぱり出せるんだ」

 

「それって、誰でもブラウザっていう窓を開くだけで、神様みたいな最適解にアクセスできるようになるってことよね」

 

 サブリナが、小悪魔的な笑みを浮かべて扇子をパタパタと扇ぐ。

 

「ええ。一部の大企業や国家だけが独占していた超高度な演算能力が、一般ユーザーのフロントエンドまで完全に民主化されるのよ」

 

 あたしは、不敵な笑みを明滅させて同意のパケットを送信する。

 

「防大生としては、戦略のシミュレーションが劇的に進化するのが恐ろしいですね」

 

 倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんが、凛とした姿勢で背筋を伸ばし、涼しげな瞳を細めた。

 

「戦況のあらゆる可能性を並行世界としてストレージに保持し、現場の状況が変化した瞬間にパッチを当てるように最適な戦術をマージする。まさに未来を見通すような指揮統制システムが構築できます」

 

 あたしたちは、最適化された究極のスマート社会のブループリントに、深い同期処理を進めていく。

 

 しかし、そこで長身の斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)が、腕を組んだまま低い声でエラーログを吐き出した。

 

「待てよ。その神様みたいなシステムって、全部バックエンドのクラウドやストレージとのデータのやり取りが前提だよな?」

 

 拓矢の指摘に、場の空気が一瞬でクーリングされる。

 

「おまえの言う通りよ」

 

 あたしは、人工芝の上に視線を落とし、冷徹な論理関数を展開する。

 

「どんなに素晴らしい並列推論も、それをフロントエンドに届ける回線が死んだら、ただのゴミクズよ。人工知能とクラウドコンピューティングの最大のボトルネックは、CPUの性能でもVRAMの容量でもない。圧倒的に通信インフラへの依存なのよ」

 

「確かに。災害や有事で海底ケーブルが切断されたり、基地局がEMP攻撃で物理破壊されたりしたら、窓からいくら覗き込んでもエラー画面しか返ってこないな」

 

 ボッチが、忌々しそうに舌打ちをしてゼネコンの視点から脆弱性を認めた。

 

「無線通信の帯域制限も致命的だね」

 

 勇希が、医学から物理学へと思考のベクトルを切り替える。

 

「どれだけデータを軽量な中間言語に圧縮しても、数百万のアクセスが同時に通信帯域を圧迫すれば、レイテンシ、つまり遅延のバグが発生する。リアルタイム処理が命のシステムで通信の遅延が起きれば、自動運転車なんかは即座に物理的なクラッシュを引き起こすよ」

 

「だからこそ、すべてをクラウドっていうお空の上に丸投げしちゃダメなのよ」

 

 あたしは、立ち上がって人工芝を踏みしめ、全員を見下ろした。

 

「処理を通信に依存させないための、完全なるローカル環境。つまり、現場の端末自体が独立して思考し、必要最低限のデータだけを非同期でやり取りするエッジコンピューティングのインフラを物理的に根付かせる必要があるわ」

 

「通信インフラというアキレス腱をハックするために、空のクラウドから、地面のエッジへ物理法則を配置し直すわけだな」

 

 拓矢が、ミリタリースペックの強靭なシステム構想に感嘆の息を漏らす。

 

「ええ。どんなバグが発生しても、人間が生活する物理層だけは絶対に止まらないようにする。それが、あたしたちがビルドすべき本当のアーキテクチャよ」

 

 人工芝の広がる茶室の外で、あたしたちメインノードは、来るべきネットワークのボトルネックと、それを打ち破るための物理的な防衛ラインの構築に、ぐうの音も出ないほどの完全な同期処理を完了させたのだった。


★ ◆ ★ ◆ ★


「こう言うのなんて言うんだっけ?」


 あたしは、唐突にボッチに投げ掛ける。


「今さらかよッ。シュレディンガーの猫だろ?」


 ボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)が、呆れたように赤い髪を掻き上げた。


「箱の中に猫と毒ガス発生装置を入れて蓋をする。観測するまで、猫が生きている状態と死んでいる状態が重なり合っているっていう、量子力学の有名な思考実験だ。観測者の数だけ結果がある。つまり、さっきの消しゴムレイヤーさ」


 ボッチは、ゼネコンの顔つきでさらにロジックをコンパイルする。


「サルバドール・ダリはな、晩年に量子力学や原子物理学に猛烈に傾倒してたんだよ。物質が不確定な素粒子の集まりだってことに衝撃を受けて、物質が空中で分解して浮遊するような作品を描くようになった」


 ボッチは、空中のキャンバスを指でなぞるような仕草をした。


「ダリの描く多次元的で不確定な世界観は、観測されるまで無数の可能性が重なり合っているシュレディンガーの量子世界そのものだ。あのおっさんも、キャンバスの上で確率の波を収束させていたんだぜ」


「へー、そうなんだー。へー」


 あたしは、適当な相槌のパケットを送信する。


「でも、ダリって言えばチュッパチャプスのロゴをデザインしたオッサンでしょ」


 あたしが唐突にロジックを切り替えると、ボッチがズッコケそうになる。


「1969年に、あのデイジー型のポップなロゴをデザインしたのはダリよ。しかも、ロゴが絶対に見えやすいように、包み紙の横じゃなくててっぺんに配置しろって強烈な仕様指定までデプロイしたの。芸術家としての完璧な視覚ハッキングね」


 言いながら、あたしは、お茶汲み拓矢(タクヤ)へと無言の視線を投げる。


 拓矢はビクッと肩を揺らし、慌てて手元のミリタリーな鞄を漁り始めた。そして、ホッと安堵の吐息を漏らし、あたしに向かって1本のチュッパチャプスを恭しく差し出したのだ。ストロベリー味である。


 お母さんみてえなヤローだな。こいつ。


「ママは、おまえのオモリにクタクタだよ」


 拓矢が、額の汗を拭うような仕草で軽口のコマンドを叩き込んできた。


「ママぁ?」


 あたしは、差し出されたチュッパチャプスをマッハの速度でひったくり、そのまま包装フィルムの先端で拓矢の眉間へとクリティカルな刺突をデプロイしてやった。


「あッ痛ぇッ」


 眉間を押さえて悶絶する下僕を冷徹に見下ろし、あたしはチュッパチャプスの包みを素早く解除する。


「チュッパチャプスの包み紙って、開けにくいバグがあるけど、あたしの処理速度ならコンマ2秒よ。ママを名乗るなら、包装をパージしてからサーブしなさいな」


 あたしは、甘いストロベリーのハードキャンディを口に放り込み、不敵な笑みを明滅させた。



後書き

 どう? あたしたちメインノードがコンパイルした、次世代の社会インフラのブループリントは。


 どんなに高度なネットワークをビルドしても、通信というアキレス腱に依存している限り、システムは常にクラッシュのバグと隣り合わせよ。だからこそ、地に足のついた物理法則の再配置が必要なの。


 それにしても、ダリのオッサンがチュッパチャプスのロゴにまでシュレディンガーな視覚ハッキングを仕掛けていたなんて、歴史のキャッシュをサルベージするのは本当に退屈しないわね。


 お茶汲みスキルの高い拓矢(タクヤ)もいることだし、次のメガプロジェクトも爆速でデプロイしてやるわ。


 せいぜい、あたしたちの処理速度についてきなさいな。じゃあねッ。


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